1話:5秒の偽命
俺はもう、死んでいる。
……正確には、“死ぬ寸前を自作で誤魔化してるだけ”だ。
命は自作――ないなら作る。それが俺の生命線。
予備ゼロ。次の呼吸で終わる。いや、終わらせたくない。
――この世界で俺だけは、「命」は数値だ。
稼働残、予備、錨。すべてが生体記録として表示される。
それが、生きている証だ。
目の端に、数字が点滅する。
【稼働残:約5秒|予備:[空|空|空|空]】――3、2。喉がカチ、と鳴る。1。
床に崩れる前に、息を吸う。
胸の奥で命の輪郭を結び、魔力を流し込む。
――偽命を一つ“組む”。
偽命。使い捨ての寿命パック。
起動音もエフェクトもなし。ただ、胸がもう一度だけ動く。
出来た。〈結線〉(=命のUSB差し替え。直前の命は破棄)で差し替える。
残り数秒、捨てた。もったいないけど死ぬよりマシ。
……毎回こうだ。
【結線:新規60秒】
喉が軋む。笑えてくる。笑ってる場合じゃねえのに。
喉が勝手に鳴った。
――はぁ。マジで、なんなんだよこの人生。
俺の〈偽造〉で作れるのは命だけ。他は無理。
だから、生きるたびに命を“組み”、スロット(全5枠)のどこかに詰める。
外せば真っ当に死ぬ。
停止してから3分だけ、〈意識と魔力回路〉が残る。
……死後猶予ってやつだ。
その間に次の偽命を挿せば、死を上書きできる。
便利っちゃ便利。死んでるけど。
〈思考加速〉は無料。今回は加速中に組んだ。
今日は特にひどい。秒で繋ぐ日だ。
息が一個で尽きる。次を稼ぐしかない。
路地の先で、鈴みたいな甲高い悲鳴が聞こえた。
路地を三つ抜けるだけで秒が溶ける。〈移動〉は黙って減るし、マジ勘弁。
濡れた石で滑り、古い靴底がきしんだ。
【稼働残:約10秒】――吸って、止める。
頭上の影が動いた。翼だ。
「討伐対象、発見!」
金属を擦ったような、平板な声。
白い翼を持つ異形。天使の皮をかぶった殺し屋。
俺たち“界人”を狩るために作られたモノ。
【稼働残:1秒】――賭ける。
〈思考加速〉、発動。世界が一拍遅れる。
距離ゼロ。顎で一噛み。
――ガキィン! 金属を噛み砕く音。歯根の奥が痺れ、耳に白いノイズが走る。
羽根の根元が裂け、隊列が乱れた。
右腕の肘から先、黒い魔獣の狼顎。これが俺の唯一の武器だ。
【返還:+5秒/現在:1桁秒台】
逃げる。
喰えば寿命が返還される――とはいえ微々たるもんだ。
“寿命の継ぎ足し補給”ってやつ。
延命ってより、気休めだが――
考えろ。だがまず動け。命だ、生き延びなきゃ意味がない。
ろくろみたいに手を回し、胸中で偽命をこね続ける。
命の持ちは、今の魔力と魔核、それに体調で決まる。
格の高い獲物を喰えば少しだけ伸びる。
だが次々と白いのが舞い降りてくる。
祭りの会場はここでいいらしい。
教会跡の壁には「界人立入禁止」の札。
聖具台には“界人祓い”の手順書。
……悪趣味にもほどがある。
札の釘は錆び、台座には焼けた「界」の匂いが染みついている。
祈りの道具が、俺たちを炙るための兵器。笑えるよな。
ふと、手の甲の光を見る。界印。青白い焼き印。
異界人識別用の呪い。隠しても結界で発光する。
門前で光れば、話も聞かずに扉は閉まる。
界人が街で生きるには“界籍”ってクソ許可証が必要だ。
宿泊・雇用・医療、全部それ頼み。界人にはまず降りない。
未所持は罰金か拘束。死刑もある。
ほんと、どこまで差別すれば気が済むんだよ。
白が二、三体。顎を開き、まとめて刈り取る。
――ガシュッ。光が喉を落ち、ざらつく。
長く引っ張るほど疲れが積もるから、短く、深く。
【返還:+50数秒/現在:約1分】――息は繋がる。余裕は来ない。
よし……待て、今いくつだ? 数えてる余裕ねぇ。
綱渡りだな。いつも通り。
胸の奥では、また新しい偽命をこねている。
命を手作業で組み上げる感覚――これが、俺の“生きる”って行為だ。
ようやく戦場が静かになった。
