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少女と青年

 


 滔々と落ちていた言葉が止まる。

 王太子の声に静かに耳を傾けながら思考を続けた少女の頭は、漸く真相へと辿り着いた。


「殿下、だったのね」


 あの事件を描き、実行し、例の本を創り出し、世間に悪女の存在と自分達の正当性を広めた、真の黒幕とも言える張本人。


 不思議と少女には一切の驚きが浮かばなかった。


 寧ろ、王太子は暗殺未遂に発展するまで何も手を打たなかった、という認識の方が巷での評判と相反していて違和感がある。朝食を焦がすほどだったそれが解消されて妙な清々しさすら感じた。


「僕は三年前、一つの計画を立案した。僕自身と、婚約者と、そしてお前を巻き込む策だった」


 しかし、少女と反比例するように王太子の声は沈んでいく。


「あの時、王妃は自分の息がかかった娘を婚約者に据えようと躍起でな。僕や彼女の粗を探すことに執着していた。令嬢には王太子以外に心を寄せている者がいる、なんて噂を吹聴するし、果てには僕とお前の関係性まで邪推する始末だ」

「だから私だったの?」

「ああ。お前が罪人になるよう誘導して公衆の面前で糾弾すれば、口さがない王妃の戯言など誰も取り合わなくなる。加えて直後にお前の生家である男爵家が断絶したとあれば、事実がどうであれ誰もが思う。『公爵家の怒りを買ってはならない』と」


 ただでさえあの家の子息は妹狂いで有名だからな、と王太子は口端を歪める。

 少女の頭を撫ぜていた手はいつの間にか止まっていた。


「それは大貴族を敵に回した結果を想像したことのない王妃に対しても一定効いた。お陰で派閥争いは一旦鎮火、その間に外堀も随分と埋めることができた」

「外堀って、あの本のこと?」

「あれは僕の伝手で信頼のおける記者に書かせたものだが、当然、推敲前のシナリオは僕が作った。大多数の国民には馴染みが無い宮廷を舞台にした、醜い邪悪に打ち勝つ真実の愛の物語……大衆の興味を引くには十分だっただろう?」



 自身と令嬢が相愛であるという認識の獲得。

 大貴族に歯向かおうとする者がどのような末路を辿るのかという見せしめ。

 転じて、最大派閥の意向に逆らうなど不可能だと思わせることによる争いの鎮火。

 そして、大衆が好む勧善懲悪の物語に仕立て上げることで市井の支持を得て、王妃の『庶民の為に』という正義感を根底から否定し、自分達が婚姻する以外の道を潰す。


 その全てを最小限の労力と時間とリスクで果たすために王太子が辿り着いた答えが、あの事件を演出することだったのだ。



「そう」


 全てを理解して、少女は一つ溜息を零した。


「まんまと乗せられたのね、私」


 真っ直ぐ上へ視線を向ける。

 互いの顔は確かに互いを向いているのに、紺碧だけが翡翠を映そうとしない。


「すまないと言うことすら烏滸がましいと、分かっているんだ」


 少女の澄んだ瞳から逃げるように王太子が顔を背ける。

 眉間には薄く皺が刻まれ始めていた。


「許してくれとは言わない。仕方がなかったなんて言い訳を垂れる気もない。拒絶しても怒鳴っても恨んでも構わない、ただ知っておいてほしい。それが僕の、最後の駄々」


 遂には瞼を下ろし、絞りだすような声で言う。


「ふふ」


 そんな見たこともない王太子の姿に、少女はこみ上げてくる笑みを殺すことが出来なかった。


「散々、どうしようもない我儘を聞いてきたけど……こんなに優しい駄々、はじめてだわ」


 もう随分と自由が利くようになった身体を動かし、ゆっくりと上体を起こす。

 改めて王太子と向き直れば、三歩後ろに控えていた時とも、並んで隣を歩いていた時とも、頭を預けていた先程までとも違う景色が視界に広がった。


「ねえ殿下。本当はそんなこと話してしまうの、良くないんでしょ?王妃様の考えは貴族の反感を買うものだけど、きっと庶民からは多くの支持を得る。それを潰した策謀を庶民の私に明かすなんて、駄目に決まってるのに」



 今までのどの場面とも、どの感情とも違う。



「前に進みたい。その一言の為に話してくれた」



 初めて同じ高さで視線が交わったような感覚だった。



「ありがとう」



 嫌われてなどいない。憎まれてなどいない。

 それどころか、秘め事を打ち明けるほどに想われている。

 責任を感じるほどに。

 調子を狂わすほどに。



 確かに、想われている。



「…………感謝、など」


 少女のあどけない笑みを正面から浴びた王太子は、そのあまりの眩さに目を伏せた。


「そんな言葉、受け取る資格など僕には無いよ。お前に対する最低限の責任を漸く果たしたに過ぎない。いや、そもそも今の僕が果たせるほど小さな責任ではない」


 地面を見つめながら小さく零す様子を少女が優しい眼差して見る。表情は髪で隠れ、背中は丸まり、力なく地べたに座り込んでいるような姿は、普段の王太子とあまりにも違う。


 酷く小さく見えた。


「保身に走らずリスクを負ってくれた、それだけで嬉しいのよ」


 少女は膝を付き合わせる。

 その儚い存在に手を伸ばした。


「…………お前の父君を殺したのに?」

「あの人は自殺だったじゃない」

「それでも、追い詰めたのは僕だ」


 少女の指先が王太子の頬に触れる。

 彼はそれを拒まなかった。


「後悔はしていないんだ、重責が伴う決断をいちいち悔やんでいては身が持たない。だからいつだって指針を決めて、後悔しないで済むように生きてきたんだ」


 吐き出された息が少女の指に纏う。

 湿度を帯びた熱い吐息だった。


「だが、生んでしまった犠牲や与えてしまった傷が消えるわけじゃない。決めても決めなくても、悔やんでも悔やまなくても、一生罪悪感はついて回る。誰にも話せない、理解されない、口に出せない、顔に出せない。取り繕った笑顔の裏で、澱みばかりが溜まっていく」


