文化祭
試合は一―〇で宇多南の勝利となった。
「すまない。私の指示のミスだった。センターの送球の良さは、前進守備とはいえ上川をセンターゴロに刺したことからも想像できていたはずだ。失点一と共に、敗因は多く私にある」
試合終了後、片付けの最中、滝は皆に謝罪した。
「いや……俺のせいだな。突っ込むんじゃなくて回り込んでタッチに行くべきだった。……宮前だったらセーフだったかもな」
「いや、あれはセンターの強肩が成した業だよ。僕でも無理だったかもしれない」
力也の呟きに、デッドボールを頭に受けて治療を受けに行った筈の宮前が答えた。
「そうか。本人に言ってもらえるなら気が楽……ってなんでいるんだよ宮前!」
「起きたのは神野君がかけたタイムが終わってから。ベンチに戻ったときには試合が終わってたから整列には参加できなかったけどね。気付いたら担架の上だったけど、特に問題なかったみたい。手も少し傷めただけ。眼鏡はつるが少し歪んだけど壊れてはいない」
「この試合、反省点は多くあるな。片付け終わったらミーティングだ」
弐戸が主将然とした態度で言い切る。
「キャプテーン、文化祭なんだから後に回しましょうよ」
「試合結果は生鮮食品だ。その日のうちに味あわないとダメになる。文化祭は明日まである」
「そうや。イワオ甘いで。それにしても上手いこと言うなニコガク。バカやけど」
「バカって言うな!」
「ゲーム始まる前、自分で野球馬鹿って言ってたやん」
「あれは先生に対してだからだ!」
関西気質の小田原が、弐戸と漫才を始める。
「そういえば、保谷先輩、負けたら罰ゲーム、って仰ってましたよね」
上川の一言で、選手全員がマネージャーの方を向いた。
「ああ……感動しちゃったからいいや」
「そうはいきまへん先輩。球児に二言はないねん」
総意も内容も確認せずにすぐさま答える小田原であった。
「……小田原さん、俺に『安請け合いすなや』って言ったっすよね」
「約束をすることと果たすことは違うねん」
翌日。文化祭二日目である。
「……なんか、新庄選手がいたころの日本ハムみたいだな」
黒いコスチュームを着た滝が呟く。
「どっちかっつーと野球部が変な集団に乗っ取られたって言った方が近い気がするわ」
色がピンクであるという点を除けば似たようなものを装着した小田原が答える。
「これ、試合前にやっておけば良かったな。新庄選手が扮装をした日の勝率は八割だからな」
弐戸は、顔面を真緑に塗り、頭部から二本の触角を生やしたような扮装をしていた。二〇〇六年度のオールスターゲーム第一戦で、日本ハムの森本稀哲選手がしたのと同じ格好である。
女子陣二人と赤の五十嵐、青の葉樹、黄色の神野と一緒にいると、「正義のヒーロー」と「悪い宇宙人」と言ったような感じである。
「マコちゃんは和服か。似合うとるで」
「……え、そう?」
「七五三みたいでな」
「……私、そんなにちっちゃい?」
上川の家系には年齢相応に見える外見の人間が少ないため、真琴は特にその見てくれを気にしているわけではないのだが、ちょっと悔しかったのでわざとらしく膨れて見せた。
(やっぱり、上川さん可愛いなあ……皆もヒーローでかっこいいし、弐戸君はピッタリだし)
見守る富。これが彼女の言っていた罰ゲームである。
結成当時から、野球部メンバーは色々な形で注目されていた。元女子校で、野球部も出来たばかりなのに、甲子園を目指す集団。ドラマチックである。注目を浴びるのも当然と言えば当然であった。
そこを殊更に目を付けたのが漫画研究部であった。
実は、富は一年の時はそこに所属していた。野球部が出来たため、二年になって転部したが、身体が野球部に行っても魂はマンケンに置いておいた。制度上は一つの部にしか所属できないが、協力は自由である。
「さすが富。学校のスターの野球部にこんなかっこうさせて引き連れてくるなんてね」
マンケン二年の一人がほくそえむ。
「ええ。意外と皆コスプレに抵抗なかったわ。新庄選手のお陰かな?」
「あれ、ところであの二人は?」
「……今連れて来るわ」
そう言って出ていった富が連れて来たのは、営倫の女子制服を着た力也と、彼の後ろに隠れるようにポジショニングしている、メイド姿の宮前だった。カツラも装着済みである。
「……なんで俺と宮前はこんな格好なんだよ」
「そういうニーズがあるんだよ」
「……野郎に女装させるニーズがあるってのか」
「ここは元女子校よ」
「……女子校って恐ろしいところだったんだな」
溜め息をつく力也。
「うにゅ~……恥ずかしいよお……」
萌えキャラにしか許されない台詞をさらっと言ってのける宮前。
「宮前、俺だって恥ずかしいんだ。お前も前に出ろ。俺を盾にするな」
「でもぉ……」
ぐずる宮前。力也はそんな彼の肩をグッと掴んだ。
「いいじゃないか! 球児なんだから、給仕の格好をしても! 良い洒落じゃないか! 宇藤が打とうなんかよりな!」
良くわからない励まし方である。力也も自暴自棄気味であった。
「そうよ! メイドさんと野球には深い関係があるのよ! 詳しくは言えないけど!」
「ほら、マネージャーの先輩だって言ってくれてるじゃないか!」
力也は宮前の肩を握る力を強めた。
「痛いよ、宇藤君」
「ああ、すまない」
マンケン部員たちは、二人の背後にバラの花が舞っているのを見たような気がした。
(グッジョブ! 富!)
