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終戦

 宮前の右手の痛みは、先刻のバックサードで、激しさを増していた。

 素手で捕球した小田原さんがあんなに元気なんだ、僕も気合を入れなきゃ、と、打席を外して素振りをしてみたものの、どうも庇うようなスイングしか出来ていない、と自分でもわかっていた。

 だが、出塁しなくてはならない。ツーストライクに追い込まれているけど、一番の自分が出塁しなくては、チャンスを作れない。

 三球目、それは保志の決め球だったが、ファールで粘る。ボールを投げてこない相手だが、粘っていれば、何かは起こるはず。


(くそ……しぶといな)

 追い込んでから、続けざまに決め球をファールにされている保志は、ツー・ナッシングという圧倒的に有利なカウントにあっても、逆に精神的に追い込まれていた。

(もう一球……決め球で……)

 保志はボールを握る手に力を込めた。

 だが……その無駄な力のせいで、放った球は、全く意図しない軌道になった。

 それは、打者の頭に突き刺さり、ヘルメットと共に宙を舞った。

 デッドボールと共に、タイムが宣言された。


「臨時代走、宇藤力也」

 タンカで運ばれる宮前を見送り、悲愴な空気が流れる三塁側ベンチの中、富は言った。

「デッドボールを受け、その治療が長引くと審判員が判断した場合、それを相手チームに説明する。……今、この前提は一目瞭然でなっている。攻撃側は、試合に出ている選手の中で、そのとき出塁していない選手を代走に送ることが出来る。原則、打順が遠い選手だけど、バッテリーは除外される」

 淡々とルールを説明する富。皆それに従うしかなかった。この状況、それ以外の選択肢はない。……そうしなければ、誰もが望まない結末で、試合は終わってしまうのだから。

「……ああ、わかった」

 力也はヘルメットを被る。それは先程の打席で彼が使用していたものであった。

……もし、ヘルメットがなかったら、宮前はもっと酷いことになっていただろうな。さっきは叩き付けたりしてごめんな。勝手なこと言うようだが、もう一度、協力してくれ。事故から俺を守ってくれ。

「宇藤」

 次の打者の小田原が彼を呼び止める。

「……宇藤にミヤさんと同じ働きが出来る、なんて期待しとらへん」

「……ここは励ますところじゃないか?」

「だからな、うちら後続のバットで返したる。そして、うちも得点になって、この試合、勝つ」

「……頼んだぞ」

「任せんかい」

 小田原は拳を突き出した。

「……なんで身体引くねん」

「さっき殴られたからな」

「うちの拳に、おんどれの拳を合わせるんや」

 力也は言われたとおり、拳を握って小田原のそれに合わせた。

「よし! いったるで!」

 力也は一塁に駆け出し、小田原は打席に入る。

 営倫の選手にとって、今日は単なる練習試合ではなかった。皆高校始めての試合であり、力也にとっては人生始めての試合なのだ。どうしても白星で飾りたい。気合が入るのは当然である。

 小田原は、死球の後のストライクを置きに来た、甘く入った初球を見逃さず、思い切り引っ張ってライト前ヒットとした。

「どんなもんや!」

 一塁上でガッツポーズを決めた小田原。

 続く弐戸、送りバントでランナーを進め、一死二三塁。小田原の足なら、ワンヒットで生還も有り得る。

 ここで四番、五十嵐。

 だが、一塁側ベンチ、若草が立ち上がり、自らの身体の各部位にゆっくりと触れていった。

 それは、敬遠のサインであった。

 保志は、それに対し、首を横に振った。

「タイム!」

 若草はそう宣言し、審判に承諾されたのを確認すると、マウンドへ向け駆けて行った。交替した選手なら、伝令役は出来る。

「せっかく相手が今日二塁打を打っている四番の前に一塁を空けてくれたんだ。ここは敬遠だろう。次の五番は今日、当たっていない。……満塁だとランナーへのタッチが要らなくなるから守りやすくなる。押し出しで一点、というリスクもあるが、お前なら大丈夫だろう?」

