二話 母
レムは、本来の目的である買い物を済ませようと、市場をぶらついていた。
頭の中は常にアリシアに対する罪悪感が滲んでいたが、振り返ったところで
アリシアはもういない。
もやもやと心が晴れないまま、レムは背中をまるめて歩いた。
トマトと卵を購入したレムは、小麦粉を探すべく、
市場を通る人ごみに体を滑り込ませ、一軒の雑貨店へ入った。
ほこりっぽい店内は暫く掃除した痕跡が感じられなく、
天井には堂々と蜘蛛が住居をかまえていた。
「やあ、レム。最近見なかったね」
レムはこの萎びた店の唯一ともいえる常連だった。
レムはこの店の雰囲気が気に入っていたし、店主とも仲がよかった。
片手に抱えていたトマトと卵の紙袋を置き、レムはいつも確認する棚から
小麦粉を引っ張り出した。
「トムジイさんも元気でなにより。」
神託の神子に選ばれたからなど、とてもいえなかったレムは
適当に返事をして、ごまかすことにした。
トムは特に言及せず、小麦粉を袋に詰め始めた。
「お父さんは元気かい?」
「さあ、相変わらず。ずっとアトリエにこもってる」
「そりゃ坊や、寂しいねえ」
「もう、やめてよ」
軽いトムの調子に少し笑顔を見せたレムは、
小麦粉を出した棚の新製品をじっ、と見つめる。
それは、レムの父親が作る精巧なビスクドール達。
繊細なその美しい人形を眺め、レムは深く嘆息した。
「父さんは、僕を見るよりずっと温かい目でこの子達を見るんだ。」
「レム…。」
「父さん、いつココに来たの?」
「…二ヶ月前じゃ」
「え?二ヶ月前?」
レムは人形から視線を外し、トムを見やった。
トムは両目を隠す白髪の眉毛を少し上げ、パイプをくわえた。
「来月は新しい人形は持って来れないと言っておったよ」
「嘘、珍しいんだ」
「やつは自分の仕事に誇りを持っておるからなあ。まあ珍しいわな」
「ふうん…」
トムが吐き出す丸い煙を目で追い、
レムは小麦粉をようやく受け取った。
ふと、カウンターの側に飾られた地味な装飾のリボンに目が止まる。
そっと指先で撫でれば、艶やかなリボンのよい手触りが伝わった。
「ジイさん、これいくら?」
「ああ、それか。欲しいならやるよ。全く売れないんだが、人形の装飾品だよ」
「え?くれるの?ありがと!」
ドアに備え付けられたベルが鳴る。
一瞬の光が差し込み、ドアが閉じきったのと同時にトムが煙と一緒に吐き出す。
「まあ、最後のプレゼントだろうな」
帰宅したレムは早速買った物と釣りを台所に置き、ルシアンを探した。
レムの屋敷は広い。
使用人を雇う代わりに彼の父が作成した人形が身の回りの世話をした。
レムはまだメンテナンス中であるか行きがかり出会ったメイドへ話しかける。
「ねえ、ルシアンは?」
「試作品1098はメンテナンス中です。夕飯は私どもがご用意致します。」
「…そっか、ありがとう」
「いえ、仕事ですから」
トムが言うように、彼の父はプライドが高く、作品には一切の妥協をしない。
個々の人形達は顔が全く違うように作成されており、
ルシアンとは違い、業務的会話しかできない。
父は以前、ルシアンはメンテナンスが必要な駄作として、
彼女には名前がなかった。
レムはそんな彼女を不憫に感じ、母親に似ていることから
母親の名前そのままを与えて呼んでいる。
母親が死んだのはレムが生まれてすぐのことなので、もうずいぶん経っている。
母親そっくりの人形はそれからルシアンただ一体。
思い入れがないのは不自然だと、レムは感じていた。
「坊ちゃん、お帰りなさいませ」
「ただいま、ルシアン」
不意に背後から聞きなれた声がし、レムは振り返った。
「おつかいの品は、もう台所だよ」
「恐れ入ります」
「それとさ、トムジイさんからこれ、もらったんだ」
レムはポケットに入れたリボンを取り出した。
少ししわが付いてしまったそのリボンをルシアンに渡す。
「似合うと思う。あげるよ」
「え…ですが」
「んー、じゃあ命令、付けなさい!」
「…、ありがとうございます、坊ちゃん」
ルシアンの束ねられた黒髪は、レムのリボンの赤がよく映えた。
満足そうにそれを眺めたレムは、くう、と情けなくお腹を鳴らす。
「クス、もうすぐお夕飯ですよ」
「あはは…!そうだね、待ち遠しいや」




