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舞台裏

冷たい夜風に乗った芳しい花の香りが鼻腔を刺激する。

 荘厳な花園を歩きながら、子息は無感動に花々を眺めた。


「相変わらずここは美しいですね」

「ああ、表面上はな。実際は虫だ病気だと忙しい。美しさを装うのは想像以上に苦労する」

「虫は殺せば良いのでは?」

「対策はしたんだがな……そろそろ効果が切れそうなんだ」

「他人事ですね。切らした、の間違いでしょう」


 テンポよく交わされていた会話が途切れる。

 王太子は背後から突き刺さる子息の冷たい視線を感じた。


「最近になってまた動きが活発化しています。いい加減羽音が鬱陶しい」


 底冷えするような声音を背に受けながら歩を進めれば、庭園の中央に座する噴水が見えてくる。そっと水盤を覗き込むと、美しい水面の下には枯葉や死骸が沈んでいた。


「……実害は」

「出ていたらこんな会話だけで済む筈がないでしょう」

「だろうな」


 もし出ていたら拳の一発は貰ったに違いないと笑いながら王太子は噴水の縁に腰を下ろす。

 改めて前を見据えれば端正な顔を顰めた子息の姿が目に映った。


 三年前の婚約発表から一気に下火になった派閥争い。現在の在り方を守らんとする体制派と、現状に変革を求める反体制派。どちらの人間が王家に取り入り影響力を獲得するか、権力闘争の舞台となった王太子の婚約者選定が決着してから、敗れた反体制側の活動は日に日にその規模を落としていた。

 王太子の優秀さ、令嬢の才媛ぶり、二人の蜜月を大衆の面前で披露することで付け入る隙を殺してきたのだ。


 しかし、それが今になって息を吹き返そうとしている。


 先程見送ったあの厳重な警備がそれを如実に物語っていた。本来であれば過剰だと言えるその態勢が当然に行われるほど、反体制派の活動が再び盛り返してきているのだ。

 それは逐一報告を受けている王太子自身も知るところであり、未だ実害には至っていないことも把握している。だからといって看過できる状況でないことも分かってはいるが。


「何故もっと上手くリード出来なかったのですか」


 現状を誰よりも見過ごせない男が声に憤りを乗せた。

 今まで通り、万に一つも可能性は無いと示し続けていれば回避できた事態だ。それを怠った自分に非難が向くのは当然だと王太子は目を伏せる。


「常の殿下であればあの程度、転ぶまでもないでしょう。式の確約を取り付けた程度で浮かれてもらっては困るのですが」

「相変わらず容赦が無いな、お前は」


 言葉の刃を苦笑で躱す。王太子にとって耳が痛い話だった。

 そも、何故さして珍しくもない派閥争いがここまで激化したのか。

 それは婚約者の選定と重なったことのみが理由ではない。現状に異を唱える反体制派の主張に、とある家が同調したからだ。


「王妃を説き伏せるのにかなりの骨を折ったんだ、安堵の一つは許してくれ」


 それは、現王妃の生家。

 庶民には決して得られない圧倒的な権益を約束されている貴族は、基本的に保守的な考えを有する者が多い。現状の何らかが変化した時、今ある利益が失われることを恐れるのだ。

 故に王太子は最初、微かな火の粉に過ぎなかった反体制派の拡大など全く予期していなかった。


 王妃という可燃物に引火するまでは。


「お前も知っているだろう、あの方の性格を。婚約が成ろうと彼女の失墜を狙い続けるんだ、お陰で外堀を埋めるのにも苦労した」


 冷静で穏やかな国王と、正義感に溢れる気高い王妃。巷でそう評されていると知った時、王太子は内心、嗤えばいいのか唾を吐けばいいのか悩んだ覚えがある。

 確固たる理念を持たない優柔不断な男と、己を正義と信じて疑わない石頭の女、の間違いだろうに。


「……ええ。今回の件はそもそも、あの方を引き込むことを前提に動いていた気がします」

「ああ。『特権階級の税金免除を廃止し、庶民の税負担を軽減させる』……いかにも王妃が食いつきそうなお題目だ」


 王妃という絶大な後ろ盾を得たことで、反体制派は俄然勢いを増した。

 貴族が持つ権益を真っ向から否定する主張故に、賛同者が多かったわけではない。しかし、自己主張が薄い王に代わり意見することが多い王妃の影響力は強大であり、また王妃の権力にあやかろうとする家々の思惑が絡み合った結果、反体制派は無視できない存在感を有するようになったのだ。