 少女の掌が王太子の片頬を包んだ。

 その温もりに誘われるように彼は次から次へと言葉を繰り出す。


「生きているのに死んでいるような日々の最中にお前と出会って、僕と同じように自分を殺した姿を見て思ってしまったんだ、お前になら、僕は素直に笑えるんじゃないかって。そうしたらお前は本当に僕の側まで来てくれた、話を聞いてくれた。楽しかった、嬉しかったんだ」


 浅かった眉間の皺は今やくっきりと濃い。

 何かを堪えるように、しかし堪え難いと言うように、王太子は顔を歪ませる。


「そんなお前を、僕は罪人へと唆した」


 遂に声が震えを伴い始めた。

 それは少女が王子だった彼の我儘に振り回されていた頃にも聞いたことがない、激しい感情の発露だった。


「後悔はしていない、したくない、けれど齎した結果が切なくて、やるせなくて、でも実行した張本人がそんなこと言えるはずがなくて、謝りたいのに、悲しみたいのに、もし時間を巻き戻せても絶対にまた同じことをする人間が、そんなこと出来るわけがなくて」


 一筋、紺碧が取り零した水滴が赤い頬の上を滑り落ちる。

 それは少女の指を伝って、やがてぽつりと地面に染みを作った。


「許されたいと思うことすら、許されない」


 血を吐くような声だった。



 ああ、下手くそだ。

 少女の心が感じたものを、少女の頭はそう変換した。


 泣くのが下手くそだ。

 本音を吐くのが下手くそだ。

 それはいっそ哀れで、まるで誰かを見ているような気分になる。


 二人は下手くそだった。

 思い出の瓶を眺めて懐かしみを楽しめるほど、割り切った大人になれなかった。

 瓶の蓋を閉める術を知らず、無理に閉めたせいで少しの衝撃で割れて中身が溢れてしまう。


 下手くそだ。

 おんなじだ。


 王族だろうが、庶子だろうが。

 王子だろうが、メイドだろうが。

 国父だろうが、平民だろうが。


 二人は同じ苦しみに満ちた人間だった。



「いいよ」


 少女は頬から手を離し、代わりに両腕を広い背中に回す。

 躊躇は無かった。


「いいのよ、いいの」


 抱きしめて、抱き寄せて、幼子をあやすようにぽんぽんと背を叩く。


「いい、はずが」


 声音が抵抗を示しても、構わず少女は口を開いた。


「私ね、嬉しかったのよ。殿下と出会えたこと、側にいれたこと。我儘だって大変ではあったけど、私にしか言わないんだって知って、本当に嬉しかったの」


 全て事実で本心だ。

 罪を犯すよう誘導されても、王太子への気持ちを利用されていたのだとしても、嬉しかった。


 悪女へと誘導されたことが嬉しかった。

 何を言えばどんな行動に出るか分かるほど、自分を理解してくれていたということだから。

 唆せば罪を犯すだろうという信頼が嬉しかった。

 それは自分が抱いていたものが、信頼にまで届くほど熱い想いであったことの証明だから。



 愚かだろう。歪んでいるだろう。

 しかし何よりも一途だろう。

 純真で利他的で、けれど無節操で汚れている。

 これに敢えて名前を付けるなら、何になるだろうか。



「言いたいなら言えばいいし、思いたいなら思えばいいのよ。あんたのエゴなんて今更じゃない」

「……僕の立場が、それを許すわけないだろ」

「今まで私に散々駄々こねておいて何言ってるの」

「お前はもう僕の側にいないじゃないか」

「今いるでしょ」


 言葉を重ねるごとに震えが酷くなる。

 声がか細くなっていく。


「今が終わったら、お前はもういない」


 力なく垂れていた王太子の腕が持ち上がる。


「どうして」


 躊躇うように、壊さないように、弱々しく、しかし確かに、その手が少女の背を掴んだ。


「どうしていないんだ」







 そこから先の言葉は頬を滑った水滴に溶けた。

 決壊した紺碧から滂沱の涙が溢れ落ち、少女の肩口を濡らしていく。

 体裁を顧みず、王太子としての矜持も尊厳も投げ捨て、ただ嗚咽が漏れるままに泣いた。


「終わらせたくない」

「うん」

「行きたくない」

「そうね」

「離れたくない」

「私もよ」


 涙の合間に聞こえるくぐもった声に、少女は静かに相槌を打ち続ける。

 互いの気持ちを確かめるように、一言一言を噛み締めるように。




 ――あの日から今日まで私が生きてきたのは、きっとこの時の為だ。




 哀しくて愛おしい気持ちを存在ごと抱きながら、少女はそんなことを考えた自分に笑う。


 生まれてきた理由を貰った。

 呼吸をする意義を授かった。

 与えられたものを今、漸く返すことができている。




 腹の底から湧き上がり全身をくまなく満たした歓喜に、少女は満足げに瞑目した。

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