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試合その3

 二回裏。

(ついに来たな……この時が)

 左打席に入った五十嵐を見据えながら、投手保志は武者震いを感じ、微かに笑みを浮かべた。

(リトルシニア最後の試合で、俺からサヨナラを打ったお前でも、今の俺の球を打つことは出来ない)

 サヨナラ、なんて野球には良くあることであるが、敗北から芽生えるライバル心もまた、スポーツ全般に付き物である。

 リトルシニアを引退してから、保志は独学で現代の魔球と呼ばれる球種、ジャイロボールを体得した。そして、その球で彼を打ち取る日を夢見ていた。

 投手の自分から捕手にサインを出した後、初球からその魔球を発射した。

鈍い音がダイヤモンドに響き、三遊間をめがけ駆けて行く物があった。だが、サードもショートもそれを避けた。

何故ならそれはボールではなく、五十嵐の木製バットのヘッド部分であったからだ。

「アウト!」

 一塁塁審が、拳を握りコールした。ボールの方は一塁手の正面に転がって行ったのだった。

 五十嵐はベンチに戻る前に、三塁ランナーコーチに入っている小田原から、バットのヘッドを受け取った。

 そして、ベンチに戻った彼は、二つに分かれた己が得物に、頭を下げ、叫んだ。

「数年間! 本当に! ありがとうございました!」

 その行動と音量に、力也は魂消るような驚きを感じたが、彼以外の三塁ベンチにいる人間は、五十嵐の行為に特に驚きを感じていないようであった。

 五十嵐は宇藤を意に介してない様子で、自分の金属バットに「これからもお願いします」と言ってから、素振りに出てしまった。

 五番神野、六番葉樹は共に三振。ここまでテンポの良い試合展開。

 ……この時点では、投げる本人、受ける捕手を含めて、保志投手の決め球が、地球の物理法則を超えたものであると気付いていなかった。


 三回表は、七番君原一―二からレフトフライ。八番土岐二―〇セカンドに球足の速いゴロ。九番保志初球センターライナー。この回も三人で終わったが、七番の結果に首をかしげると共に、弐戸はサインを出しているような身振りをする選手が出たと確認した。ランナーなしの場面で出来る作戦は少ないが、見た限り、自分が把握したものとは違う法則であると判断を下す。そこは強豪校、やはり数パターン用意してあるようだ。

 二回にヒットはでたものの、併殺により結果的に宇多南は三回を全て三人で抑えられている。三振は一番九京のみ。

ヒット性の当たりを攻守により妨げられたのは、二番、五番、八番、九番。

 宇多南の何人かの選手は、打者一巡して、打撃成績の奇妙さに気付きかけていた。

 そして三回裏。

(このお嬢ちゃんからかよ……)

 打席に立った七番は、身長一四〇センチ程の、高校生どころか中学生にすら見えない女の子。

 ストライクゾーンの定義は、『打者の肩の上部とユニフォームのズボンの中間点に引いたラインを上限とし、ひざ頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間』と定義されている。当然、身長が低い選手のストライクゾーンは狭くなる。

 上限に定義されているラインは、ビジュアル的に言うと、胸のマーク辺りの高さだが、打者は胸ばかりでかいので、そのマークが歪んで、わかりづらくなっている。嫌な打者であった。

 ついでに彼女は、保志の嗜好のストライクゾーンからは、圧倒的に低く外れていた。

 保志はこの体躯から飛距離のある打球はないと判断し、外野手全員に大胆な前進の指示を、サインではなく声で伝えた。

 そして、外角低め、外れるか外れないかというギリギリの辺りに、制球重視の直球を投じた。

「ストライク!」

 審判のコール。捕手の若草は、自軍に有利な判定をされたのに、マスクを被った首を僅かにかしげた。……審判の角度からは捕手の疑問の発露は見えないだろうが。

 ストライクゾーンは明文化されているが、それを判断するのは人間である。審判ごとに、あらゆる状況ごとに、極微小ながら差異が出てしまうことは否めない。

 あそこをストライクにしてくれるなら楽だなと、保志はもう一球同じ球を放った。

 それを、上川は真後ろにファールにした。

 制球重視の、自分にしては少し遅い球とはいえ、このお嬢ちゃん、タイミングは合わせてきているようだ。と、保志は上からの目線で彼女を評した。

 そんな彼女に対して、キャプテン若草が持つ、四十九を遥かに超える数ある口癖の一つ『獅子はウサギを狩るときにも全力を尽くす』と言うのを実践してみるのも悪くは無いと彼は考え、決め球のジャイロボールを放った。

