お姉ちゃんと呼ばれて
アルトベルクを出て三日目。
一行は穏やかな丘陵地帯を進んでいた。街道の両脇には緑の草原がどこまでも広がり、ところどころに羊の群れが見える。
馬車の中は、いつになく賑やかだった。
「エリカおねえちゃん、みて! あそこにひつじがいる!」
ハルトが窓から身を乗り出して叫ぶ。
「本当ね。可愛いわ」
エリカは微笑んでそう答えた。
「ハルトくん、あまり身を乗り出すと危ないわよ」
「はーい」
素直に返事をして、ハルトは中へ戻る。
ユイはエリカの隣で絵本を広げていた。
「エリカおねえちゃん、これよんで」
「ええ、いいわよ」
絵本を受け取ったエリカが読み始めると、優しい声が馬車の中に広がった。ユイは目を輝かせて聞き入っている。
レイアは窓の外を眺めながら、その声にそっと耳を傾けていた。
御者台からは、ティオがその様子を穏やかな表情で見守っている。
エリカが加わってから、三人は明らかに明るくなった。
それはきっと、良い変化なのだろう。
ティオはそう感じていた。
昼過ぎ、一行は街道沿いの木陰で休憩を取った。
ティオが簡単な昼食を用意する。パンとチーズ、それに干し肉だ。
「ほら、みんな。お昼だぞ」
「やったあ!」
三人は嬉しそうに食べ始めた。
エリカもパンを受け取る。
「ありがとうございます」
「いえ。遠慮しないでください」
エリカは小さくちぎって、ゆっくりと口に運んだ。
そのとき、ハルトが木剣を取り出した。
「ティオにいちゃん、れんしゅうしていい?」
「ああ。ただし、あまり激しく動くな。食後だからな」
「はーい!」
元気よく返事をして、ハルトは剣を振り始める。
「えい! やー!」
その様子を見て、エリカがくすりと笑った。
「ハルトくん、元気ね」
「元気すぎて大変なくらいです」
ティオは苦笑する。
「エリカさん、よかったら魔法を見せてあげてくれませんか。的を作るとか」
「的、ですか?」
少し考えてから、エリカは頷いた。
「分かりました。やってみます」
手を前に出すと、空中に光でできた小さな的が浮かび上がる。
「わあ! すごい!」
「これを狙ってみて」
「うん!」
木剣が当たるたび、的は淡く光って消えていく。
「すごいわ。いい調子よ」
最後にエリカはハルトの頭を優しく撫でた。
その光景を見て、ティオの胸は自然と温かくなる。
エリカの優しさは、作り物ではない。
そう思えた。
午後、一行は小さな川のほとりで足を止めた。
「わあ、かわ!」
ハルトが駆け寄る。
「落ちるなよ」
「だいじょうぶ!」
ユイは川辺に座り、冷たい水に手を浸した。
「つめたくて、きもちいい」
レイアは少し離れた場所で、小さな花を摘んでいる。
エリカが隣に腰を下ろした。
「お花、好きなの?」
「……うん」
白い小さな花を差し出され、エリカは嬉しそうに受け取った。
「ありがとう。大切にするわ」
レイアはその笑顔を見て、胸の奥が少し緩むのを感じた。
今のエリカは、優しい匂いがする。
だから、信じてもいいのかもしれない。
翌朝、ティオが部屋を訪ねると、エリカと三人は寄り添うように眠っていた。
「……微笑ましいな」
ダリウスも部屋を覗き、静かに言った。
「エリカ殿は、本当に子供が好きなようだな」
「ええ」
「だが――油断はするな」
ティオは黙って頷いた。
信じたい気持ちはある。
だが、不安が消えたわけではない。
馬車は再び街道を進み始めた。
「ねえ、エリカおねえちゃん」
「なあに?」
「ずっと、いっしょにいてね」
「ええ。ずっと一緒よ」
それは偽りのない気持ちだった。
けれど――
エリカはふと、空を見上げる。
いつの間にか、青空の端から厚く重たい雲が広がり始めていた。
ゆっくりと、確実に。
胸の奥に、説明のつかないざわめきが残る。
大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、エリカは子供たちを抱き寄せた。
だが、空は答えない。
重い雲は、静かに一行の進む先を覆い始めていた。