「そして王妃が白と言えば王もまた白だと言う。その発言が齎す結果など考えもせずにな」


 王太子の地面を見つめる目が細まる。

 国の統治者は王家だが、国を構成する国土を治めるのは各地方の貴族達だ。その貴族の大多数から反感を買うような政策を押し通せばどうなるかなど、想像に難くない。

 最悪を考えれば、国が内乱に割れる可能性すら孕んでいる。


 無論、王太子とて民の生活苦に目を瞑りたいわけではない。しかし、綺麗な言葉で飾り立てた上辺だけの政策など実施するだけ時間と労力の無駄た。税制の見直し、インフラの整備、識字率の向上、制度や食事情の改善……真に時間と労力をあてがうべき事項は山のように存在する。そうした取り組みを積み重ねていかなければ、根本的な解決には至らない。


 よって、王太子は何としても体制派筆頭である公爵家と縁を結ぶ必要に迫られた。令嬢と親しくなり、他の派閥の介入など不可能だと思わせる程の仲を演出しなければ、王妃によって反体制派である伯爵家の娘と婚姻させられるという確信があった。

 一刻も早く立場を固め、王と王妃を政権から遠ざけ、反体制派の力を削ぎ、事態を鎮静化して争いを完全に風化させる。

 王妃がどんな行動を起こすか、何を切っ掛けにして求心力が弱まるか完全には読み切れないからこそ、迅速な対応が肝要だと王太子は考えたのだ。


「殿下に並々ならぬ労苦を強いていることは分かっています。ですが、俺が最優先するのはあの子の幸福です。ご自身ばかりが苦しんでいるなどと考えているなら思い上がりですよ」


 吹き曝しの身に冷気が刺さる。

 脇についていた手でそっと石造りの縁を撫でた。そこに何の温もりも宿っていないことを改めて実感して、王太子は目を閉じる。

 そして、切り替えるように息を吐いた。


「流石、妹のために顔も声も変える男は言うことが違う。下戸の癖によくやるものだ」

「……誰にも漏らした記憶は無いのですが。幾ら殿下といえど悍ましい……」

「ふふ、相手が僕で良かったな?陛下の御前なら首が飛んでいたぞ」

「貴方以外に言うわけないでしょう」


 久方ぶりに発した軽口に小さく笑みを零して、王太子は軽い動作で立ち上がる。


「お前には面倒をかけるが、この煩わしい派閥闘争も即位と共に終わらせる。その日程が立ったのは大きな進歩なんだ。今はそれで納得してくれないか」

「聞かないのですか、あの女の現在を」

「ああ、聞いたところで損にも益にもならないからな」

「そういう姿勢が失態を、周囲の不審を招いたのでは?」


 そろそろ話を切り上げようと身体を庭園の出口へ向けていた王太子の動きが止まった。


「面白いな。妹一筋のお前が、いつの間に他人の機微に聡くなった?」


 酷薄な顔だと自覚した瞬間、急いで表情を取り繕う。無礼など今更な古馴染み相手であるのに、自分の心内を理解しているような言い草をされたことが不快だった。

 そんな王太子の胸中など知らず、子息は懐から丁寧に折りたたまれたハンカチを取り出す。差し出されたそれを手に取り広げてみると、色とりどりで優美な刺繍が施されている。

 王太子が目を引かれたのは、細かく縫われた糸が紡ぎだす絵図だった。


「……これは」

「妹が縫った内の一枚です。これがどういう意味を孕むのか、殿下ならお分かりかと」

「成程、やはり妹の影響か」


 薔薇冠を頂く白鳥。

 白い布に描かれたそれを見て、例の事件が起こる以前、ある日を境に令嬢が発する話題がガラリと変わったことを思い出した。


「切らした、とは言いましたが、殿下ご自身がそれを望んだわけではないのでしょう」

「……そうだな。本来の計画には無かった事態だ、こう見えても驚いている」

「ええ、俺もです。正直、妹がああなるとは思っていなかった」


 過保護な子息を筆頭とする周囲の人間に蝶よ花よと育てられた令嬢は、しかし王族の妃に求められる知性と品格を十全に備えた人物だ。宮廷で過ごした一ヶ月間、脱落を狙う反体制派の工作や多大なプレッシャーに折れることなく過ごし、持ち前の気品と対応力でもって他派閥の反感を黙らせてきた。