(おうよ! リキ×ソウの同志達よ!)
二人の女装、というよりかは、「恥ずかしがる宮前」と「元気付ける力也」を見たかったマンケンの一同であった。
「宇藤君からほとばしる、宮前君への愛の波動砲! ありがとぅ富! 腐女子の夢を現実にしてくれて! この情景は一生忘れられない!」
「そんなもんは出してねえ! なんで『う』が小さいんだ! とっとと忘れろ!」
実況まで始めたマンケンの女子たち。しかもアルファベット二文字+苗字を登録名としている某野球選手の発言から引用しまくりである。
彼女らの多くは先輩であるが、そんなことを全く気にしていない様子の力也。
「宇藤君、宮前君の好きなところは?」
「いきなりそんなこと聞くな!」
「全部? 全部だよね? その答えはそう受け取って良いんだよね?」
「なんでそうなる!」
そんな混沌とした状況の中、一人の来客があった。それは、四月に力也と守備の基本練習をした、千恵と言う女の子であった。力也も彼女を記憶していた。
「え……お兄ちゃん?」
彼女は宮前を見て、未知の存在と遭遇してしまったような顔を見せた。
「ちーちゃん!」
「あれ、お前ら、兄妹だったのか?」
「……うん。ちーちゃんに見られた……」
既に赤くなった宮前の顔は真っ赤になった。
「その割には他人行儀だったじゃないか」
「……グラウンドでは兄妹よりも選手とコーチの関係が優先だから。皆の混乱を避けるために名前で呼んではいたけど」
「お兄ちゃんと宇藤さんがそんな格好を……」
彼女は卒倒してしまったのであった。
「ミヤさんの妹って、何年生?」
「……小四」
「マコちゃんより年上に見えるな。身長も高いし」
「やっぱり私、そんなにちっちゃい? ……何度も言われると落ち込むよ」
「あ、ごめんなマコちゃん」
宮前君の妹まで登場して、野球部はカップリングに事欠かないなあ、と観衆は思うのだった。
若草は、試合の翌日のため練習が休みであったので、営倫学園へ足を運んだ。
先日は片付けやら何やらで機会を逸してしまったが、保谷先生からどうしても話しを伺いたかったのだ。
人に尋ねながら、彼は屋上に辿りついた。
そこで、ベンチに腰掛けている保谷光を見つけた。
文化祭なのに、こんなところに一人で何をしてるんだろう、と、若草は彼女を遠巻きに観察した。
「そこにいるのは誰?」
彼女は人の気配に気付いた様子で、若草のいる方を向いた。
「失礼しました。覗きのような真似をして」
「ああ、若草くん……だっけ? 何か用かな? 昨日のこと?」
その正体がわかって安心した様子の彼女は、若草を手招きした。
「何してらしたんですか?」
「え、えっと……これ、食べる? 貰い物だけど」
光は、若草に手作り感溢れる洋菓子の袋を差し出した。文化祭の模擬店で、それを見かけたような気がする、と彼は思い出した。
「……つまり、ここで隠れてお菓子を食べていたと」
「皆には内緒よ」
彼女は自らの口の前に人差し指を立てた。あれほどのチームの監督なのだから、怖い人かとも思ったが、そんなことはないようだ。かなり可愛らしい面もある。歳もまだ若く見えるし。
「あ、結構美味しいですね」
若草は菓子を一つ摘んで口に入れた。
「そうよね。ただで貰ったのが悪いぐらい。普段のお礼、ってことらしいけど、先生が生徒を指導するのは当然のことなのに」
この保谷光という人物は教師としても好かれているようだ、と若草は思う。
「お話し、よろしいでしょうか?」
「ええ。答えられる範囲ならね」
「ありがとうございます……いきなり技術的なことをお尋ねしますが、あれほどの守備を、どのようにして完成させたのですか?」
「私は何もしてないわ。あの守備が出来るようになったのは、週一回、合同練習をしてくれる草野球チームのお陰」
「他には?」
人が多く、設備も充実した環境で、日々練習している自分たちだって、あれほどの守備はできていない、それだけではないはずだ。
「うーん……感謝の気持ち、だと思う」
「感謝……ですか」
曖昧な答え。若草は続きを待った。
「僅かでも時間を割いてくださる草野球チームの方に対する、ね。だから、一回一回の練習に、全身全霊で打ち込めるのよ。手を抜いたプレイは、先方に失礼にあたるから」
感謝の気持ち。もしかしたら、恵まれた環境の中で、忘れていたことかもしれない。
「感謝、と言えば、鈷井野バッティングセンターの方にもね」