「ストライク! スリー!」

 バッターアウトが宣告されていない。打者には振り逃げにより生き残る余地が残されていた。

 だが、彼女は一塁に駆け出すことなく、すぐに零した球を拾った捕手によりタッチされアウトとなった。


 今の上川は、競技内で超能を発現させることが出来なくなっていた。

 だが、生まれたときから時に関係した能力を持っていたために、時間を認識できる感覚を持っていた。これは感覚であり、超能ではないため、競技内でも用いることが出来る。

 その感覚は、少し角度を変えれば表示される球速も異なるスピードガン以上に正確であった。

 それ故、彼女は気付いた。相手投手が、意識的か無意識にかはわからないが、競技内でも超能を発現させることが出来る、わずかな例外であることに。

 ……決め球の、初速と終速の差が、ないのだから。

 地球には空気があり、重力がある。それらが球に働くことによって、急激なノビにより現代の魔球と称されるジャイロボールであっても、減速はするはずなのだ。

 五十嵐の木製バットを折ったのも、地球の物理法則を超えていたからであろう。だが、二度も落球が確認されているものの、その等速直線運動をする球は、捕手のミットに収まりうるものである。

 つまり、保志の超能は、野球をするため、ジャイロボールに働くため、一八・四四メートルを疾走するためだけにあるのだ。

 そんな相手から、営倫打線はヒットを打てるのか、点は取れるのか。……上川は頭を抱えた。

「どうしたんやマコちゃん」

 悩む上川に、小田原が話しかけた。彼女は相手投手の決め球を「凄くノビる球やなあ」としか思っていない様子だ。

「あのピッチャーの球見て、怖気づいたんか? 振り逃げもせんで」

「だって、あのピッチャー……」

「確かに、球は速い。ノビも凄い。でもな、打とう、打てると思わんかったら打てへんで。まだ一打席終わっただけや。バット折られた五十嵐も、次の打席で打つ為に、今も素振りしとるんや。実際、ニコガクは追い込まれてから、恐らくマコちゃんがびびっとるその決め球を当てられたんやで」

 確かにそうであった。あの球も金属バットを折るような力は流石にないようだ。

自分に対しては前進シフトを敷いているが、当てて転がせれば、隙間を突けばヒットに出来る。それに、野手が捕り、送球し、ファーストが受ける、という過程で守備のミスが起きる可能性だってある。

