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2日目その2

校門前には『許可無き者の立ち入りを禁じる』と言う看板があったが、宮前の許可があったと自分に理屈をつけてグラウンドに侵入し、子供に囲まれている宮前を認めて彼の元に駆けて行った。

「あ、宇藤君、来てくれたんだ」

 宮前は心底嬉しそうだった。

「僕、ここの蛍フェニックスのOBで時々教えに来てるんだ。今日は五年生以上は試合に行ってて、四年以下はここで練習」

「そうか。……で、俺もこの中に混じって練習しろ、って訳か?」

「うん。僕としても勉強になるよ。人に基本を教えるってことは、自分に基本が出来てなきゃいけないし。野球が本当に好きな子達に囲まれてると、僕も元気が出てくる」

 俺はガキと一緒に練習することに抵抗があったが、宮前はそれが好きらしく、眼がキラキラと輝いているようであった。どうも、宮前に対し逆らってやろうと言う気持ちは起きない。あまりにもピュアだからだろうか。

「皆、このお兄ちゃんは、宇藤力也、と言って、僕のチームメイトです」

 宮前は、保父さんのような態度で、子供たちに俺を紹介した。

「じゃあ、宮前さんと同じぐらい上手なんですね!」

 一人がそう言うと、子供達の眼は一斉に俺に羨望の光を向けてきた。

「……いや、多分、皆より下手だ」

 俺がそう言うと、その瞳に落胆の色が灯った。悔しいが、本当にそうなのだ。それにしても、子供は表情がコロコロと変わって見ていて面白い。

「こらこら、皆がっかりしないの。誰だって最初は下手なんだから」

 はーい、という返事の合唱。宮前は子供の扱い方を心得ているようであった。

 その後、俺たちはグランド二周を走り、柔軟をしたあと、再び宮前を半円に囲んだ。宮前は俺たちを二つのチームに分けた。俺は小さい子が多いほうに割り振られた。宮前は俺が属していない方のチームにキャッチボールの指示を出した。彼らはグラウンドに散り、宮前の言ったとおりに動き出した。

「じゃあ、こっちのチームは、ボールになれる練習をするよ。千恵さん、来て」

「はい!」

 宮前に呼ばれた千恵と言う女の子は、グラブを着けないまま宮前から何メートルか距離を取った。皆、これから行われることを理解しているようで、その妨げにならないよう陣形を変えた。

 宮前は、彼女に向けて軽くゴロを放った。彼女は軽く前進したあと、低く腰を降ろしてそれを捕球し、宮前に向けて同じように転がした。球にバウンドをつけたり、左右に投げ分けたりしながら、往復を繰り返した。

「じゃあ、これを二人一組でやろう。直すべきところはお互いに注意してあげてね。さあ、声あげていこう!」

 宮前がそう宣言すると、子供たちは各々二人組みを作って散らばっていった。

「宇藤君は千恵さんとになるかな。彼女、この練習に関しては一番上手いんだ」

「あれ、宮前はどうするんだ?」

「僕は皆を見てまわるから」

「よろしくお願いします! 宇藤さん!」

 千恵から礼儀正しくも元気一杯の叫びが、俺に向けられた。俺たちは先程の手本のよろしく距離を取った。

「いきます!」

 そう宣言されて、俺は身構えたが、なかなか球は放られなかった。

「いきます!」

 もう一度、千恵は叫んだ。そこで、俺の返事を待っているものだと気付いた。おう! と、皆を真似て叫ぶ俺。

そこでやっと、俺に向けて転々とボールが放たれた。それを拾い上げようとしたが、俺の左手に丸い球が収まった感触はなかった。後ろにコロコロ転がっていく軟球を、俺は追いかけて取り、再び千恵と対面する。

「膝が硬くて、腰が高いです」

 そう言って、千恵は膝を曲げて構えを取った。いきます、と彼女と同じように宣言し、俺は彼女向けて球を転がした。

 その軌道は正面から大きくずれたものだったが、彼女はフットワークを利かせ正面となる位置を取り、自然に左手に球を収めた一瞬間の後、それに右手を添え、落とさぬようにキープした。その様は、引き付けあう磁石を連想させた。

 俺に返される球。それは俺の真正面を這った。言われたことを意識し、それを左手に収めようとした。だが、球は手からこぼれた。

「右手も使ってください」

 次に俺が投げた球は、最頂点が千恵の胸の高さぐらいになる放物線を描くバウンドのついたものだったが、それでも千恵は難なく左手に収めた。

 俺たちは宮前から休憩の宣言がかかるまで、何十往復とそれを続けた。後のほうでは俺も球を零すことは少なくなったが、それでも千恵のように綺麗な動きは出来ていないと自分でもわかった。

