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休日

 試合を翌週に控えたある日。早くも夏の到来を思わせる気候のその日は練習も授業も休みであった。

 野球部の女子選手と遊びに行く約束をしていた富は、夏を先取りした格好で待ち合わせ場所の鈷井野バッティングセンターへと足を運んだ。

「おはようございます。鈷井野さん」

 受付に腰掛けて新聞を読んでいる鈷井野氏に挨拶をする富。

「おう、マネージャーの姉ちゃんか。もう皆来てるぜ」

「そうですか。ありがとうございます」

「今日、練習休みってことらしいが……そんな日にもうちに来るなんてよっぽどの野球バカだな。あいつら」

 鈷井野氏は新聞から目を外し、ケージを見遣った。富もそれにならう。営倫学園指定のジャージに身を包んだ滝がストラックアウトをしていた。外から小田原と上川も様子を伺っている。

「すいません。休日なのに陣取っちゃって」

「そこはいいさ。今日は遊びに来てるから定期は使わない、ってさ。使えるもんは使えば良いのにな。……って、勘違いするなよ。お前たちのためじゃなくて、野球の競技レベル向上のためなんだからなっ!」

 鈷井野氏の相変わらずのツンデレっぷりに富は顔をにやけさせながら、三人の下へ向かった。

「遅れてごめんね。皆」

「いえ。私たちが早く着きすぎただけです。気になさらず」

 上川がそれに答える。野球部員のほとんどは、先輩の富に対しては敬語を使う。

「……それにしても、遊びに行くってことなのに集合場所ここで、召し物はジャージなのね。私、浮いてるね」

「いえ。私たちが少し変わっているだけです。女子高生としては、先輩の方が普通であると思いますよ」

「そうや。大胆な感じなのが普段とのギャップを醸し出してええ感じです。先輩」

話しているうちに、「パーフェクトおめでとうございます」とアナウンスが響いた。それに応じて館内がざわめきだすが、彼女たちは特に驚いた様子もなく、ケージから出てきた滝に目を向けた。

「このゲームやるの初めてやって言っとったが、やっぱり毎日投げ込んでるから、タマちゃんにとってはこんなん朝飯前なんやろな。時刻はそろそろ十二時やけど」

「そうなの? さすが滝さんだね」

「まあ、スイッチ二刀流とコントロールだけを武器にしている私ですから、このくらいは出来ないといけませんね」

 滝はパーフェクトという快挙を喜ぶでもなく、ただそう言ってのけた。

 そう言えば、このゲーム、バッテリーのサインに似てるな、と富は思ったが、口には出さなかった。

戦略上の最重要機密。これは公の場、しかも自分たちに注目が集まっている状況では口に出してはいけない域のヒントである。

「さて、野球部のお姫様も来たことやし、移動するか。昼飯時やし」

 小田原はそう宣言し、皆それに賛同した。四人で鈷井野氏に礼を言った後、滝の案内でバッティングセンターから「ニコニコ屋」と暖簾の掛かった小さな食堂へと移動した。ここも、女子高生が昼食にする場所のイメージとはかけ離れた外観であった。

「なんか通好みって感じやな」

 小田原がその店構えに感想を述べていると、一台の三輪原付自転車が店の前に止まった。

「おお。皆か」

 ライダーは四人を見てそう言い、ヘルメットを外した。

「弐戸、出前ご苦労様」

「あれ、ニコガク、バイトしてたん?」

「うちの学校、バイトも免許も、許可制だったよね? 良いの?」

 滝、小田原、富の順に彼に声をかけた。

「ここは俺んちです。バイトも免許も、家業手伝いってことでOK下りました。原付免許は部活動が本格的に始まる前に取りました。俺四月生まれですし。一夜漬けでも何とかなりましたよ。ギリギリの点数でしたが」