羽根が地面に散って、風に溶けていく。
〈思考加速〉を解除。金属の味が舌に残る。
耳鳴りが止まらない。……脳が焼ける感覚にも、もう慣れた。
「……もっと長いのが欲しいよな」
呟いても、返事するやつはいない。
村の門前札が風にばたついた。
『界人は保証人なし宿泊不可』『界籍税未納者は通行止め』。吐き出す息ですら肺でしぼられる。
あぁ、笑えねぇ。生きてるだけで罰。まったくよお、素敵な世界すぎるぜ。
今目指すのは、盗賊のアジト。
――今日の“食料調達”先だ。
命を喰って寿命を繋ぐって、いつもがけっぷちだな。
道中は秒で繋いでしのぐ。
短い偽命を挿し替えながら、長く持つやつを引き当てる。
射幸心煽りみたいなもんだ。
生きるたびにアタリとハズレで一喜一憂。
ダメなら即死。笑うしかない。
しばらく歩くと、洞窟が見えた。
「ここか」
馬車が通れる幅。暗いが夜目が利く。
入口に見張り。
こいつを一噛みで静かに片付ける。
【返還:+10数秒/現在 → 約1分強】
舌の奥が甘く痺れる。魔核の濃度が高い。
中へ進むと、乾いた岩肌。
松明が等間隔に灯り、壁の影が揺れる。
奥は広間――食堂らしい。
盗賊たちが酒を回して笑ってる。
“人買い”連中だ。やれる。
半透明になった顎を大きく開け、一息でひと飲み。
「ぎゃー!」「地面が――」「やめ――!」
悲鳴が石壁で砕け、泡みたいに消えた。
……は? 三分? いや違う。猶予の方じゃねぇ。
組まなきゃ、落ちる。
急いで次の偽命をこねる。
手が震える。指の腹が汗で滑る。胸骨の裏で、ロクロを回すように命をこねる。
命を“組む”って、本当はこんなに無様な行為なんだ。
静寂。天井から煤がぱらぱら落ちる。
耳の奥で、自分の鼓動だけが鳴っていた。
――そのとき、別の声が残った。
「そこの方。……そこの方」
女の声だ。
弦がびりっと震えるみたいな、濁りのある響き。
「倉庫に」
「……」
敵か味方か、わからない。
しゃべるたびに秒が削れる。けど、放っておくわけにもいかない。
倉庫へ向かう。
雑多に積まれた箱の奥――鳥籠。
中にいたのは、リスみたいな小動物。
ぱちぱちと目を瞬かせ、こっちに手を振ってくる。
「……まさかお前が喋ったのか?」
頷く。マジか。
錠を外してやると、ペコペコ頭を下げる。
いや、礼儀正しいとかそういう問題じゃ――
だが――なんだ餌か。
「キュッ!」
一瞬の叫び。反射的に顎が動いた。
飲み込む。
……すぐ違和感。喉の奥で止めて、吐き出す。
べちゃり。偽の毛皮が床に落ち、砂になって消える。
代わりに、ひょいと出てきたのは――小柄な少女。
「っ、寒っ! 見ないでよ!」
「見ねえよ!」
「人ゴロシ! 今たべようとしたでしょ! ねー食おうとしたでしょ!」
「うるさいな、吐き出したじゃん。助かったろ」
「助かってない! ぬるぬるだし! 最低!」
……おかしい。さっきまで死線ギリギリだったのに。
あまりに調子が外れて、思わず笑う。こういうズレ、嫌いじゃないな。
それにしてもコイツ、なぜか、逃げないやつだ。
俺は壁のフックから盗賊のケープを取って、肩にかけた。
「ほら。これ着ろ。寒いだろ」
少女――いや、元リス――はぶすっとしながらも受け取る。
その瞬間、彼女の右手の甲に青い光。界印。
俺と同じ“異界人”だ。
「顎の中は魔力の位相がフラットだからな。
外付けの擬態は剥がれるけど、契約や印は残る」
「……なに? それって役立つの?」
「たった今役立っただろ?」
棚の陰に、人買いの記録が散らばっていた。
“界人仕入帳”――最悪のワードだ。
その中に、一枚だけ煤けた羊皮紙。
『恒命式――持続化/生成:欠落』の見出し。
俺はそれを懐に滑らせる。
“持続化”。偽命を永続化できるなら、話は変わる。
生成は白紙。作れるのは俺だけ。……皮肉なもんだ。
「名前は?」
少女が首を傾げる。
髪の毛は淡い灰色で、目は琥珀。小動物っぽさがまだ残っている。
「……今は“ミミ”でいい」
