運命
保谷光は、自宅のリビングで九枚の書類とにらめっこしていた。
彼女は野球の知識に乏しい上に、教師の仕事、超能協会の仕事で忙しいためあまり練習に参加できていない。
故に、体育の教師から譲り受け、本人たちからも閲覧の許可を受けたその書類……体力テストの結果をもとに、自分なりに部員の能力を分析していたのだ。
流石に野球部だけあって、各人各種目高得点を記録している。力也も他と比べれば見劣りするが、総合評価基準でBランク入りを果たしている。やっぱり、彼は本当に野球が好きになったのだろう。
その中で、一人の記録が気にかかった。
滝と小田原は、男子の基準を採用したとしても総合Aランクを取るべき成績だったのだが、上川真琴は、女子のものでBランクであったのだ。野球部でBランクなのは、彼女と力也だけである。必ずしも野球の能力とは一致しないが、体力テストの結果も良いに越したことはない。
体力テストはアスリートではない人間も考慮して制定されたものであるため、高校運動部には甘めに見える、と光は耳にしたことがあった。
グラウンドが借りられない日は、外周や空いているスペースを見つけて基礎練習に励む野球部であるのに、上川はBランクであるのだ。
「上川さんの運命、か……」
光がそう呟くと、バットを片手に携えた力也が、リビングに入ってきた。
「上川がどうしたんですか?」
「宇藤君、今日も素振りに行くの?」
光は質問には答えず、彼に質問を返した。
保谷光が宇藤力也を「宇藤君」と呼ぶとき、彼女は先生である。自然、力也も生徒としての態度を取るようになった。同級生に対しては、未だにふてぶてしい対応をしているが。
「ええ。心入れ替えて球児やり始めた俺ですけど、やっぱり、嫌なんですよ。思い通りにならないってことは。……でも、厳しいですよね。野球って。どんなに毎日素振りしようと、打てて三割なんですから」
彼は月の下で悪人染みた笑い声をあげていた『傍若無人な瞳』ではなかった。
「そう。頑張ってね。……上川さんのことだけど、どう思う?」
「上川ですか? どういう意味で?」
「選手として」
「そうですね。ミート能力と打球への反応は高い水準にあるものだと思いますよ。……ですが、パワーと走力がないってのは、否めないですね。俺が言うのもおこがましいことですが」
力也は淡々と評価を始めた。
「チームメイトとしては?」
「結構、初心者の俺も気に掛けて、アドバイスしてくれますよ。彼女も、長いこと野球やってたんでしょうね」
「皆から浮いているような感じはする?」
「いえ。全く。……俺ですら馴染めるチームですからね」
そう言って、力也は笑った。
「で、結局上川がどうしたんですか?」
再び同じ質問をした力也。光は少し間を置いてから、答えた。
「特に、何もないわ。少し心配だっただけ」
「そう言われると返って気になりますが、まあいいです。あの小さな身体で野球なんて、俺も少し心配ですからね」
力也は一礼して部屋を辞し、素振りに出かけたのであった
休日は母校のグラウンドで通して練習か、双江田ナインインパクツと実践に近い形の練習、あるいは午前午後で両方。
平日は基本的な練習。
三週間、ゴールデンウィークも返上で、営倫野球部はそんな日々を送った。
宮前は練習中、ほとんどマンツーマンに近い形で力也の指導に当たった。小田原も時々口を挟んできたが、十回憎まれ口叩くの中に一回は褒めの言葉があった。その指導を通じて、力也も少しは様になってきていた。
五月半ばの週は、中間テストがあるということで、学校全体に部活動停止令が掛かっていた。
家に帰って勉強しなさい、ということなのだろうが、彼女は放課後、ジャージを着たまま、定期を貰ってから毎日通っている場所へと足を運んだ。
それなりに人はいたが、彼女が目的とするケージは空いていた。
リーダーにカードを通し、約一八・四四メートル隔てたピッチングマシンのローターが回転し始めた。それから見たら右側の打席に、彼女は自前のバットを構えて立った。
マシンから放たれた球は、看板に偽りがなければ、およそ○・四七秒で、キャッチャーの描かれた板に到達していただろう。
だが、時速一四〇キロメートルの弾丸染みた球は、辿ってきたその軌跡を戻るように弾き返された。
一ゲーム二十球、いくつか打ち漏らしはあったものの、ほとんどそのようなピッチャー返しが続けられた。
(やっぱり、私には遠くに飛ばせる力はないか)