「そうなんだ。偉いね弐戸君」

「野球やらせてもらってる身ですし。たまの休みぐらい、手伝いしないと。と言っても午前は用事で出かけてましたが」

 それだけ言うと、弐戸は岡持ちを片手に下げ、店の戸を開いた。

「どうぞお客様。俺にはまだ調理の許可は下りてませんのでご安心ください」

 恭しく頭を下げる弐戸。小田原は「それなら安心やな」と返す。

「いらっしゃいませ!」

 四人が中に入ると、運動部に負けないぐらいの熱気が込められた声の重奏が出迎えた。

「今の、ニコガクの家族か?」

「ああ。親父、お袋、叔父夫婦、それに兄貴と姉貴」

 弐戸は岡持ちを下げ、手を入念に洗った後、席にかけた四人に水を届けた。

「注文、決まったら呼んで。うちうるさいから大きい声でな」

「OK。野球部で鍛えられた声帯は料理人には負けへん」

 弐戸は厨房に下がっていった。

「ニコガクもバカやと思ってたけど、部分的にはバカやなさそうやな。それにしても、タマちゃんよう知っとったな」

「ああ。この間紹介されて二人で来た」

 しれっと答える滝。

「え、滝さんだけ?」

「そうですが?」

 それに追求を加える富。

「もしかして、弐戸君、滝さんに気があるんじゃない?」

「いや。私はバッテリーという至高の関係を恋愛関係に貶めるつもりはないし、弐戸もそう思っているはずです」

 毅然とした口調で言い切る滝。完全に弐戸を捕手として信頼している様子であった。 

 富なんかは、野球作品の読み過ぎのせいで、バッテリーに恋心が芽生えることはよくあることだと考えていたのだが、実際はそうではないようだ。

滝の口調から察するに、バッテリーは男女の関係よりも高次元のものであると認識しているようである。

(滝さん……かっこいいなあ……はぁはぁ)

 実は、富はオタクで腐女子な上、ガチでバイセクシャルであった。野球部にマネージャーとして入部したのは、ナマの人間が野球をするところを見たかったから、というのが強い。

もちろん、彼女の頭の中では、男女ではもちろん、男同士でも女同士でも、バッテリーに恋心は芽生えるものであった。

(でも、エースとマネージャーも王道だよね)

 富の脳内で百合百合なストーリーの幕が開いた。


 ――妄想タイトル『真夏の球場の夢』

 舞台は甲子園。

 真紅の優勝旗を携えた滝さん。

「おめでとう。皆」

 涙を流しながら、祝いの言葉を述べる私。

「いえ、先輩のアシストなければ、ここまで来ることすら不可能だったでしょう。これは、先輩が受け取るべきものです」

 滝は私に優勝旗を手渡してくる。ずしりと腕に来る重さ。

「……それと、私個人から」

 そう言って滝は私の肩を掴んでゆっくりと顔を近づける。

(ダメ! 皆見てるのに!)

 頭では思っていても、そうされることを望んでいた私は抵抗せず……。


(本人がいる前でこんな想像しちゃダメよ保谷富! それに何なのこのタイトル! アッーなの? 自分で妄想しといてなんだけど! って、心の中でセルフツッコミ? 小田原さんはノリツッコミだけど……小田原さんにツッコマレル……はぁはぁ……って何考えてんの私は! 今度は小田原さん? 小田原さんも良いよね……小田原さんって四月の最初のころまではケツバット普通にやってたよね……私もして欲しかったなんて言えるわけ……ってこんなこと白昼堂々考えてる私は何なの! 変態なの? 自分でも自分がわからないわチクショウ! そう言えば力也が来たころには私、ヤンデレにはまってたなあ……でも力也は宮前君に惚れてるってことでヤンデレ辞めたけど……リキ×ソウ、最初に言い出したのは誰だったかなあ。今じゃ学校全体でメジャーカップリングになってるけど……ってそろそろ辞めないと読者も引くわ!)

 脳内カオスを吹き飛ばすために、富は頭を軽く振った。富は自分にとって『萌え』もしくは『燃え』な状況や言動があるすぐにこんな妄想が芽生えてしまうのだが、普段は真面目なマネージャーであることによってそれを抑えているのである。

「……どうしたんですか先輩」

 そんな富に心配するような視線を向ける滝。

「い、いやなんでもないよ。滝さん、かっこいいなって」

 赤面しながら釈明する富であった。

「ありがとうございます。先輩に褒めていただけるなんて光栄です」

「でも、スイッチの上にスリークウォーターとアンダーなんて本当に凄いよね」

「環境によるところが多いんですよ。才能じゃありません。私には、年の離れた兄がいるんですが、彼が左利きなんです。生来右利きの私ですが時々彼のグラブも使って遊んでいたら、自然と身に付いたんです」

「そうなんだ。じゃあ、スリークウォーターとアンダー、両方使えるのは何で?」

「兄はソフトボールの選手なんです」

「え、男子でソフトなの? 滝さんは野球なのに?」

「ええ。ソフトは女子だけのものではない。それに気付いた自分には男子ソフトボールの発展に寄与する義務がある、っていつも言っています……中学までは硬式野球をやっていたそうですが」

