束の間の安らぎ
灰色の空が、少しずつ明るくなっていく。
ティオは宿の窓から外を眺めながら、小さく息を吐いた。魔王ザルガンとの遭遇から三日が経った。あの圧倒的な魔力、底知れぬ威圧感――今でも思い出すと、背筋が凍る。
幸い、三人は無事だった。それどころか、あの魔王を退けたのだ。無意識のうちに発動した力だったとはいえ、その事実は変わらない。
だが――それがティオの不安を増幅させていた。
「次に来る時は、もっと強大な力で来るだろう」
ダリウスの言葉が、頭の中で繰り返し響く。
魔王は、必ず戻ってくる。そして次は――
「ティオにいちゃん?」
背後から声をかけられ、ティオは振り返った。ハルトが、眠そうな目をこすりながら立っていた。
「ああ、おはよう。もう起きたのか?」
「うん。おなかすいた」
ハルトは素直に答えた。その無邪気な様子に、ティオは少しだけ気持ちが和らいだ。
「そうか。じゃあ、朝ごはんにしよう」
「やったー!」
ハルトの声で、ユイとレイアも目を覚ました。
「おはよう、ティオにいちゃん」
「……おはよう」
三人は、いつもと変わらない様子だった。魔王との戦いのことは、ほとんど覚えていないようだ。それが良いことなのか悪いことなのか、ティオには判断がつかなかった。
ただ――この笑顔を守りたい。
ティオは、改めてそう思った。
朝食を済ませた後、一行は村の中を散策することにした。
ここは、グランベルという小さな村だ。帝国の東部に位置し、戦争の影響はほとんど届いていない。人々の表情は穏やかで、街道を行き交う商人たちの声にも活気があった。
「わあ! あそこになにかある!」
ハルトが、村の広場を指差した。広場には、露店が立ち並んでいる。果物や野菜、手作りの雑貨――色とりどりの商品が、陽光を浴びて輝いていた。
「市場だな。見てみるか?」
「うん!」
三人は、目を輝かせて駆け出した。シロも、嬉しそうに三人の後を追いかける。
「クゥーン!」
「シロ、まてまて!」
ティオとダリウスは、三人が迷子にならないよう、後ろからついていった。
「ティオ、少し疲れているようだな」
ダリウスが、小声で言った。
「……少しだけ」
ティオは、正直に答えた。
「魔王のことが、頭から離れなくて」
「そうだろうな」
ダリウスは、前方を見つめた。三人が、果物屋の前で楽しそうに話している。
「だが――今は、この時間を大切にしろ」
「……え?」
「この子たちは、今を楽しんでいる」
ダリウスは、ティオを見た。
「未来の不安に囚われるな。今、この瞬間を――この子たちと一緒に、楽しめ」
「……はい」
ティオは、頷いた。
ダリウスの言葉は、いつも的確だ。そして――優しかった。
市場で、三人は思い思いに品物を見て回った。
ハルトは、木で作られた剣のおもちゃに夢中になっていた。
「ティオにいちゃん、これ! かっこいい!」
「ああ、よくできてるな」
「ほしい!」
「……分かったよ」
ティオは、店主に銅貨を数枚渡した。ハルトは、嬉しそうに木剣を振り回している。
「えい! やー!」
「ハル、人にぶつけるなよ」
「はーい!」
ユイは、花屋の前で立ち止まっていた。色とりどりの花が、籠に入れられて並んでいる。
「きれいだね」
「ああ、きれいだな」
ティオが答えると、ユイは小さな黄色い花を指差した。
「この花、ママがすきだったの」
「……そうか」
ティオの胸が、少し痛んだ。
ユイの母親――元の世界にいる、ユイの本当の家族。
この子たちは、時々そうやって元の世界のことを思い出す。そして、寂しそうな顔をする。
「ユイ、この花が欲しいか?」
「……いいの?」
「ああ」
ティオは、花を買ってユイに渡した。
「ありがとう、ティオにいちゃん」
ユイは、花を大切そうに抱きしめた。その笑顔を見て、ティオは少しだけ救われた気がした。
レイアは、雑貨屋の前で、小さな本を見つめていた。
「……これ、なに?」
「ああ、それは絵本だ」
店主が、優しく答えた。
「お嬢ちゃん、字は読めるかい?」
「……ちょっとだけ」
「なら、これをあげよう」
店主は、絵本をレイアに差し出した。
「え……いいの?」
「ああ。可愛いお嬢ちゃんへのサービスだ」
「……ありがとう」
レイアは、絵本を受け取って、嬉しそうに微笑んだ。
ティオは、その様子を見て――少しだけ、心が温かくなった。
昼過ぎ、一行は村の外れにある丘に登った。
丘の上からは、村全体が見渡せる。赤い屋根が連なり、煙突からは煙が立ち上っている。遠くには森が広がり、さらにその向こうには山々が連なっていた。
「すごい! たかい!」
ハルトが、興奮した様子で叫んだ。
「ああ、高いな」
「ティオにいちゃん、あそこに鳥がいる!」
「本当だ。鷹かな」
ティオは、ハルトが指差す方向を見た。確かに、大きな鳥が空を旋回している。
