転移と出会い
灰色の空が、どこまでも続いていた。
ティオは城壁の上から街の外を眺めながら、小さく息を吐いた。吐息は白く、初冬の冷たい空気に溶けていく。もう十二月に入ったというのに、空は厚い雲に覆われたままだ。雨が降るわけでもなく、ただ重苦しい灰色が視界を支配している。
戦争が始まって、半年が経った。
帝国と亜人連合国。二つの大国が激突し、大陸全土を巻き込んだ戦乱は、未だ終わりの兆しを見せない。開戦当初、帝国は圧倒的な兵力で亜人連合国の領土に侵攻した。だが亜人たちの抵抗は予想以上に激しく、戦線は膠着。今では互いに消耗し合うばかりの、終わりの見えない泥沼と化している。
ここ、グランフェル辺境伯領の街・リーエは、帝国の東端に位置する。幸いにも戦場からは離れているが、それでも戦争の影は確実にこの街にも及んでいた。
徴兵された若者たちは前線へ送られ、街には老人と女子供ばかりが残された。物資の流通は滞り、食料品の価格は高騰している。そして何より——街を行き交う人々の表情から、活気が失われていた。
「ティオ、そんな顔すんなよ」
背後から声をかけられ、ティオは振り返った。同僚の警備兵、ジェイクだ。ティオより三つ年上のこの男は、いつも気さくに話しかけてくる。
「暗い顔してたか?」
「ああ。まあ、気持ちは分かるけどな」
ジェイクは城壁に背を預け、空を仰いだ。
「オレの弟も、先月徴兵された。十七だぜ? まだガキみたいなもんなのに、戦場に送られちまった」
「......そうか」
「でもまあ、オレたちは警備兵だ。この街を守るのが仕事。前線の連中は国を守り、オレたちは街を守る。それだけだ」
ジェイクはそう言って、軽く肩を叩いた。
「昼の巡回、お前の担当だろ? 行ってこいよ」
「ああ」
ティオは頷き、城壁を降りた。
昼の巡回は、街の周辺を見回る仕事だ。主に街道沿いと、街の外れにある森の入口を警備する。盗賊や魔物が出ないか、警戒するのが目的だ。
戦争が始まってから、治安は確実に悪化している。前線から逃げてきた脱走兵が盗賊となり、街道を荒らす事件が増えた。魔物の活動も活発化しているという報告もある。警備兵の仕事は、以前よりずっと重要になっていた。
ティオは街の門を出て、街道沿いに歩き始めた。冷たい風が吹き抜け、枯れ草が音を立てる。街道には人影がほとんどない。商人たちも、この時期は旅を控えているのだろう。
しばらく歩いて、森の入口に差し掛かった時だった。
——泣き声が聞こえた。
「......ん?」
ティオは足を止め、耳を澄ました。確かに、子供の泣き声だ。しかも一人ではない。複数の子供が泣いている。
「こんなところに子供が......?」
嫌な予感がした。この辺りは魔物が出る。街の住人なら、子供を一人で森に近づけるはずがない。
ティオは剣の柄に手をかけ、声のする方へ走り出した。
森の入口を少し入ったところに、三人の子供がいた。
いや——子供というより、幼児だ。どう見ても、五歳にも満たない。短髪の男の子が一人。髪を二つに結んだ女の子と、前髪が長めで三つ編みにした女の子が一人ずつ。三人とも、見慣れない服を着ている。
そして、三人を囲むように、五匹の魔狼が牙を剥いていた。
「クソッ......!」
ティオは剣を抜き、駆け出した。魔狼は通常の狼よりも大きく、凶暴だ。子供たちが無事なはずがない。
「離れろ、子供たち!」
叫びながら、ティオは最も近い魔狼に斬りかかった。剣が魔狼の脇腹を捉え、鮮血が飛ぶ。魔狼が咆哮を上げ、ティオに飛びかかってきた。
「チッ——!」
ティオは剣で受け止めるが、魔狼の力は強い。押し込まれ、バランスを崩しかける。
この状況はまずい。一匹なら何とかなるが、五匹相手では勝ち目は薄い。子供たちを守りながら戦うなど、無謀に近い。
だが——やるしかない。
ティオは歯を食いしばり、魔狼を押し返そうとした。その時だった。
「やだー! あっちいけー!」
男の子が、泣きながら叫んだ。
次の瞬間、眩い光が森を包んだ。
「......え?」
ティオは呆然と立ち尽くした。
魔狼が——消えていた。
いや、消えたわけではない。森の木々に叩きつけられ、ぐったりと倒れている。五匹全てが、一瞬で。
「な、何が......?」
ティオの視線の先で、男の子——ハルトが、きょとんとした顔でこちらを見ていた。
「......おにいちゃん、だいじょうぶ?」
二つ結びの女の子——ユイが、心配そうに近づいてくる。
「あ、ああ......大丈夫、だが......」
ティオは混乱していた。今、何が起きた? この子供たちが、魔狼を吹き飛ばしたのか?