「どうしても、か?」

「ああ。ワンアウト二三塁だ。スクイズもあるかもしれん。全力で外してもらう」

 若草は保志の瞳を見据えた。信念を感じさせる光があった。

「……二度落球しただけで自ら下がったキャプテンに言われちゃ、逆らえないな」

「……皮肉はありがたく受け取り、成長の糧としよう。頼んだぞ」

 若草は審判に礼を言ってからベンチに戻った。

 キャッチャー真津、立ち上がって、全身全霊の力で投げられたボールを受ける。両手を使った丁寧な捕球。

 五十嵐はそれにピクリとも反応せず、四球見送って一塁へ。

(ライバル同士の対決なんかよりも、勝利、か)

 スポ根じゃこんなスタンスの監督、憎まれ役だろうけど、現実の勝負じゃ当然のことだよな。


 ……この試合の隠れた功労者、組織的な守備練習が出来る環境を与えてくれた神野を、ヒーローにしたい、と。営倫の選手は全員、頭のどこかしらで考えていた。

 決して、それは勝利から離れる選択ではない。二点でサヨナラになる点差、無死一二塁からの送りバントも、全力の敬遠球を見逃す、というのも。

(とんでもない場面で……僕が……)

 だが、彼は完全に怖気づいていた。

 簡単にツーストライク追い込まれてしまった彼は、一旦気を落ち着けるため、タイムを取り、滑り止めのロージンバックを置いてあるネクストバッターズサークルへ向かった。

「ジンさん」

 次の六番打者、葉樹がそれを手渡すと共に、言葉を贈った。

「俺、まだ素人だから、こんな場面でどうすれば良いかわからないんっすけど……とりあえず、笑って見るっす!」

 葉樹は脳の中にある螺子が外れてしまったかのごとくに笑い出した。神野も、それにつられて、顔をにやけさせる。

「ジンさんが凡退しても、俺がいるっす! あ、別にジンさんのバットに期待してないわけじゃないっすよ!」

 葉樹の言葉は不器用であったが、神野には、彼の気持が伝わった。

 とにかく、リラックスして行け、と。

 試合でヒーローになりたいと、ことあるごとに言っていた彼が、今は道化に徹してくれているんだ。神野は勇気付けられた。

「葉樹君」

「なんすか?」

「……君まで回すよ」

「ええ! ……って、何言ってるんすか!ジンさんで決めてくれちゃってかまいませんよ!」

「じゃあそうするよ。葉樹君の出番はないよ」

「そう言われるのも寂しいっすね。まあいいっすよ。俺は月見草で……今日の結果じゃノムさんにあやかって自分を月見草って言うのもおこがましいことっすかね」

 軽口を叩けるほどになっていた神野は、それを肯定した。

(長いタイムだったな)

 保志は魂は込めるが無駄な力を込めずに、球を握った。

 その球は、空気を裂く唸りをあげて、打者を殺す役目を果たすため、捕手のミットに突き刺さらんとしていたが……神野のバットが、それを許さなかった。

 打球は投手の頭の遥か上空を超え、セカンドベースも同じように超えていく。

 だが、センターは全力で追いかけて行き……フェンスの手前で、オーライと叫んだ。

 

「タッチアップ!」

 打球を見守っていた三塁ランナーの力也は、ランナーコーチの滝の叫びに応じ、スタートを切った。

 少しスタートが遅れた。守備の選手がボールに触った時点で、走り出して良かったのに。

 だが、あの深さなら俺でも全力で駆ければ点になれるはずだ。と力也は全力で駆けながら、自分の足を信じた。

 ……だが、本塁のすぐ手前で、力也の視点からベースを隠すように構えた捕手は、既にボールを持っていた。

 ――どけ!

 力也はそう念じながら特攻をかけた。

 しかし、力也と捕手は衝突した。

 力也は自分の手を見た。僅かながら、間違いなくホームに触れていた。

 そして、審判を見上げた。やけに長い時間、黙っているように思えた。

 ――セーフだろ! 

 長く感じた時間に、力也は何度思ったことだろうか。

「……アウト! ゲームセット!」

――野球ってやつは……どこまで俺の思い通りになってくれないんだよ……。


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