17.悲鳴
「スラムって、お買い物できる場所あるの?」
「一応露店が立つ通りがあるけど?」
「少し材料が足りないの。この子達に何か作ってあげたいんだけど……」
タビーが口を開いたとき、僕は久し振りにポチ達に邪魔されずに生産ツールと向き合っていた。たった数時間で膝の上のポチ1号だけでなく、2号も3号も何故だかタビーになついてしまっていた。こんなに作業が捗ったことは今までない。人形のパーツの予備を作り終えたので、僕は一息いれることにしてタビーと人形達を眺めた。
頭の撫でられている1号の横に無理矢理登ろうとする2号。3号はしばらく大人しく立っていたが、1号の頭についたネコミミに興味があるのか、我慢できなくなったらしく手を伸ばそうとしてタビーの手に振れた。
3号に気が付くと、タビーは余った端切れの布を取り出して髪にあてて色を比べ始める。何の素材かよくわからない光沢のある黒い布を選んで一度膝に置く。リボンの代わりにするらしい。
「髪ほどいても平気?」
「根本の針金に気を付けて」
タビーは3号に後ろを向かせると、櫛とコームをインベントリから取り出した。小さな後頭部の髪を梳かして大雑把に四つに分けてから上から流す。一番上がを右に、次は左、その下がまた右で最後は左。左右頭の横に纏められて垂れる髪をそれぞれさっきのリボンで固定すると、3号に声をかけた。なかなか器用だ。僕にはとても出来そうにない。僕はいつも人形の髪の中に針金の芯を入れて縛っていた。
「こっち向いて……」
タビーが手鏡を3号に見せながら笑いかける。3号が何故、彼女の云うことを素直に聞くのかわからない。ついでに、人形の顔には覗き穴はない。中のグール達がどうやって前を見ているのかも謎だ。
「すごいね。僕にはとても出来そうにない」
すごい。戦闘向きじゃないけど。
「よく妹にやってあげたのよ」
なんだそのリアルスキル。本物の女の子みたいだ。それに髪を止めるのに使ったダッカールだとか手鏡なんて小物も、一通り揃えて持っているらしい。僕なんて持ってるのはブラシが一つだけだ。
「それで……どんなものが必要?」
「そうね、とりあえずお店を見てみたいかな? ほら、スパイだし? ついでに諜報活動」
「そう云えばスパイだったね。明日エステーも来るから、一緒に出掛けてみよう」
冗談ぽく笑うタビーにつられて僕も笑った。
次の日の朝になって、エステーがやって来た。珍しくスケルトンの通路を通り抜けて、部屋の中までやって来た彼女は恐ろしく不機嫌な顔をしていた。僕とタビーは朝食を終えて出掛ける支度をしていたところだった。
「ヘルマ!」
「おはようエステー。どうしたの? 珍し……」
「いいから来なさい!」
あっけにとられるタビーを部屋に残して、エステーに腕を引っ張られて通路に出る。エステーに反応して近くに寄ってきたスケルトンが、一瞬で粉砕されて骨の山に変わる。こんなときのエステーに逆らうとあとが怖い。ほとんど引き摺られるように出口の階段まで進んだ。
「来てるのよ」
「なにが?」
「御本尊」
外に出ると見覚えのある黒い髪の剣士が立っていた。僕の顔を見て微笑みながら手をあげたのはアレスだ。賞金稼ぎのボス自らのお出ましだった。
「や、ヘルマ君お早う」
白い歯を見せて爽やかに云ってのけた挨拶は、人間関係の距離感覚がおかしくなるほど親しげに感じられる。とても顔を合わせるのが二回目だとは思えない。僕の唖然とする顔も睨み付けるエステーも、あとから着いてきてドアからひょっこり顔を出しているタビーの驚きも跳ね返すかスルーして、アレスはもう一度口を開いた。
「突然押し掛けて申し訳ないね。スラムを見てみたくてね」
スラムの東側には、壁のひび割れも屋根に塗られた樹脂も比較的残っている建物が多い。西側の粗末な木造の平屋が多い辺りとも違って、通りも見通しのきく広い道が何本かある。スラムからほとんど外に出ずに暮らすなら、スラムのほかの場所よりは安全とも云えた。欠点は、スラムの外へ出るために一番物騒な廃墟の並ぶ南側を通らねばならないことくらいしかない。ちなみに僕の家はその廃墟の中にある。僕達は、その廃墟の中を北東へ歩いていた。
ポチ1号を腕に抱いたタビーの後ろを、2号と3号が着いてくる。もう誰のペットだかわからない。その人形達を嫌っているはずのエステーがタビーと並んで笑顔で話し掛けている。いつか殺すために油断させるつもりなのか、タビーよりめんどくさい相手が僕の隣を歩いているからか、少しぎこちない笑顔は怒りを抑え込んでいるらしい。
「昨日君達が帰ったあと考えてね……」
急にしみじみと語り始めるアレス。僕は何も訊いてない。
「まずは自分の目で色々と見てみようと思うんだ」
だからそんなこと訊いてないってば。
「僕の家は誰から?」
「ノーザ君を訪ねたら教えてくれてね」
何故殺さなれなかったんだろう?
「彼は今忙しいからと……君の家を教えられた」
めんどくさかったのか、僕への嫌がらせらしい。
「部下の仇は打たなくていいの?」
前を歩くポチ3号を指差して笑いかけると、初めてアレスの顔から笑みが消えた。
「ことのあらましはGBから聞いている。非は大勢で不意打ちを仕掛けた我々にも有るだろう。だが、いずれ改めて……そのときは事前に断りをいれる」
「不意打ちはなし? そのときまで生きてられるかわからないね」
「今はまだ先にやるべきことがある。だから……」
「待ってほしい」とでも云おうとしたのかも知れないが、アレスは途中で口を閉ざして前方を見た。突然タビーが走り出して横道に入ったのだ。エステーが僕を見てタビーの消えた横道を視線で指し示した。置いてきぼりを食らった2号と3号が僕の近くにやって来る。意識を集中して耳をすますと、タビーほど耳の良くない僕達にも、悲鳴と助けを呼ぶ声が聞こえてきた。