 さすがにこれには富も驚いた。ソフトボール強豪国である日本でも、それを野球の下位競技であると認識する風潮があるというのに。

「兄は私にもソフトボールさせたいと思っていたそうですが……結局私は野球を選びました。兄は男子ソフトを野球並のメジャースポーツにすること、私はプロ野球選手になることを夢見てる、なんて根がひねくれてるんでしょうね。私たち兄妹は」

 そうはいっても、野球とソフト、近い競技を選んだあたり、中途半端に素直でもある。

「でも、ソフトのウインドミルとアンダーって同じ下からの投法だけど、全く違うよね。ボールの大きさも全然違うし」

 ウインドミル、とは、腕の回る様が風車に似ていることから名付けられた、ソフトボールの一般的な投法である。

「前者は兄に教わった物を私なりに改良しました。ボール一個分の感覚は肌身離さず野球のボールを携えていたことで習得しました」

 ソフトボールの技術を兄と鍛え、独学でそれを野球用に変換する、というのは、並外れたセンスが必要となるだろう。

 だが、それを掘り下げるよりも、富にはずっと前から、滝に尋ねてみたいことがあった。

「滝さんってさ、魔球とか、ないの?」

 魔球。

 野球漫画には付き物だが、とんでもない超能を持っている富でさえ、それを架空のものだと考えていた。

しかし今、共にいるのは男子に混ざって甲子園を目指す女子野球選手達。

その中で、五十嵐を差し置いてエースと認識される滝なら、あるいは、とんでもない魔球を投げられるかもしれない、と富は夢見ていた。

「せ、先輩! 野球漫画の読みすぎじゃないですか?」

 慌てだす上川。彼女は力也のケースと同じく、富も超能者であることは知らなかったが、もしかしたら、昔自分が競技内でも超能を発現できる人間であったとばれるかもしれない、と思ったのである。今は衰えにより競技内ではそんなことは出来なくなっているのだが。

「魔球、ですか。ジャイロボールとか、ナックルとか、ですか?」

 しかし滝の頭に浮かんだのは実際に確認できる球種ばかりであった。

「そういうのじゃなくて、オリジナルの魔球。消えたり増えたりとか」

「……弐戸でも捕れないでしょうね」

 突拍子もない魔球像に、滝は少し苦笑気味であった。

「でもな、うちには魔球よりも凄いものがあるねんな」

 小田原が、各人の同意を求めるように言うと、滝と上川は頷いた。

「え、そうなの? マネージャーの私でも気付かないような凄いのが?」

「そうです。『魔域』とでも呼んだらええんでしょうかね……ニコガク、全野手、タマちゃんによってその魔の領域は発動しますねん……ヒットを打ったと自分では思ったはずの打者が次々に死んでいく……」

 小田原はまるで怪談話をするかのように声を潜めて、富に説明を始めた。

「そうですね。私は単なる発動の合図でしかありません」

 滝もその弁に便乗したあと、小田原に向き直った。

「それにしても『魔域』か。……なんか、かっこつけすぎじゃないか。小田原」

「ええねん。『魔球』も造語やし、うちが新しい言葉作っても、野球には良くあることや」

 滝の言う「かっこつけすぎ」を富の言葉に直すなら、「中二病臭い」となるだろう。

(でも、中二病臭いって言えば、超能協会のネーミングセンスもだよね)

 富は協会が付した二つ名を思い出す。力也は『傍若無人な瞳』と言われていたし、『同族喰らい』なんてのもいたし、自分に至っては『破壊と再生のカオス』だ。

自分のカオスってところはあってるかもしれないけど、破壊も再生も『同属喰らい』の一件からずっとしていない。と富は思う。

それは母親役の光から禁止されているし、超能を見られたら皆の自分に対する態度が変わるかもしれないからだった。

それにしても、そんなのを会議で考えて付けている様を想像すると、あまりのシュールさに富は笑い出しそうになる。

でも、さっき妄想してるとこを見られたし、これ以上にやけ顔になると変な先輩だと思われるかもしれない、と危惧した彼女は、話の筋を戻そうとした。

「で、その『魔域』っていうのはなんなの?」

「これは口では説明できまへんな。試合で見せたります」

 それだけ言うと、小田原はメニューを見出した。皆もそれに便乗して各々好きなものを注文する。それほど待たずに料理が運ばれてきた。味も実に洗練されたものであった。

 食事を終えて、三人は本屋に行ったあと、次の目的地を決めかねたので、とりあえずバッティングセンターに行こう、ということになったのであった。

 鈷井野さんに憎まれ口を叩かれたのは言うまでもない。


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