「おにいちゃん、ケガしてる」
ユイが、ティオの腕を見つめた。確かに、魔狼との戦闘で腕に擦り傷ができている。大したことはないが、少し血が滲んでいた。
「いたいの、いたいの、とんでけー」
ユイが小さな手をティオの腕にかざした。
次の瞬間、温かい光がティオの腕を包んだ。傷が——消えた。いや、治った。擦り傷だけではない。以前の訓練でできた古傷まで、跡形もなく消えている。
「......これは......」
「なおったよ!」
ユイが満面の笑みで言った。
ティオは言葉を失った。魔法か? いや、魔法でもこんな即座に治癒できるのは、相当な腕の治癒術師だけだ。この幼児が、そんなことを?
「......おにいちゃん、いいひと」
アシンメトリーの髪の女の子——レイアが、ティオをじっと見つめながら呟いた。その瞳は、まるで何か深いものを見透かしているようだった。
「君たち......一体......」
ティオが問いかけようとした時、ハルトがティオの服の裾を掴んだ。
「おにいちゃん! おなかすいた!」
「え......あ、ああ......」
状況が飲み込めないまま、ティオは三人を見下ろした。
幼児が三人。見たこともない服を着て、魔物を一瞬で倒し、傷を完全に治す。そして——街の子供ではない。
これは、一体どういうことなんだ?
ティオは三人を街へ連れ帰ることにした。
放っておくわけにはいかない。この幼児たちがどこから来たのか、何者なのか、まるで分からないが——少なくとも、保護する必要がある。
「ねえねえ、おにいちゃんのなまえは?」
ハルトが、ティオの手を引きながら尋ねた。
「ティオだ。ティオ・ランベール」
「ティオにいちゃん!」
ハルトが嬉しそうに笑った。ユイとレイアも、ティオの後ろをついてくる。
「君たちの名前は?」
「ハルト!」
「ユイです」
「......レイア」
三人は素直に名前を答えた。ティオは少しほっとした。少なくとも、言葉は通じる。
「君たち、どこから来たんだ? 親は? 家は?」
「......わかんない」
ハルトが首を傾げた。
「きがついたら、もりにいた」
「ママは......? パパは......?」
ユイが不安そうに呟いた。その目には、涙が浮かんでいる。
「......ママ、いない」
ユイの目から涙が零れた。それを見て、ハルトも泣き出しそうになる。
「あ、ああ、泣かないで。大丈夫だから」
ティオは慌てて、ユイの頭を撫でた。
「ちゃんと、親を探すから。な?」
「......うん」
ユイは涙を拭いながら、小さく頷いた。
ティオは内心、頭を抱えていた。記憶がない? それとも、何かの事情で親と離れ離れになったのか? だが、あの魔法のような力は何だ? 普通の子供では、ありえない。
そして——この子たちを見ていると、妙に放っておけない気持ちになる。まるで、自分が守らなければならないような、そんな感覚。
「......ティオにいちゃん、やさしいね」
レイアが、ぼそりと呟いた。
「そうか?」
「うん。......だいすき」
レイアがティオの服の裾を掴んだ。ハルトとユイも、ティオにくっついてくる。
「ティオにいちゃん、いっしょにいてね!」
「ずっと、いっしょ!」
「......ああ」
ティオは、小さく頷いた。
この子たちを、放っておけるはずがなかった。
街に戻ると、三人の幼児を連れたティオに、人々の視線が集まった。
「ティオ、その子たちは?」
門番が尋ねてくる。
「森の近くで保護した。迷子らしい」