「了解。ミミね。まずは安全確保だ。服はあとで探す」
「うん」
このまま何もないわけがない。
通路の奥から、武装した盗賊が怒号とともに飛び込んできた。
〈思考加速〉、発動。世界が灰色に沈む。
足もとをひとかき。顎で石畳をえぐり、みぞを穿つ。
先頭が踏み外して、隊列が崩れる。
横の長卓を蹴り倒して道を塞ぐ(壊すのはタダだ)。
ここからが有料。右腕に力を落とす。
〈魔獣の顎〉――一人、丸ごと。
【返還:+5秒 →約2分強】
もう一人の足首を噛んで引き倒し、喉元に歯を置く。
最後の一人は柄を絡め取って投げる。顎を畳む。
胃の奥で光がほどけ、体内に寿命が流れ込む。
反動が遅れてやってくる。喉に金属の味。
長命型の偽命が今日は掴みにくい。
【致命傷:発生】
脇腹を槍が貫いた。
「ぐっ……!」
痛みが腹から背骨へ、背骨から後頭部へ、一本の焼け線で貫く。
【結線:状態全快/前稼働 余命破棄】
胸の奥が一拍抜け、傷が閉じた。
代わりに、さっきまでの時間を丸ごと燃やした。
【稼働残:5日|予備①:2日】
長期稼働型の偽命は“日単位表示”に切り替わる。短命モードとは扱いが違う。
「これで全部か……」
聞こえるのは、自分の鼓動とミミの呼吸だけ。
よし、土台は確保。
残りの枠は長めで固めたいが、先に割り振る。
一枠は魔法袋。〈錨〉(=死んでも残る装備スロット)として固定。
もう一枠は武器。
〈回帰〉を通せば、刃こぼれも血も砂になって落ちる。新品に戻る。
【回帰:武器リフレッシュ -1秒/稼働残:4日23時間】
「命の予備を削ってでも確保……バカだな、俺」
ミミが俺の指の動きをじっと見ていた。
「ねぇ、あなたって神様ぽい何か?」
「いんや、偽者様」
「ぶっ、なにそれ!」
俺も吹き出した。笑いが零れる。
この子の笑い声、やけに空気を明るくする。
「まずは印を無効化、次に界籍をどうにかする。それだけで生存率が桁で変わる」
「それだけ?」
「いいや――深く長く生きる。長持ちのレシピの手掛かりも追う」
ミミが、こくんと頷いた。
「というか、お前ついてくるのか?」
「そうだよ?」
「なんで? 見ての通り、俺、常に死ぬ間際だぞ」
「うーん、面白そう? ……は冗談。
あなたと同じ異界人の子を探してるの」
「何にもしてやれねぇぞ。自分のことで手一杯だ」
「いいの。同郷同士なら自然と引き寄せ合うと思うし」
「……自由だな。自分のことは自分で守れよ?」
「うん! 大丈夫、こう見えても魔法は得意だよ!」
「得意なのに捕まったんだよな?」
「げっ、それは今関係ないでしょ!」
掛け合いながら、洞窟の外へ出た。
夜風が冷たくて、肺が痛い。
けど、生きてる。ちゃんと息がある。
「ああ、普通の生活がしテェー! なんでだー」
思わず漏らす。
ミミがこちらを振り向いて笑う。
「ぶっ、何それ。生きるたびに命作る人が“普通”とか言う?」
「言わせろよ。夢くらい」
俺は笑い返した。
なんだろうな、ほんの少しだけ胸が軽くなった気がした。
「ねぇ、あなたは?」
「俺?」
言っても何も変わらないのに、言いたかった。
少しだけ間を置いて、息を整える。
「……元・人間。普通の大学生、黒瀬悠斗だ」
名前を口にしただけで、肺が少し軽くなる。
胸骨の内側に、ちいさく灯りが戻る。
ミミの笑顔が固まった。目だけがゆっくり瞬いた。
【To be continued】
――5秒を偽造して、次の5秒へ。
(この後、2話へ続きます)
※あとがき※
これは、自分の“書き方”についての話です。
感情や行動を「その瞬間にどう吐き出すか」を重視しています。
リアルな体感を追うと、感情は詩的にはならない。
あとからなら言葉を飾れるけれど、戦っている最中は違う。
だから、あえて“そのまま”を書いています。
その方が正直で、そして――書いていて気持ちがいいからです。
これから先、悠斗たちがどんな“延命”を選ぶか、ぜひ見届けてください。