魔球だって、決して無敵ではないのだ。

「……ん? 誰か俺を呼んだか?」

 小田原が発した「打とう」という言葉に反応した様子の力也。

「宇藤を呼んだわけやないわい。ボールを打とうの打とうや。つーか、なんでここにおんねん。マコちゃんの次の打者やろ」

「……もう終わったんだよ。三球三振だ。今打席に立ってるのは滝だ」 

「もうちっと粘りや……と言いたいとこやがウチも三球三振やったな」

「ま、次があるさ」

「そやな。マコちゃん、まだ素人の域を出ない宇藤もこの調子や。マコちゃんのことようしらんけど、野球長いことやってたんやろ? 動きを見りゃわかるわ」

「う、うん……一応小さい頃から……」

「じゃあ宇藤から見たら大先輩やな。その先輩が沈んでてどうすんねん!」

 そして、小田原は平手で上川の頬をはたいた。肉を撃つ音がベンチに響いた。流石にこの行為にベンチはざわついたが、はたかれた本人はそれほど驚いていないようだった。

「お、おい小田原。いきなりなんてことをすんだよ……」

「気合を入れてやっただけや」

「だからっていきなり顔をはたくことはないだろ……」

「大丈夫や。今のは小田原流ツッコミ神拳『音は凄いけどそれほど痛くない平手打ち』や」

「そのまんまなネーミングだな」

「実際そうなんやから仕方ない。な、マコちゃん?」

「確かに、音のわりには、痛く無かったよ」

 音のわりには、という部分が強調されていた。

「難点は、手を大きく開くから眼鏡を傷つけてまう可能性が高いっちゅうこっちゃ。だからミヤさんには出来んかったんや。野球は視力が大事やし」

 小田原はネクストバッターズサークルの宮前を見遣った。

「ま、一発は一発や。マコちゃん、ウチにも気合入れたってや。次の回打席回ってくるしな」

 小田原は上川に頬を差し出した。

「……私にはできないよ。そんなこと」

自らを排除しようとする『時の介入者』に対しても『強制送還』しか彼女はしない。どんな相手に対しても自ら暴力を振るうことは出来ない性質なのだ。

ましてや、小田原がしたのは、自分を元気付けるための行為だ。そんな仲間の顔、本人が望んでいるとはいえ叩くなど、彼女にとっては無理だった。

「じゃあ、俺が代わりにやってやるよ」

 パシーン。

「う、宇藤……おんどれ……今の、音はしょぼかったけど痛かったで」

 僅かに涙目になった小田原は力也を睨みつけた。

「お前がいいって言ったからだ」

「マコちゃんに言ったんであって、宇藤に言ったわけやないわ! おんどれには超ド級の気合をぶちこんだる!」

 今度は小田原の鉄拳が力也の顔にめり込んだ。

「……お前ら。気合も良いが、痛みがプレイに支障をきたすことがないようにな」

「ん、タマちゃん? チェンジか?」

「ああ、三球三振だ。すまない」

「よし、気合も入ったところで、守備いくか!」

「……宇藤。大丈夫か?」

「宇藤君、大丈夫?」

「力也、大丈夫?」

 滝と上川、スコアを付けているマネージャーの富がほぼ同時に言った。

「ああ。滝も上川も優しいなあ。姉ちゃんも。小田原とは大違いだ」

 富は、「今は保谷先輩でしょ」と注意を与えた。

「反対側にも、気合注入したろか?」

「いや、けっこうだ」

営倫打線は、三回までパーフェクトに抑えられていた。そのうち、三振が七人。  

 しかし、ベンチに悲愴な空気が流れることはなかった。ムードメーカー小田原、ファインプレイである。


「本当に申し訳ない!」

 若草はベンチに戻るなり、土下座をしてみせた。皆突然の謝罪に驚いているようであった。

「いきなりなんですかキャプテン……」

「二度も振り逃げのチャンスを与えてしまったんだ。このくらいしないと俺の気がすまない!」

「いや、アウトに出来たんだから別に……」

「真津、次の回から君がキャッチャーに入ってくれ。サイン役は俺がやる」

 名指しを受けた真津は、戸惑いながらもミットを嵌め、保志の投球練習を受けに行った。

「ですがキャプテン。真津君はキャプテンより僅かにですが現時点でのセンスが劣ると思いますが」

 既にヘルメットを被っている楓が尋ねた。

「楓、野球は何人でやるスポーツだ?」

「え、九人でしょう?」

 あまりにも常識的なことを突然聞かれたので、反射的に常識的な答えを返した楓。しかし、若草はそれを正答としていないようであった。

「……このチームは何人の選手がいる?」

「十八人です。今日は監督やコーチがいないので、選手の人数とベンチにいる人数は同数です」

「その十八人は、能力も性格もばらばらだ。だが、共通に目指しているものがある。何だ?」

「甲子園です」

「……甲子園? それなら乗り物に乗れば簡単に行けるだろ?」

「……すいません。遠くを見過ぎてました。勝利です」

「そうだ。勝利を手に入れるためには、各人の能力や性格に最も合った役割を与えなければならない。適材適所という奴だ。……今日のメンバーだと控え捕手の技術を考慮しても、俺を司令塔に置くのが最適であったんだ。……くそ、こんな簡単なことに、二度も落球するまで気付けなかったなんて」