 未来の国母に相応しいという賞賛は彼女に対する正当な評価だ。


 そんな令嬢がダンスでミスを犯し、王太子の声掛けに対する反応も鈍く、表情を取り繕うことも出来ない状態に陥っている。


 二人にとって全く予想だにしない事態だった。


「俺達には責任があります。計画し、実行し、この事態を引き起こした責任が。それを放棄することは許されない。俺は兄として、貴方は夫として、無理に巻き込んだあの子の身も、心も、守らなければなりません」

「分かっている。具体的には?」

「……会って話がしてみたい、と」

「そう来たか。また一計を案じる必要がありそうだな」


 ハンカチを懐に仕舞って、王太子は笑みを空気に溶かす。

 一度浮上してしまった以上、不仲の噂は止める間もなく広がっていくだろう。

 その原因はぎこちない二人の言動であり、根幹にあるのは令嬢の変化だ。

 それを解決するために必要なことなのであれば、王太子は労を厭わず動かなければならない。


「殿下」


 さてどうしたものか、と考えを巡らせ始めた王太子に子息の声が覆い被さる。


「俺はあくまでも補佐であり、策を講じるのは常に殿下です。そして貴方は、目的の為なら身を削ることを厭わない」


 彼の声も視線も変わらず冷たい。

 けれど王太子は、その眼差しの奥に僅かな労りを感じた。


「ご自身の計画によって損なわれた自分自身への責任もまた、負わなければなりませんよ」


 少なからず心配をかけたらしい。

 お前も早く普段通りの『王太子』に戻れ。そんな副音声を聞き取って、王太子は今度こそ子息に背を向ける。

 自嘲に口元が歪んだ。


「ああ、可能な限り努めよう」


 その言葉を最後に王太子は歩き出す。子息はその後姿を数秒見つめた後、自身も踵を返して正門へと戻っていった。

 王太子は噴水から離れていく。しかしその足が庭園を出ることはなく、寧ろ一層深い花園へと踏み入っていく。

 歩いて、歩いて、やがて見えてきた東屋を前にして漸く足を止めた。

 身が竦むほど冷ややかな風が黄金の髪を舞い上げる。空気が眼球を刺すのも厭わず、王太子はその紺碧に眼前の景色を映した。


 三年前、この場所で邂逅した彼女達のことを克明に覚えている。


「責任、か」


 吐息に溶けるような小さな声が、王太子自身の胸に重くのしかかった。

 計画し、実行し、この現状を齎した責任があると言うのなら。

 令嬢の他にもう一人、責任を取らなければいけない相手がいると、王太子は思っている。


 そのことをずっと考えているのだ。

 あの日からずっと。


 王太子は東屋から目を離して当たりを見渡す。絢爛に咲き誇る薔薇達が実に鮮やかで、それ以上の感想を抱けない自分にひっそりと肩を落とした。




 いつからだろう、この庭園を美しいと思えなくなったのは。

 いつからだろう、この花々の中に、たった一度だけ見た紫紅色を探すようになったのは。


 誰も腰を下ろすことのない自身の隣。

 冷たいままのそこ。

 温もりが宿ることは無いのだと昔から分かっていたのに、何故今になって、それを寂しく感じるのだろう。




 王太子の頭を、そんな今更のような問いが駆け巡る。

 全ての問いに完璧に答えを返せる自信があった。自覚も自負も当然あった。

 ただ、それを表に出す自由だけが足りないのだ。


 分かっている。噂を呼ぶことになった原因は自身にもある。

 戴冠式という漸く見えたゴールを前にして緩みだした心、その奥から秘すると決めたはずの温度が顔を出そうとしている。


 一人でいても、誰かといても、否が応でも思い出してしまう。

 その記憶に感情が引っ張られる感覚が何とも不快で、居心地が悪い。




 後悔など、死んでもするつもりは無いというのに。




「即位すれば、我が事に費やす時間も無くなるだろうな」


 戴冠式までに手を打たなければならない。

 令嬢の望みを叶え、自身の不調を解消し、三年前の事件に関する残りの責任を果たす。そんな妙手を。

 王太子は暫くの間、目を閉じて夜風に身を晒していた。

 外気によって冷えた頭で静かに思考し、何度かの逡巡を経て、やがてゆっくりと瞼を開ける。




 一つの決意を果たした王太子は、翌日、子息へと協力を仰ぐ手紙をしたためた。

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