「迷子? こんな小さい子が、森の近くに?」
「ああ。詳しいことは分からないが、とりあえず詰所に連れて行く」
ティオは三人を連れて、警備隊の詰所へ向かった。
詰所では、隊長のバルドが待っていた。四十代の厳格な男で、ティオの直属の上司だ。
「ティオ、その子たちは?」
「森の近くで保護しました。魔狼に襲われていたところを助けました」
「魔狼に? よく無事だったな」
「それが......」
ティオは、先ほどの出来事を説明した。ハルトが魔狼を吹き飛ばしたこと。ユイが傷を治したこと。バルドは眉をひそめながら、話を聞いていた。
「......魔法か?」
「分かりません。ですが、普通の子供ではないことは確かです」
バルドは三人をじっと見つめた。ハルトは好奇心旺盛にあたりを見回し、ユイはティオの服の裾を掴んで離れない。レイアは、ぼんやりとバルドを見上げていた。
「......不思議な子たちだな」
バルドが呟いた時、レイアがぼそりと言った。
「......おじさん、つかれてる」
「......え?」
バルドが驚いた表情を見せた。
「せんそう、いやなんでしょ?」
「......!」
バルドの顔色が変わった。ティオも驚いた。レイアは、まるでバルドの心を読んだかのような口調で言った。
「だいじょうぶ。もうすぐ、おわるから」
「......君は、何者だ?」
バルドが、真剣な表情で尋ねた。
だがレイアは答えず、ただ首を傾げた。
その時、詰所の扉が勢いよく開いた。
「隊長! 大変です!」
部下の一人が、息を切らしながら飛び込んできた。
「何事だ?」
「帝都から、急使が! 勇者召喚の儀式が——失敗したと!」
「何だと!?」
バルドが立ち上がった。ティオも驚いた。
勇者召喚。それは、帝国が戦争を終わらせるために準備していた、最後の切り札だった。異世界から勇者を召喚し、その力で亜人連合国を打ち破る——そんな計画が、進められていたのだ。
「失敗とは、どういうことだ!」
「詳しいことは分かりませんが、召喚は成功したものの、勇者が帝都ではなく、別の場所に現れたとのことです! 帝国全土に、勇者を捜索せよとの命が!」
「別の場所に......?」
バルドの視線が、三人の幼児に向けられた。
ティオも、はっとした。
まさか——
「君たち......いつから、森にいた?」
「......きょう」
ハルトが答えた。
「きがついたら、もりにいた」
「異世界から......召喚された......?」
バルドが呟いた。
その瞬間、詰所の空気が一変した。
「ティオ」
「はい」
「君は、この子たちを保護した第一発見者だ。引き続き、君がこの子たちの世話をしろ」
「え......」
「これは命令だ。この子たちが勇者である可能性が高い。帝都に報告し、指示を仰ぐ。それまで、君が責任を持って保護しろ」
「ですが、私は警備兵で......」
「だからこそだ。君がこの子たちを見つけた。そして——」
バルドは、ティオの服の裾を掴んで離れないユイを見た。
「この子たちは、君を信頼している。君以外に、任せられる者はいない」
「......」
ティオは言葉を失った。
自分が? この子たちの世話を?
「ティオにいちゃん、どうしたの?」
ハルトが不安そうに尋ねてくる。
「......いや、何でもない」
ティオは、小さく息を吐いた。
どうやら、自分の運命は——この日、大きく変わってしまったようだ。
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