「小学生って、結構侮れないな」

 俺はスポーツドリンクのペットボトルを片手に、宮前に話しかけた。

「うん。皆野球が好きで始めたから、吸収が早いんだ」

「野球が好き、か」 

 俺はそう呟いてみて、自分の境遇について思い起こした。

 俺と野球の出会いは、この上なく奇妙なものだった。富の部屋の大きな本棚に納められた野球作品の中にも、俺と同じような出会いをしたキャラクターはいないだろう。

 野球部に入る、と宣言したのは、富が恐いからであった。先日の昼休み、グラウンドに向かったのは、早晩超能が封印される領域に行かなければならないなら早く行ってしまおう、と思ったからだった。関西弁女小田原のしごきを受けた後、俺に入部届けを書かせたのは、富への恐怖と共に、宮前からの期待であった。俺に十キロを走らせたのは、野球部員共の熱気であった。そして、蛍小に足を運ばせたのは、嫌な夢と富の薀蓄であった。

 俺は、流されて野球をやっているだけだ。だが、超能のない俺はそれに逆らうことは出来ない。

「宇藤君も、きっと上手くなるよ」

「俺が? なんで?」

「楽しそうだもん」

 俺に対してそんなことを言うなんて、宮前の眼鏡には、野球をしてる人が皆楽しそうに見えるコーティングでもかかっているんだろうか。

「練習してるとき、皆と同じように眼がキラキラしてたし、声が気持ち良さそうだった」

 そう言うと、宮前は立ち上がり、俺に向き直った。

「さ、次はキャッチボールだよ」

 その口調から、宮前は俺が野球好きだと確信していると推測できた。

 宮前にそう言われると、俺も実際そうなんじゃないかと思えてきてしまうのが不思議だ。

 結果的に、機会があれば野球に関わっているのだから。


キャッチボールやバント練習でも、千恵をはじめ子供達から様々な注意を受けた。人からこんなに注意を受けたのは生まれて初めてかもしれない。十一時ごろ、宮前は今日の練習の終了を告げ、グラウンドに自ら率先してトンボを掛けた。もちろん、子供達もそれに続く。

「ありがとうございました!」

 そして、グラウンドに対する感謝の言葉が響いた。

「さて、営倫高校に向かおうか」

「あれ、昼飯は?」

「僕はお弁当用意してある」

 一旦宮前と別れて、帰ってなんか食べようか、と考えていたところで、鞄にしまってあった携帯電話に富からの連絡が入っていることに気付いた。『私はもうお弁当作って学校に行ってるね』とのことだった。俺はその旨を宮前に告げた。

「じゃあ一緒に行けるね」

「ああ」

 道具の片付けを終えた俺たちは、連れ立って蛍小の敷地を出た。

「そうだ。これ、保谷先輩からもらった?」

 宮前が鞄から取り出したのは、一冊の本だった。表紙には妙にキラキラした、ユニフォーム姿の男が描かれている。『明方球児の戦略野球』と銘打たれていた。

「いや。なんだこれ?」

「保谷先輩手作りの野球の教本。宇藤君、攻撃の作戦……エバースとか時間差スチールとか言われてもわからないでしょ?」

「ああ」

「もうサインは決めてあるんだけど、作戦が意味するところをわかっていないうちに教えても効果ないからね。月曜日にテストするから、明日のうちに頑張って覚えてね」

「了解」

 俺は差し出された本を受け取り、適当に開いてみた。そのページは『スクイズプレイ』という項で、キラキラしたイケメンのバッター『イチヤ君』と、それに比べて妙に幼く見える三塁ランナー『ヤナガワ君』がテレパシーのように意思疎通して、『スクイズプレイ』とはなんであるかを説明していた。

 こんな本を富が作っていたなんて驚いたが、そのお陰で『スクイズプレイ』というものが理解できた。要は、投球とともに三塁ランナーがスタートし、バッターは確実にバントで転がして一点を絞り出すプレイだ。

「……それにしても、なんなんだこの本は」

 俺は率直に感想を述べた。保谷富という人間が、また理解しがたくなった。

「結構面白いから頭に入るよ。僕は良く知らないんだけど、コミックマーケットとかいうアマチュアが作品を発表するイベントでも販売したんだって。保谷先輩、絵上手いよね」

「とりあえず、ありがたく受け取っておくよ。作者さんのほうにも後で礼を言っとく」

 俺はその本をしまい、これで勉強するために早いうちに今読んでいる漫画を読み終えてしまうか、と今夜の予定を立てた。


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