 若草も長い年月を野球漬けに送り、自らの肉体を酷使してきた。もちろん、ベンチにいるよりもフィールドをマスク越しに一望できる捕手というポジションにいたいと思った。だが、彼は勝利のためなら自分すら犠牲に出来る人間なのだ。

 弱冠十五にして、勝利という概念を教義とする修行僧のような生き方をする若草。

 そんな彼を見て、宇多南の選手たちは、試合への態度に自省の念を抱かずにはいられなかった。

「……キャプテン、どうしてそこまで自分に厳しくなれるんですか?」

「ルールに反しない限り、……時にはルールに抵触するかもしれない行為をしてでも、勝つために出来る全てのことをする。アスリートなら当然のことだ」

 宇多南ベンチが、静まり返った。

「どうした! まだ試合は終わってないんだ! 声を出せ! 試合を見ていろ! 相手を叩き潰すためには全員で試合に望むことが必要だ!」

 宇多南ベンチに、「はい!」の合唱がかかった。

四回表。この回から滝は左右織り交ぜた投球を披露した。

第一打席は三振に終わった一番打者九京は、カウント一―二から外角の球を流した。

地を這う痛烈な打球がサード神野を襲った。これはグラブを弾いて転がっていった。

強襲のヒットで一番打者が出塁……かと思いきや、神野のグラブから逃げ出た球を、ショート宮前が捕り、そのまま一塁に送球した。

矢のような送球が一塁小田原のミットに吸い込まれる。

「アウト!」

 審判は大袈裟に拳を突き出した。ショートのナイスプレイに気合が入ったのだろう。

二番、楓。彼も第一打席ではヒット性の当たりをショートに阻まれた。

営倫守備の堅さをこの時点である程度理解していた彼は、この試合でまだライトに打球が行ってないことを覚えていた。

 そこを狙うため、二―二からの内角球を、アッパー気味のスイングで流した。

 それは山なりの打球となり、飛球は空を舞いながら右中間の深いところへ伸びていったが……ライトではなく先に打球に追いついたセンター五十嵐によって捕らえられた。

 そして三番、狩村が打席に入った時点で、ショート宮前がやや三塁寄りに移動した。

 打者は空き気味二遊間を狙って打ち、打球は打者から見てやや右よりに駆けて行った。今度こそはセンター前ヒットか。しかし、滑りこんだセカンドによって捕球された。

ナイスキャッチであるが、倒れた体勢では送球は覚束ない。ヒットには変わりない。

「宮前君!」

 だが上川は倒れた体勢のまま、投球前には三塁ベースよりにいた、駆け寄ってきたショート宮前にグラブトスした。

そして宮前、一塁へ全力送球! 足を伸ばしきった小田原が掬い上げて受ける!

「アウト!」

 スリーアウトチェンジ。快音響くがヒットはない。

(なんなんだ……この守備は)

 若草の眼は、選手として試合を見ていたときはどうしても投手の方に行ってしまっていたが、退いて監督役を担う覚悟を決めると、試合に出ていた時とは違う角度から相手を見られるようになっていた。


「センター五十嵐は球に追いつくのが速いし、セカンドショートは鉄壁だし、レフトとライトにほとんど守備機会が来ないじゃないか」

「そうっすねー。僕ら以外天才なんじゃないっすかね」

 守備から戻りぼやく宇藤に葉樹が答えた。

「いや、普通だよ。ね、上川さん」

「うん。すべらなきゃ捕れないうちは普通。身体の真正面で取らないと」

「どの次元の普通なんっすか……」

 あの守備を普通と言ってのける人間を葉樹は知らなかったが、傍らで聞いていた弐戸の頭には、ある人物が浮かんでいた。

 その名は、高木守道。

 彼は二十年の選手生活をドラゴンズ一筋に送り、ベストナイン七回、ゴールデングラブ賞三回など、守備に関連した賞を数多く取得し、二〇〇六年に野球殿堂入り、今尚辛口の野球解説者として活躍している。

「……でも、このレベルで守備の連携が出来るようになれたのは、ナインインパクツの皆さんと……神野君のお陰だろうね」

「そうだよね」

 セカンドショートの二人は、用具の手入れをしている神野を見遣ったのであった。


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