そう思いながらリーダーから戻されたカードを受け取ると、ギャラリーが出来ていることに彼女は気付いた。
「代わりますか?」
彼女は、観客たちに向けてそう問うた。彼らはざわざわと喋くりながらジャンケンをし、その一人をケージに入れることを決定したようだった。
彼女は傍らに置かれた椅子に腰掛け、営倫野球部の投手を思い浮かべた。
一人は、五十嵐一蹴。
彼は、このマシン程の速球を放れる。
だが、リトルシニアで外野手を務めていた彼が投手としての練習を始めたのは、高校に入ってからだった。
変化球もある程度投げられるが、癖に気付いた者なら彼の放ろうとする球種は読み取れてしまう。それは、本人や捕手ももちろん承知していた。
球速は投手を評価する上で重要なファクターだが、全てではない。人やチームごとに信念は異なるだろうが、営倫野球部のイデオロギーはもう一人をエースに選んだのだ。
そしてもう一人の投手、滝珠美。
彼女の放る最高球速は、時速一三〇キロ前半。
身体の完成していない高校生の女子が、ややサイド気味に投げる投法……スリークォーターでその数字を叩きだせることは驚異的だ。だが、この程度の速さを投げられる高校球児はざらにいる。
しかし、滝の真骨頂は球速ではない。彼女はスリークォーターでありながらアンダーでも投げられる、千葉ロッテマリーンズの小宮山悟投手のような二刀流ピッチャーであった。
加えて、両フォームで左でも投げられるスイッチピッチャーだ。いわば、投手として四つの顔を持っている。いずれのフォームでも絶妙なコントロールを持っているし、変化量はわずかながらもいくつかの変化球を投げ分けられる。
(余談だが、スイッチピッチャーで日本のプロ野球の一軍で投げたのは唯一人、近田豊年という選手が記録されている。彼は左ではオーバーだったが、右ではアンダーであった。しかし、公式戦で両手投げを披露することはないまま、球界を去っている)
現行の野球規則では、スイッチピッチャーは投球前に投げる腕を明確にしなければならない。
ある野球漫画には、リリースの寸前までどちらで投げるかわからない投法をするスイッチピッチャーが登場するが、真似すると反則投法となる。二〇〇九年度のルール変更は、ストライクゾーンの低目が厳しめになったことと、高等学校野球連盟により明文化された参加者資格規定から「男子」という二文字が消されたこと以外、ルールの変更は行われなかった。
スリークウォーターとアンダーを使い分けるだけでも、両フォームに気を使いながら練習しなければならないのに、加えて左でも同様に投げられるようになるまでは、どれほどの修練を重ねたことだろう。
滝はかつての自分と同じように超能のルールにおけるわずかな例外ではないか、と疑ったこともあったが、そうではなかった。今の営倫野球部に競技内で超能を発現できるものはいなかった。滝は努力のみでその神業をやってのけているのだ。
しかし、与えられるものは努力に見合ったものではないだろう。身体を壊すリスクも高まる。
本人が規則を知らない可能性を考えて、スイッチピッチャーに関するルールを伝えたことがあった。
それに対する滝の返事は、こうであった。
――奇妙なことを試してみる野球馬鹿が一人、いたっていいだろう。女なんだから。
滝は自分を実験台としているのだった。何故そこまで野球に殉じれるのだろうか? 素人の宇藤に見せた優しさと相反した、己に対する厳しさはどこから来るのであろうか? 恐らくそれを本人に尋ねても、同じような答えしか返ってこないだろうが、それを不思議に思わずにはいられなかった。
「あの……すいません」
思いふけっていた彼女に、先程ケージに入って行った男が話しかけてきた。快音が聞こえなかったから、ほとんど二百円を無駄にするような結果に終わったのだろう。
「どうすれば、あんなに打てるようになるんですか?」
その問いは、良く彼女に向けられるものであった。彼女は、それに対し、さわやかな球児然とした態度で答える。
「機械ですから、リズムが単調です。それに、このケージは左右両方に打席が拵えてあります」
「打席がどう関係があるんですか?」
「バッティングセンター側としては、事故は忌避する所でしょう。硬球は、死亡する可能性すらあります。そのため内角気味に球がいきにくいように設定されているはずです。しかし、両打席あるので、機械から見て左右どちらが内角になるかわかりません。つまり、両打席あるケージは、真ん中がほとんどです。身長の低い私にとっては高めになりますが、コースが絞られていることに変わりはありません」