ユイは、花を摘んでいた。丘の斜面には、小さな白い花がたくさん咲いている。
「きれいな花がいっぱい」
「ああ。ユイは、花が好きだな」
「うん! 花はね、みんなをしあわせにするの」
「……そうだな」
ティオは、ユイの言葉に頷いた。
確かに、花を見ると心が和らぐ。この戦争の時代でも、花は変わらず咲き続ける。それは――希望のようなものかもしれない。
レイアは、丘の頂上で、風に吹かれていた。
「……きもちいい」
「ああ、気持ちいいな」
ティオも、レイアの隣に座った。
風が、優しく二人を包む。遠くから、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「……ティオにいちゃん」
「ん?」
「このへいわ、ずっとつづけばいいのに」
レイアの言葉に、ティオは少し驚いた。
「……そうだな」
「でも……」
レイアは、遠くを見つめた。
「……なにか、くる」
「……え?」
ティオは、レイアを見た。
「何が来るんだ?」
「……わかんない。でも、なにか、おおきいものが」
レイアの言葉に、ティオの胸が冷たくなった。
レイアの予感は、いつも当たる。
もし――魔王が、また来るのだとしたら。
「大丈夫だ」
ティオは、レイアの頭を撫でた。
「何が来ても、オレが守るから」
「……うん」
レイアは、小さく頷いた。
その表情には――まだ、不安の色が残っていた。
夕方、一行は宿に戻った。
夕食は、宿の食堂で取ることにした。村の料理は素朴だが、温かくて美味しかった。
「おいしい!」
ハルトが、スープを飲みながら言った。
「うん、おいしいね」
ユイも、笑顔で頷いた。
レイアは、静かに食事をしていた。だが------時々、窓の外を見ている。
「レイア、どうした?」
「……なんでもない」
レイアは、首を横に振った。
だが、ティオには分かった。レイアは、何かを感じている。
食事が終わり、三人は部屋に戻った。
ティオは、三人に服を着替えさせ、歯を磨かせた。毎日の日課だ。
「はい、終わり。じゃあ、寝よう」
「うん!」
三人は、一つのベッドに並んで横になった。シロも、三人の足元で丸くなる。
「ティオにいちゃん、いっしょにねて」
ユイが、ティオの服の裾を引いた。
「ああ、一緒に寝るよ」
ティオも、ベッドに横になった。三人に囲まれて、少し窮屈だが――それが、心地よかった。
夜、焚き火の前で――というわけにはいかないので、部屋の中で、三人と話をすることにした。
窓の外には、満月が浮かんでいる。月明かりが、部屋を優しく照らしていた。
「ねえ、ティオにいちゃん」
ハルトが、ティオを見上げた。
「なんだ?」
「かぞくって、なに?」
「……家族?」
ティオは、少し驚いた。
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「だって……」
ハルトは、少し考えてから答えた。
「ハルね、パパとママがいた。もとのせかいに」
「……ああ」
「でも、いまは、いない」
ハルトの声は、少し寂しそうだった。
「でも、ティオにいちゃんと、ダリウスおじさんと、ユイと、レイアと、シロがいる」
「……うん」
「これも、かぞく?」
ハルトの問いに、ティオは少し考えた。
家族とは、何だろう。
血の繋がり? それとも――
「……ああ、家族だ」
ティオは、ハルトの頭を撫でた。
「家族っていうのは――血が繋がってるとか、そういうことじゃない」
「じゃあ、なに?」
「一緒にいて、幸せだと思える相手」
ティオは、三人を見た。
「お前たちと一緒にいると、オレは幸せだ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
ティオの言葉に、ハルトは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ティオにいちゃんは、ハルたちのかぞくだね!」
「……ああ」
ユイも、頷いた。
「ユイも、ティオにいちゃんといると、しあわせ」
「ユイちゃんと、ハルと、レイアちゃんといると、さみしくない」
レイアも、小さく呟いた。
「……ティオにいちゃんたちが、いまの、かぞく」
「……そうだな」
ティオは、三人を抱きしめた。
「お前たちは――オレの、家族だ」
三人は、ティオにしがみついた。
その温もりが――ティオの心を、温かく満たしていく。
しばらくして、ユイが小さく言った。
「でも……」
「ん?」
「ママにも、あいたい」
ユイの目には、涙が浮かんでいた。
「ママは、もとのせかいにいる」
「……ああ」
「ユイ、ママのこと、わすれたくない」
「忘れなくていいんだ」
ティオは、ユイの涙を拭いた。
「ママは、ユイの大切な家族だ。忘れちゃいけない」
「でも……」
「でも?」
「ふたつ、かぞくがあってもいい?」
ユイの問いに、ティオは笑顔で頷いた。