「鈷井野さん、ですか。彼、元気にしてますか?」
若草は、幼い頃は良くそこに行ったものであった。たまに指導もしてもらった。今は学校にケージがあるから疎遠になっているが。
「ええ。……彼ね、うちの選手全員に、定期券、くれたのよ……最近は道具をないがしろに扱う選手が増えているけど、ボロボロの道具を使ってでも野球をやりたい球児に、少しでも貢献したいってね。皆にはそんなこと言わないけど、顧問の私にだけ、本心を伝えてくれた」
点こそ取られなかったが、打撃の方でも、最後まで時速一五〇キロの保志に喰らい付いてくる気概を見せたのは、そこに拠るところが多いのかもしれない。バントすら容易ではない球速であるのに、四回裏に見せた三者連続バント成功もそうだ。
「それと、楽しもうとする精神、かな? 私自身も素人なのに顧問をやる、なんて、最初はちょっと怖かったけど、今はすごく楽しい……チームメイトを押しのけてレギュラーを狙う環境の若草君には、甘く見えるかもしれないけど」
上川と同じく、今や光も超能者の戦い以上に深淵な野球という競技に、心を奪われた人間である。当然、若草はそんなことは知らないが。
「いえ、孔子の言葉に、『これを知る者は、これを好む者にしかず。これを好む者は、これを楽しむ者にしかず』とあります。……野球でも、当てはまるものだと思います」
若草は、彼女が古典の教師だということも知らなかったが、日頃勉学にも精を出しているお陰で、彼女が言おうとしていた言葉を先回りして言うことが出来た。
「……私ね、ある選手に、甲子園に連れて行って欲しい、って言ったのよ。でも、そのときは本当はそんな期待をしていなかった。……今は、そうなるかもしれないって思ってる」
「ライバルですね」
若草は、営倫が強いチームであるという肯定と、甲子園は宇多南が行くから営倫は行けないという否定の、二重の意味を込めた返答として、『ライバル』という言葉を選んだ。
「他には何か聞きたいことある?」
「そうですね……攻撃のサイン」
「言う訳ないじゃない」
光が出していたサインは全て『打者委任』であったのだが、それでもサインを出す振りをしていたのは、もちろん相手を騙すためである。
「冗談です」
二人は笑い合い、その後もお菓子をつまみながら野球について論じ合った。
「貴重なお話、ありがとうございました。大変ためになりました。昨日の試合に関しても、皆きっとそう思っています。宇多南を代表して、お礼させていただきます……美味しいお菓子をいただいたことも含めて」
「ええ……こちらこそ、ありがとうございました。営倫を代表して、お礼いたします」
昨日は騙しあう、盗みあう間柄であった二人は、今は固く手を握り合った。
「私は野球部の皆のところへ行くけど、若草君はどうする?」
「学校のイベントの最中も、彼らは一緒に行動をしているんですか?」
「仲も良いからね。……仲良しのチームって、どう思う?」
「甘えが生まれないなら、仲は良いに越したことはありませんね。彼らの生活も気になりますし、ご一緒します」
光が先導となって、二人は校舎内を歩く。
「保谷センセー、その人、彼氏?」
途中、そんなことを尋ねてくる女生徒がいた。
「いや、昨日の対戦チームのキャプテン」
「あ、そうなんだ。昨日はかっこよかったです」
それが自分に向けられている、と気付いた若草は、少し反応が遅れながらもありがとうと返した。
「俺、すぐに下がったのに、覚えていたのですか?」
「いや。でも、皆かっこよかったから」
それだけ言うと彼女は去ってしまった。今ひとつ、若草には理解できない動きであった。
「女の子は苦手?」
「男ばかりの環境で育ってきましたから、女性というものはあまりわからないですね。もし、男女混合の野球チームの監督を頼まれても辞退します。前例がありませんから」
「でも、きっと思ってるより簡単よ。野球をやるって一つの目的で形成された集団だから」
そうは言っても、人の心というものは難しい。投手の保志と自分を取ってみても、全く主義主張や性格はことなるのだから。
考えながら、野球部の面々がいる第一美術室に通された。
「な、なんだこの状況は……たまげたなあ」
あまりにカオスな様相に、開口一番、呟いてしまった若草であった。
某野球バラエティゲーム風小説を書こうとして出来上がったのがこれ
結果わけのわからんものになってしもうた
でも後悔はしてない