「なるほど」
男はそうは言ったものの、今ひとつ理解できてないような顔をしていた。真ん中だとわかっていても、なかなか打てる球速ではない。
男たちが去った後、彼女もうワンゲーム一四〇キロと相対した。今度はピッチャー返しだけではなく、低い弾道ながらも綺麗なライナーや、球足の速いゴロが左右に打ち分けられた。
次に彼女は「八〇から一三〇ランダム・右打者用」と書かれた扉を開いた。
そのケージでも彼女はシュアなバッティングを見せた。
(マックスとミニマムに五〇キロの差があっても、ほぼ正確に一〇キロ刻みのランダムしかない。それに真ん中から外角よりにしか球が来ない……やっぱり、球が生きてない)
彼女は人間により全力で放られる球と、高校に入ってから相対してなかった。双江田ナインインパクツと合同練習の際、フリーバッティングをさせていただけることもあるが、それも打たれるために放られる球であった。
(生きた球を打ちたい、なんて贅沢なことを考えてはいけないか。今出来ることを出来るようにしないと)
本日三ゲーム目を打ち終えた彼女は、ケージから出て休憩を取った。
水分を補給しながら、今後の営倫野球部の行く末について考えていると、時の門が開かれたことを感じた。
(……時の介入者)
彼女はそう心の中で呟いた。
(平時の超能も衰えているけど、私が行くしかない)
オーナーの鈷井野氏に野球道具を預け、礼を言ってバッティングセンターを辞し、『時の介入者』の気配があった方角へ駆け出した。
彼女……上川真琴は、代々超能協会の幹部を担っている家系に生まれた。
その家系の第一子には、協会から一つの任を課せられることになっている。
それは、『時の保全』。
上川の家系は、時に関係した強い超能を持っている。彼女の外見が年相応でないのはそのためだ。
しかし、『超能ゴロ』にもまた、それに匹敵するだけの超能を持つ者がいる。
彼らは、時の流れの中を旅し、歴史を己の都合の良いように改変することがある、それを阻止することが『時の保全』であり、真琴に課せられた使命なのだ。
彼女はそれを厭い、自らの超能を消すため、家族の留守中家を抜け出して参加してから興味を抱いた野球を始めようと思い立ち、家族に提案した。
当然、家族はそれに猛反対した。彼女は葛藤の末家出を試み、超能者でない遠縁の家族を頼り、そこで、野球に打ち込もうとした。
しかし、当時の彼女は、競技内でも超能を発現できてしまった。
競技から受ける超能の影響には個人差がある。試合でも超能を発現出来る者も入れば、少しバットのスイングを練習しただけで全く超能を失ってしまう人間すらいる。また、自らが超能者であると気付いていないアスリートは、無意識に競技中、特定の条件に限りそれを発現させることもある。
時間を自由に操れる自分が競技に携わっていたら、他の選手に迷惑が掛かると考えた彼女は、他人と共に野球をするのを避け、ずっと一人で、壁当てや素振りを続けた。
一人での練習より、明確に規定されたルールの中、多くの人数で競技をしたほうが衰えは早いが、仕方なかった。
それにより超能は少しずつ衰えていったが、僅かながら時を止めたり戻したり、競技を著しく有利にする程度の力は、彼女に残り続けた。
そして、野球を一緒にやってくれるような子は、年齢を重ねるごとに少なくなっていき、衰え具合を計るための競技すら出来なくなった。
一人で練習を続ける年月を重ね、中学校の修了を控えたある日のこと、母から連絡があった。
そこで彼女は、『時の保全』を執り行っていた父親が戦いの最中に視力を失ったこと、そして、妹が『時の保全』を行うための教育を受けていることを知らされた。
そして、母親から生まれて初めて頼みごとを受けた。
妹の星子に、『時の保全』を行える力が備わるまで、それを代行して欲しい。と。
真琴は、自分の我儘を、家族が受け入れてくれたことを理解した。野球の練習で衰えた超能しか持たなくても、その頼みを断る訳にはいかなかった。
真琴は実家に戻り、母と妹、父に謝罪した。時を戻せるなら戻したかった。野球に携わる前はそれが出来た。しかし、時を戻すほどの超能の力は、そのときの彼女にはなかった。
三人はそんな真琴を咎めることなく、寛大に受け入れた。そして視力をなくした父は、彼女にこう告げたのだった。
