ミーティング
中間テスト終了日の放課後、営倫野球部は一年二組でミーティングを開いた。顧問はテスト採点のため不参加だったが、キャプテン弐戸、マネージャー保谷富が壇上に立ち、各人の意見を拾い上げ黒板に書いていった。
「じゃ、これでいこうか。あくまで暫定だが」
弐戸がそう言うと、皆が賛成の意を表した。黒板には、バッティング・オーダーが書かれていた。
「大切なことだからもう一回言うが、三週間後、六月上旬に控えた文化祭で、我々野球部は、ここから歩いて五分も掛からない市民球場を借り、招待試合を行うこととなった。吹奏楽部も協力してくれるし、有志が応援団も作ってくれている。文化祭の大きなイベントの一つになるから、恥ずかしくない試合にしなくてはならない」
「活躍したら学校中のヒーローになれるっすね! キャプテン!」
「ああ、そうだな」
「よし、さらにやる気がメッチャ出てきた」
ガッツポーズを作り、勇む葉樹。
「でも、葉樹君、私ね、負けたら野球部全員でバツゲームを受けてもらおうかな、って考えてるの」
富が怪しげな笑みを浮かべながら宣言した。
「OK。負けませんから良いですよ」
「イワオ! 安請け合いすなや! 全員やで!」
「小田原さん、勝つ気ないんですか?」
挑発するような口調の葉樹。
「勝つ気ないアスリートがおるわけないやろ!」
「じゃあ問題ないでしょう」
「そうやな。皆、ええな? 『はい』か『YES』で答えや」
「同じじゃないか。もちろん私もそれには乗ろうと思うがな。いつも先輩にはお世話になっているしな」
滝も承諾する。
「でも、相手もまだ教えてもらってないし……」
「副キャプテンがそんなことでどうすんねん! ええな!」
「う、うん……」
小田原の気迫に押され、半ば強引に宮前は頷かされた。
「ついでに俺も賛成。上川、五十嵐、神野、宇藤もいいな」
弐戸からの問い掛けに五十嵐は自信ありげに、上川は嬉しげに、神野と宇藤は気圧され気味に肯定した。
「よし。じゃあ決まりだな。当日まで、アスリートなら当然のことだが、体調管理に気を使うように。九人しかいないのに当日具合悪くなるような奴はいないと思うが」
弐戸は、キャプテン然とした口調で言い切った。
「でも……うちは女子もいるし……」
宮前が、恥ずかしそうに言い、女子の方を向いた。
「そんなん、どうとでもなる。そこら辺の管理はちゃんとできるわ。ミヤさんの気遣いも結構やが、あまり度も過ぎるとセクハラになるで。ウチは気にせんけどな。それにウチ以外の二人は……って、これ言うとウチがセクハラで訴えられてまうかもな。セクハラは同性でも認められるらしいし」
答える小田原。宇藤はその言葉に頷いた。宮前の面倒見の良さがセクハラ染みているように思われることが、男である彼にもしばしばあった。
「で、相手はどこなん? オーダー決める前に話さないなんて、なんかもったいぶられてるような気がすんねんけど」
「ああ、言い忘れてた」
「大切なことは二回言うニコガクが言い忘れてるなんて、大した相手やないんやな」
弐戸学はニコマナブと読むのだが、小田原はとある野球漫画の舞台となる高校名からとって、彼をニコガクと呼んでいた。
「相手は宇多南学園」
「ああ、宇多南、通称ウダナン。大したこと……って超名門校やないかぁ!」
小田原はノリツッコミを入れてから、わざとらしく椅子からこけた。彼女以外も、ざわざわとお互いに喋りだした。
「小田原、宇多南とやらはこけるほど強いのか?」
「ご存知ないんかいな宇藤! あの赤い悪魔どもを! ウチの地区代表で、去年の夏と今年の春の甲子園連覇校やで? バントをしないで塁盗む走力、チャンスに強い打線から、『カゴメカゴメ打線』とか『ずっと宇多南のターン!』とか実況に言わしめた超攻撃型野球集団や!」
小田原は捲くし立てて、力也に宇多南の恐ろしさを説明した。
「だが、実際に対戦するのは一年だけで構成されたチームの一つだ。一年だけでも何十人もいるらしいからな」
