5話:寿命38秒、保守通路
「思考加速!」
目下、真っ逆さま。
光苔が星みたいに瞬く――まるで見送られてる気がした。
ロマンチックなんて物じゃない。死神の眼が、数を数えてるだけだ。
このまま落ちたら、着地で死ぬ。
着地の後、死亡後三分以内ルールの間に、俺は次の五十秒に結線して、現在稼働中の四時間は命と引き換えに消える。
まあ、それでも――負傷のたびに“無傷”へ戻る、この歪さにも慣れた。
問題は、予備はどれも一分未満しかねぇ。
死ぬまでの僅かな間でもこうして思考加速の間に、こねくり回して偽命を試行錯誤している。
どれもこれも数秒程度の物しかできない。
ああ、なんてこった。
思考加速とはいえ、あくまでもそれは俺の体感時間。
現実の秒針は待ってくれない。
もうすぐ地面。そこで俺は死ぬ。
せめて、この肉体がどこまで変化したのか。
即死せずに済むのか――足掻けるうちは、まだ死んでねぇ。
そう思った時、ドン、と視界が裏返って、闇。
【致命傷:発生】
……おいおい。これで即死しないって、俺の方が化け物じゃねぇか。
胸の奥で偽命をこねた予備の五十秒を、三分の内に差し込んだ。
【結線:状態全快/前稼働 余命4時間台 破棄】
【稼働残:50秒|予備①:34秒|予備②:なし 】
肺が焼ける空気が戻る。同時に、体はまだ斜めの鉄板を滑っていた。
どうなってんだ?
「マジで助かってねぇー」
遠い先に見える針床はもうすぐ。油膜のついた斜板が、流し台みたいに俺を運んでいく。
転げ落ちる坂をどうにかしなければ。
右壁へ〈顎〉を立て、横溝を抉る。肘を差し込み、滑走を殺す。
続けて上方向に段を刻む。膝・指・肩で体を押し上げる。石粉が舌に苦い。
【稼働残:47秒】
段の縁を乗り越えた瞬間、床の目地が矢印の形に濃く見えた。くそ、管理紋だ。
矢印の先に、わずかな段差。そこが安全地帯ならいいが――
踏んだ。
【位置:小踊り場/前:正面壁(点検扉)/後:斜板(戻れない)】
【稼働残:41秒|予備①:28秒|予備②:34秒】
【警告:圧搾壁 起動】
ゴウン。壁が歌う。左右がじわじわ寄ってくる。
「くそっ! マジでついてねぇー」
胸の高さで鉄棍を横に渡し、左右の壁につっかえにした。柄がきしむ。
肩が軋む。骨が悲鳴を上げる。あと一拍遅れたら潰れる。
圧搾の壁を壊す気はさらさらない。
目の前の扉へ、膝に火を入れて一直線。
この速さなら、世界選手権で優勝できるかもしれねぇ。
どうでもいいことが、こんな時に限って浮かぶ。
正面の壁に、四角い枠と小さな蝶番。
陰険クソヤロウが設計したんだろう、点検扉だ。
床際の取っ手は砂で固まっている。
「クソが!」
〈顎〉で蝶番に噛みつき、ピンを折る。続けざまに枠に噛み口を作って――
「開けろ! 開け! 開け!」
ギン、ベキッ。蝶番がもげ、枠が内側にひしゃげた。
肩から滑り込み、胸、腰を通す。
「戻れ」
棍が楔を抜け、扉の内側の俺の手に転がる。背後で左右の壁が噛み合い、鈍い音で止まった。
【環境操作:点検扉 こじ開け/寿命コストなし(経過のみ)】
【回帰:武器 呼び戻し/コストなし】
【稼働残:38秒】
通路の先が、やけに静かだ。
耳を澄ますと、空気が細い管を通した音みたいに鳴る。
鼓動だけが、狭い通路を叩いて返ってきた。
指先が脈と一緒に痺れる。やけにカビ臭せぇ。罠が今か今かと待ち構えている。
これを聞いてハッピーになるヤツなんていないだろう。嫌な兆候でしかない。
祈祷油をひと滴、指で弾く。光の筋が震えて、空気がざらついた。
霧が風の筋で裂け、壁の穴列が浮いた。矢座だ。
しゃらクセェ!
「なら――」
〈思考加速〉。世界が灰に落ちる。
矢孔の黒、風の周期、床の石の沈み。パターンは三拍。
右足で偽の踏み板を軽く押し、左に本命のラインを踏む。
矢が遅れて降る。かすりもしない。
さらに奥、回転刃の銀色が息をする。軸の付け根に欠け。
顎を浅く噛ませ、軸だけを嚙み欠く。火花が灰の世界に散った。
【解除】
金属の叫びが一つ。刃は片肺になり、壁にくぐもって止まる。
【稼働残:38秒】
小さな点検台。膝をつく。
息と一緒に心拍が戻る。舌に、わずかに金属味。〈思考加速〉の後遺症だ。
喉が一度だけ鳴る。まだ生きてる。
「製作。短いのでもいい」
【製作】偽命(21秒)→破棄
【製作】偽命(28秒)→予備①に格納
指の節が痺れる。骨の内側で秒針が削れていく感覚。
もう一本いけるか――やめた。焦ると一桁秒しかできない。
【位置:点検扉の内側/保守通路】
【稼働残:38秒|予備①:28秒|予備②:34秒】
保守通路はすぐに途切れ、円形の溜め池に出た。
真ん中に低い島、周囲は薄く水が回っている。
光苔の反射が天井を撫で、輪になって揺れた。
「なんだあれ?」
島の中央に、ポツリと蓋のある石壇。
どう見たってお宝と罠の両方の匂いしかしねぇ。
でもな、こういうのって、確認したくなるんだよな。へへ。
水は、膝に当たるまでで深くない。
そのまま歩いて向こう岸まで渡り切ると、ドキドキしてきた。
やっぱこの瞬間が楽しいんだよな。……死ぬほど怖いのに、な。
まずは触れる。押す。引っ張る。
びくともしねぇ。
これっきゃないか。〈顎〉で角をこじると、蓋がぱたんと内側へ倒れた。
「おおー! マジかー! これ熱いな!」
中は格子トレイが三段。
手のひら大のキューブがびっしり詰まっている。どれも淡く脈打つ。
「……保管庫か。助かる」
肩から力が抜ける。肺が、やっと大きくふくらんだ。
空気が焼けるほど、うまい。久々に、安堵で指が震えた。
魔法袋の口を開き、段ごと流し込む。
【取得:魔石キューブ(低格)×12 → スタック 12/100】
【取得:魔石キューブ(低格)×18 → スタック 30/100】
下段の端に、深色のキューブが五つ。熱の気配が濃い。
【取得:魔石キューブ(中格)×3】
うへ、こりゃ……最高だ。
ぶくぶくとこの時、水面が泡立ち始めた。
やっぱ来たか!
……水面が逆流した。
【警告:保全呼出】
島の周囲で泡の輪が咲き、長い影が一つ、二つ。
「盛りすぎたか。来たか!」
〈思考加速〉。灰が沈む。
息の音だけが残る。
鉄棍を低く構え、顎をわずかに開く。
水を割って、屈折の蛇が跳ね上がった。