「来年度から、高校野球、女子解禁になるらしい。今すぐ野球部がすぐ女子を受け入れるとは限らないが、今年から女子校から共学になる学校で新しく作れば、女子も認めてくれるだろう」
父は、野球を続けることを許可してくれたのだった。
真琴は野球部を作るために営倫に入学した。
自分で作ろうとしていた野球部は、他の者が登録申請をしていたが、彼らは真琴を快く迎え入れた。
その部には既に女子がいた。その中の一人、小田原縁というものは、女子ながら努力と根性を標榜する典型的な熱血球児であった。彼女は真琴にも容赦なかったが、ずっと一人で練習を積み重ねてきた真琴は、難無くそれをこなすことが出来た。
「残念やな。マコちゃんにはケツバットできへんな」
彼女は冗談めかしてそう言ったりしたものだった。
そして、活動の中で、ついに彼女は、競技内で超能を発現させることが出来ないようになれたのだった。
(もうすぐ超能自体もなくなるはずだから。……これが、最後の使命でありますように)
そう考えることは、自分の責任を妹に押し付けたいと願うことだ。しかし、偽らざる本心であった。
公園の入り口に、その男は立っていた。特に浮くような格好ではなかったが、真琴は彼が時の介入者であるとすぐに理解できた。
「……『強制送還』」
真琴は、その男の肩に触れ、そう宣言した。野球により超能の衰えた彼女では、『強制送還』、時の介入者をいるべき時に強制的に戻す能力は、対象に触れていないと発動できない。
「お前は時の保全者か」
しかしその男は今の時に留まり続け、真琴の手を払い、距離を取りながら感情の篭らない声で答えた。
「保全者が来るのは想定の範囲内だ。邪魔をするなら消えてもらう。今日、あいつには人を轢いてもらわないと困るのでな」
強制送還に失敗したのを理解した真琴は、その男が自分より格上の超能者であることを理解した。それと戦闘になるのは明らかに不利だ。
しかし、その最中で、強制送還に対する防御を解く瞬間がきっとあるはずだ。強制送還に対する防御を続けていたら、他の時系超能……戦闘の際に良く使われるのは流れる時を止めることだが、それに対する防御も出来ないし、自らが時を止めることも出来なくなるからだ。
時止めと強制送還、どちらに対する防御を取っているかはこちらからは確認できないが、攻撃のために超能を使ったなら、こちらが時止めに対する防御を張っていれば、つまり、相手が止めたはずの時間に介入できれば、その間は強制送還に対する防御が張られていないと確信できる。
しかし、それは真琴にも同様だった。強制送還の準備をしている間に時を止められたら一方的に攻撃を受けるし、時止めに対する防御を張っていたら強制送還が出来ない。超能なしの戦いになっても、身体の差から真琴が不利であった。
戦闘の展開方法を思案している真琴の腹に、拳がめり込まれる痛みが走った。しかし、男は全く動いていなかった。……時を止めて殴りに行った後、再び距離を取って、止まった時が再び動き出したのだ。
ヒット&アウェイ。止めたはずの時に介入され、身体を掴まれて強制送還を宣言されたら負けとなる男の側からしてみれば、適切な戦法であった。卑怯とかせこいとか、体裁に関することは全く気にしていないようだ。
真琴の側からすればかなり不利となる状況だ。加えて、真琴は「時よ止まれ」と宣言しないと時を止められない。しかし男は予備動作なしに時を止められるのだ。真琴のみが攻撃から防御に切り替えるべき瞬間を認識し得ないのは大きな不利だ。
男が刃物や銃器を使ってこないのが不幸中の幸いと言ったところであった。
真琴は時止めに対する防御に専念しながら距離を詰めた。もし一瞬でも油断が見えたときに、その一瞬の内に男と接触して強制送還を発動させるためだ。
「……何もしてこないのか」
男は憮然とした表情で真琴に言い放ち、距離を取る。男はその距離を行って、殴って、戻る程度の時間しか止められないと真琴は理解した。
「それなら、提案がある」
男にそう言われた瞬間、真琴の頬に鈍痛が走った。油断する一瞬を見逃さない、と考えておきながら、男の言葉のせいで時止めに対する防御を解いてしまったのだ。
「甘いな」
男は嘲るように言い捨てた。勝利を確信しているように笑みを浮かべた。
「甘いのはあなたよ!」
そんな男を、背後から羽交い絞めにする者があった。長身長髪容姿端麗、グラビアモデルのような女であった。
「貴様! いつからそこにいた?」