「それならアンノウンなチームやな」
「アンノウン? 二〇〇一年に、レオ・ゴメスの抜けた穴を埋める存在として期待されるも結局一軍定着せずにシーズン中に退団した中日ドラゴンズの外国人選手?」
「……そりゃアンローや。ティム・アンロー」
「ならアジア系の選手か? ソン・ドンヨルとかチェン・ウェインと語感似てるし」
「……ニコガクにとっては、アンノウンっつう言葉自体がアンノウンやったか。英語で、『未知の』っつう意味や」
「そうか。その単語が今回のテストに出てこなくって良かったぜ」
弐戸のわざとなんだか天然なんだかわからないボケに突っ込みを入れる小田原であった。
「それでも怖いよ……」
「そ、そんな相手との試合で僕なんかがクリーンナップを打っていいのかな……」
宇多南の名に恐れを抱いたらしい宮前と神野が呟く。
「ミヤさん、ジン、何言うとんねん! 弱気は最大の敵、って炎のストッパー津田恒美も座右に置いておいたやろ!」
「そうだ。どこが相手だろうと『月に向かって打て!』」
弐戸は傍らに落ちていた箒でアッパー気味にスイングしながら、宮前と神野に発破を掛けた。
「月に向かって打て、か。現北海道日本ハム、当時東映フライヤーズの飯島コーチが大杉勝男に向けたアドバイスだったな。私もその言葉は好きだが、宇多南との試合で月は出てないぞ」
冷静な滝のツッコミが入る。
「見えなくても、地球の裏側の上まで飛ばす。穢れなき月の皆様に、穢れなきホームランボールをプレゼントだ。今日のテストのためにちゃんと古典の竹取物語も宮前と一緒に勉強したんだぜ。でもなんでウサギが出てこないんだ? あれって月の話だろ? 授業時間の関係で端折ったのか?」
弐戸の発言により、教室が静寂に包まれた。
(やっぱりバカだ……期末テストまでに何とかしてやらないと赤点かも)
一緒に勉強した、と言っても一方的に教えていただけだが、宮前の顔には心配の色が浮かんでいた。
「……ケースバイケースでスイングを考えてくれよ」
「……ツッコミどころが多すぎて何も言えんかったけど、タマちゃん、そのツッコミは野球選手としては正解だと思うで」
「もちろんさ。月に向かって打つってのはあくまで心意気だ。ホームランを打つけどヒットも打つ。状況によってはバントもする。しかし、野球選手の名言には結構月に関係したものが多いよな。月見草とか」
「自らを月見草に擬える選手が多いのは、野村克也氏へのリスペクトだな」
「やっぱりノムさんは偉大だよな。俺も捕手として尊敬している」
「私もだ。弱者が強者に勝とうとする精神こそが、私の原動力の一つだ」
「……俺もだ」
物静かな五十嵐も口を開いた。
「皆ノムさん好きか……生まれたときから猛虎やったウチとしては微妙な心境や。ところでイッシュー、ウダナンからスカウトきたんやろ?」
「ああ、今度の試合、知り合いも結構いると思う」
盛り上がっている彼らの耳に、楽器の音が届いた。それは運動部の掛け声と同様、学校全体に響き渡る吹奏楽部の練習音であった。
吹奏楽部というと、文化的で優雅なイメージがあるが、それはあくまで一側面だ。今響いているトランペットの人間業とは思えない高速かつ音域の変化も激しい演奏から、優雅という言葉が連想できる者がいようか? 今、ペッターは己の肺活量の限界と文字通り命懸けで戦っているだろう。
「……ペッター、死ぬんやないか?」
その演奏を耳にし、小田原ですら演奏者の心配をせずにはいられなかった。
「……吹奏楽部がこれだけ頑張ってるんだ。俺たちも負けてられないな。さ、練習行くぞ!」
弐戸の掛け声に、皆が答えた。着替えのため、女子は移動を始める。
(もしこれを複数人体制でやってないとしたら、トランペッターは呼吸に関係する超能者であると判断せざるを得ない。それを演奏のためだけに使うなら害はないから協会は何もしないけど……そう言えば演奏って、競技に含まれるのかな?)
更衣室に向かう時も、休まず響く鳴り物やトランペットの音を聞きながら、上川は考えた