「ああ、いいに決まってるだろ」
「ほんと?」
「ああ。ママは、元の世界にいる家族。オレたちは、この世界にいる家族」
ティオは、三人を見た。
「どっちも、大切な家族だ」
「……うん」
ユイは、涙を拭いて笑顔になった。
ハルトも、頷いた。
「そっか! じゃあ、ハルにはふたつ、かぞくがあるんだ!」
「ああ、そうだ」
レイアも、小さく笑った。
「……ふたつ、かぞく」
「そうだ。だから――」
ティオは、三人を抱きしめた。
「今は、この家族と一緒にいよう」
「……うん」
三人は、ティオにしがみついた。
その姿を見て、ティオの胸が温かくなった。
その夜、ティオは一人で窓の外を見ていた。
三人は、もう眠っている。静かな寝息が、部屋に響いていた。
月明かりが、村を照らしている。静かで、穏やかな夜だ。
だが――ティオの心は、穏やかではなかった。
レイアの言葉が、頭から離れない。
「何か、大きいものが、来る」
魔王だろうか。それとも別の何かだろうか。
いずれにせよ、平穏な日々は――長くは続かない。
ティオは、拳を握った。
「絶対に――この子たちを、守る」
それが――自分の、役目だから。
その時、背後から声がした。
「……ティオにいちゃん」
振り返ると、レイアが起きていた。
「レイア、どうした?」
「……ねむれない」
レイアは、ティオの隣に座った。
「そうか」
二人は、しばらく黙って月を見ていた。
「……ティオにいちゃん」
「ん?」
「こわい?」
「……何が?」
「これから、おこること」
レイアの言葉に、ティオは少し考えた。
「……怖いよ」
ティオは、正直に答えた。
「お前たちを守れるか、不安だ」
「……」
「でも――」
ティオは、レイアを見た。
「お前たちがいるから、頑張れる」
「……」
「お前たちの笑顔を守りたいから――怖くても、前に進める」
ティオの言葉に、レイアは小さく笑った。
「……ティオにいちゃん、つよいね」
「そうかな」
「うん。だって、こわくても、まえにすすむんでしょ?」
「……ああ」
「それが、つよいってことだよ」
レイアの言葉に、ティオは少し驚いた。
この子は時々、大人びたことを言う。
「……ありがとう、レイア」
「……どういたしまして」
レイアは、ティオにもたれかかった。
「……ティオにいちゃんがいれば、だいじょうぶ」
「……そうか」
ティオは、レイアの頭を撫でた。
「じゃあ、寝よう」
「……うん」
二人は、ベッドに戻った。
レイアは、すぐに眠りについた。
ティオは――その寝顔を見て、小さく笑った。
この子たちを絶対に、守る。
それが――自分の、使命だ。
翌朝、一行は村を出発することにした。
村人たちが、見送りに来てくれた。
「お気をつけて」
「勇者様、頑張ってください」
「ありがとうございました!」
三人は、元気よく手を振った。
「ばいばーい!」
「またね!」
「……またね」
馬車が、ゆっくりと動き出す。
村が、徐々に遠ざかっていく。
ティオは、御者台から村を振り返った。
平和な村だった。戦争の影もなく、人々は穏やかに暮らしていた。
こういう場所を――守りたい。
ティオは、改めてそう思った。
「ティオ」
ダリウスが、馬を並べてきた。
「はい」
「この村での時間は良かったな」
「……ええ」
「この子たちも、楽しそうだった」
ダリウスは、馬車の中を見た。三人は、シロと遊んでいる。
「ああ。でも――」
「ん?」
「こういう平和な時間がいつまで続くか――」
ティオの声は、少し不安げだった。
「分からん」
ダリウスは、前方を見た。
「だが――だからこそ、今を大切にするんだ」
「……はい」
ティオは、頷いた。
ダリウスの言葉はいつも、的確だった。
馬車の中で、三人は窓の外を見ていた。
「ティオにいちゃん、つぎは、どこいくの?」
「次は――少し大きな町に寄る予定だ」
「おおきな町!」
ハルトが、目を輝かせた。
「どんな町?」
「商業が盛んな町らしい。色々な店があるそうだ」
「わあ! たのしみ!」
ユイも、嬉しそうだ。
レイアは――静かに、外を見ていた。
「……レイア、どうした?」
ティオが尋ねると、レイアは小さく首を横に振った。
「……なんでもない」
だがその表情は、少し不安げだった。
ティオは――レイアが何かを感じていることに、気づいていた。
「何か、大きいものが、来る」
レイアの予感はいつも、当たる。
ティオは――不安を胸に抱えながら、馬車を進めた。
だがその不安を、三人には見せなかった。
今は――この平和な時間を、大切にしよう。
それが今、自分にできることだから。
馬車は――次の町へ向かって、ゆっくりと進んでいく。
空には少しだけ、雲が広がり始めていた。
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