「時の介入の気配があってから、すぐに駆けて来た。あたしはまだ強制送還が出来ないから、お姉ちゃんが来るのを待って、隠れてタイミングを見計らってたの……時防御、解かせてもらったわ」
二人が話しているうちに真琴は男に接触し、強制送還を宣言した。その男は掻き消え、場には真琴とその女が残った。
「……星子。助けてくれてありがとう」
「そんな言葉、いいよ。お姉ちゃん。それにしても、あの男に、お姉ちゃんが受けた苦しみを受けさせてやれなかったのが残念。まあ、あいつの処置は、あいつがいるべき時間の協会の人達に任せるか」
二人が交わす言葉は、不自然に見えるだろう。どう見ても幼く見えるほうが相手を呼び捨てにし、年上に見えるほうが相手をお姉ちゃんと呼んでいるのだから。
この女、星子は、真琴の妹であるが、時系超能の影響を、逆のベクトルで受けた結果でこのような見てくれなのだ。
「お姉ちゃん、苦労掛けさせてごめんね。あたしもそろそろ強制送還が出来るようになるから、それまで、一緒に頑張ろう」
「いえ、私こそ、我儘で野球を始めて、家族の皆に迷惑かけて、……本当に、ごめんなさい」
「上川真琴さん」
星子は、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、姉をフルネームで呼んだ。
「運命に抗うことは、逃亡ではありません。受け入れることと同じか、それ以上の勇気が必要なことです。自分を低く見ないで下さい。あなたは、営倫野球部になくてはならない選手なのですから」
そして、営倫野球部の顧問、保谷光が、真琴にユニフォームを渡したときの言葉を、引用した。
「……どうしてその言葉を?」
「保谷先生って、良い先生だよね。あたしに責任を押し付けて逃げたお姉ちゃんのこと、恨んだこともあったけど、先生のお陰で、お姉ちゃんを尊敬できるようになれた」
真琴は、超能者でありながら、教師であり、野球部の顧問でもある保谷光に、もう何度目かわからない感謝の気持ちを感じた。
姉は運命に抗い野球を始め、妹は運命を受け入れ戦いに身を投じた。違う道を歩む二人だが、勇気ある姉妹は、お互いを認め合い、尊敬しあったのであった。
「ところで、『傍若無人な瞳』さん、今はどうなの?」
「……誰それ?」
「あ、知らないならいいや。忘れて」
保谷先生は、姉に、宇藤力也が、かつて『超能ゴロ』であったということをあえて伝えていないのだろう。状況からして気付いても良さそうなものだが、無意識にその可能性を考えることを回避してるのかもしれない。
まあ、今は問題なくお姉ちゃんのチームメイトやってるようだし、本人が気付いてなく、保谷先生が教えてないなら、わざわざ私が教える必要はないか。と星子は考える。
「バッティングセンターに荷物、預けてあるんだった。取りに戻るね」
「あ、あたしお姉ちゃんが打つ姿、見てみたい。ケージの外から見てるぐらいだったら、超能にも影響はないと思うし」
「うん。一緒にいこう」
姉妹は連れ立って、バッティングセンターへ向かった。
「鈷井野さん。荷物、預かってくださって、ありがとうございます」
「全く、うちはコインロッカーじゃねえんだぞ」
白髪混ざりの鈷井野は、真琴の荷物を突き返す様に手渡した。
「ところで、まだ打っていくのか?」
「はい。ご迷惑でなければ」
「迷惑なんかじゃねえよ。平日は休日より空いてんだから、打ってけよ」
「ええ。ありがたく打たせていただきます」
「言っておくけどな、お前らに定期渡したのは、物乞いみたいな真似しなきゃ道具もないようなチームが大会に出たら、高校野球のレベルが下がると思ったからだぞ。少しぐらい優遇してやらないと、見ててもつまらない試合しか出来ないだろうからな」
鈷井野は従業員控え室に戻っていった。
彼の憎まれ口を、星子ははらはらしながら聞いていたが、真琴は笑っていた。
「ねえ、あのおじいさん、怖くない?」
「良い人だよ。口が悪いのはいわゆる一つの愛情表現なんだと思う」
鈷井野に対する寸評を済ませた後、真琴は「一四〇・両」と書かれた扉を開けた。
身体の小さな真琴に、難無く打ち返されていく速球。二十球を打ち終えて、彼女はケージから出た。
「すごいね。あたしだったら、時を止めても打てないと思う。お姉ちゃん、超能使ってないのに打てるんだね」
星子は姉の両手の平を見た。あどけない容貌に似つかわしくないほどに、バットダコでごつごつしていた。