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30.ネズミ

 回廊に入って影の中から死者を三匹呼び出した。前を歩かせれば罠避けにはなる。僕とポチ3号のすぐ後をタビーとニバスが続いて、エステーとノーザが殿になった。


「急に消えたり、入り口が閉じたりは……大丈夫みたいだな……」


「きっと奥に、もっと効果的な罠があるんだよ」


 後ろを振り向いて遠ざかる入り口を確認するニバスの横で、タビーが耳を前方に向けて音を探る。回廊の幅は広く天井もそれなりに高い。壁面も床も、目印になるような構造物や支柱もない。分岐もなく、同じような組石と石畳の舗装が、見える範囲で真っ直ぐ西に延びている。


「モンスター……ネズミだわ」


 しばらく進んでから、タビーが僕の肩に手を置いて立ち止まるように促した。僕にはまだネズミは見えない。


「大きいわ。膝ぐらいまである。それに逃げていくわ」


「こんな距離でか?」


 エステーにもネズミが見えるらしい。その言葉にニバスが疑問を投げる。人間族やドラコニアンには見えないほど、遠い距離から反応するモンスター。何のためにここに設置されているのだろう。攻撃魔法も届かないし。気が付かれないことも多いはず。


「フィールドのモンスターよりAIが優秀みたいだね。……壁をよく見て」


 ノーザが杖の先で、横の壁面の下の方を指す。よく見ると床の上五十センチくらいの場所に、何かを擦った跡が奥に続いている。


「現実の世界のネズミと同じように、壁際を走るんだ。あの壁の汚れをラットサインって云うんだけど、毛皮や尻尾が擦れた跡だよ」


「なんの意味があるんだろう? 逃げる敵を追い掛けろってことかな?」


「さあ……まだ何もわからないね」


「ノーザ、落とし穴とか……罠があったら見える?」


「大きな空洞ならわかるよ。念のためにネズミと同じように壁際を歩いてみるかい?」


 壁際を長く一列にして、壁際を進むことになった。先頭の死者達から少し離れて、後ろを進む。メインメニューのマップを見てみると、地図は地上の街の俯瞰図を表示している。すでにスラムの境界線を通り過ぎて、地図の進行方向の端に街の中央広場が見え始めている。


「先で枝分かれしてるわ」


 しばらく進んだところでタビーが沈黙を破った。分岐があれば戻るように指示していたポチ2号も、そこまでは行けたのだろうか。それとも、もっと手前で死んだのか。


「2号ちゃんよ! 倒れてる!」


「待ってタビー! ゆっくり進むんだ」


 走り出そうとしたタビーを引き留める。ポチ2号はすでに死んで時間が経過している。死体は消えて、外側の人形だけが残ったのだろう。僕達は回廊の分岐、T字路の直前で倒れてバラバラになったポチ2号が見えるところまで進んで、一度立ち止まった。


「やっぱり人形だけだ。……中身(・・)はない」


 腕と脚のパーツが胴体から離れた場所に落ちて、断面の空洞が見える。ここで何かが起きたらしい。


「ノーザ、何かある?」


「ない。それにいない。――何処に行った?」


「そう、ネズミもいないわ」


「T字を曲がったんじゃないのか?」


「違うね。ちょうど人形の倒れてる辺りまでしか壁の跡もない」


「よし、あそこまで死者達を歩かせてみよう」


 死者達は人形の残骸を通り過ぎてT字路に侵入した。――何も起こらない。時限式の罠だろうか?


「進んでみるしかない。時間で復活する罠なら急いだ方がいい」


 右の路を選んで北に進むことにした。相変わらず同じような景色が続いて、モンスターもネズミも見当たらない。壁にも跡はない。


「少し先にまた壁の跡があるわ」


「しかし、なんもないダンジョンだな……敵もお宝も。無駄に広い」


「もしかして街の地下いっぱいに広がってるん……」


 ニバスに答えようと振り向いて、視界の隅で何かが動くのに目が止まる。ノーザのすぐ後ろで、何もない空中に小波が起きている。そこだけ後ろの景色が歪んで、鈍く震えだす。急に空気が粘りと重さを増して塊に変わって、ゆっくりとノーザの頭の高さまで垂れ下がる。


「ノーザ! 振り向かないで僕の所まで走れ!」


 走るノーザと、後ろに向かわせた死者がすれ違う。エステーとニバスが武器を抜きながら振り向いて、背後の異変に気が付いた。


「なんだこれは!」


 タビーの投げた短剣が空中に突き刺さって、そこにも水面に石を投げたように波紋の小波がたつ。ただ何重にもなった同心円が、広がって大きくなっていくのが普通の水面より時間がかかる。死者がその見えない水面に触れた。


「うわっ!!」


 水面に触れた死者の一体が、前に伸ばした腕の先から溶けて消えた。見えざる垂直の水面が濁りながら伸びて、死者の腕に絡む。死者達を取り込んで、溶かしながら食っているのだ。


「見えた! タビー! 《識別》で調べて!」


「……ゼラチンキューブ……ヒットポイントが六万もあるわ!」


「危ねぇ! 全然見えなかったぞ!」


「ほとんど無色透明のスライムだ! ゾンビが溶け込んで濁ってるうちに走れ! 見えなくなったら厄介だぞ!」


 ノーザが叫んで走り出すと、残りのメンバーも後に続いて走り出す。


「ノーザ、あれは……ゼラチンキューブ? チートで見えないの?」


「集中出来れば認識出来る。走りながらは無理だ」


「濁ってるときにチラッと見たけど、たぶん天井から床まで、壁から壁までの大きさなのかな? ポチ2号もさっきのネズミも、あれに食われたんだ」


「そのようだね……それで?」


「壁から壁まで目一杯だろ? だから擦られて、ここにはネズミの跡がない」


「なるほどね、ネズミはあれのヒントだったのか」


「ほら、この先。またネズミの跡がある……でももっと先を見て」


ないな(・・・)


「うん。三メートルくらいでなくなってる」


「まさか前にも?」


 話を聞いていたタビーが、走りながら短剣を投げる。少し距離があるせいで、ざわめくような波紋は見ることが出来ない。それでも短剣が見えない何かに刺さって空中に留まるのは見てとれた。前にもう一匹いるのだ。

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