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「どうしてこんなことに」

「まあまあ、折角のお誘いじゃねえか。乗れる玉の輿には乗っとくのが吉だぞ?」

「他人事だと思って!」


 恨みを込めて店主を睨め付けると、「あーそろそろ裏も片さねえとなー」なんて棒読みを残し厨房へ消えていく。後は頼んだぞ、と都合のいいことを宣う様子に、少女は大きな溜息を吐いた。

 先程とは打って変わり、店内は閑散としている。

 もうすぐ日付が変わる。そうすれば店はお開きだ。営業時間を承知している常連達は、新顔の客も引っ張って上機嫌に店を後にしていった。

 この時間に残っているのは、酔いつぶれて寝てしまっている僅かな人だけ。

 常であれば店主と二人で対応するところだが、今日は珍しいことに一人の客がテーブルに突っ伏すのみであった。何やら気落ちした様子に、すらりと細い手足。この程度なら一人でも大丈夫だろう、なんて無責任な信頼を向けられたことを少女は理解した。


「ちょっと、もうお店閉めるから起きてくれない?」


 軽く肩を叩くと、ズビッと鼻を啜る音が聞こえてくる。やがてゆっくりと顔を上げたかと思えば、その頬は哀れなほど涙に濡れていた。

 覗いた顔を見て、少女は僅かに目を見張る。

 伏せている状態では気付かなかったが、目鼻立ちの整った艶の良い顔面に、若々しい眦。今は萎れているが本来は凛々しいのであろう眉を持つその人は、大変珍しいことに青年であった。

 あの子息と自分以外にもここまで若い人物がいたことに少女が驚いていると、濡れた瞳で店内を見渡した青年が呆然とした様子で口を開く。


「終わり……?」

「そう、閉店。早く家に帰りなさい」


 少女が言うや否や、青年は力の入っていなかった目を大きく見開いた。その目尻にじわじわと涙を溜めたかと思えば、空のジョッキを勢いよく少女へ突き出す。


「嫌だ、お姉さんもう一杯!」

「は?」

「帰りたくないんです~!」

「その年で駄々こねるんじゃないわよ!」


 一喝した少女にジョッキを取り上げられても尚、青年は「だって~」とぐずり続ける。涙目で再び机に伏し始めた彼は、鼻声を気にも留めず酔いに任せて言葉を零した。


「だって……帰ったって一人だし、相談できる相手もいないし、時間もないし……現実逃避くらい良いじゃないですか……」


 弱々しい声で愚痴を言い出した青年の様子に、少女は短く息を吐いた。今までの経験からすぐに帰らせるのは難しいと判断し、仕方がないと椅子を引く。

 正面に誰かが座った気配を感じ、青年はおずおずと顔を上げた。


「現実逃避を否定するつもりは無いわよ、でも吐き出したらちゃんと前に進みなさい。その手伝いくらいはしてあげるから」


 青年は戸惑いがちに少女を見る。言葉尻に若干の呆れを滲ませつつも真っすぐにこちらを向く姿に、彼女の真意を読み取った。


「相談、乗ってくれるんですか?」

「ちゃんと帰るって約束するならまあ、話を聞く程度はね」


 表情を歪めることで刻まれていた幾つかの皺が、青年の顔からゆるゆると消えていく。

 少女が慕われる所以はこういった所にあるのだった。




 青年は新米の新聞記者であった。

 ようやく見習いの期間を終えた先日、近々行われる戴冠パレードに向けた特集記事を組むことになった新聞社で担当決めが行われた。国民の間における次期国王夫妻の人気は凄まじく、それに伴い特集も数度にわたり掲載しようと話が纏まり、誰が何号目の特集を担当するのか発表されたのだ。

 まだ一人歩きを始めたばかりのひよっこでありながら、青年はその内の一人に見事抜擢された。それは日頃から王家のニュースにアンテナを伸ばし、王室の事情に精通しようと学び続けた、その情熱が評価された故のことである。

 初の担当でいきなりの大仕事。突如として舞い降りた名を揚げる機会に青年は張り切った。かねてより扱ってみたいと望んだ王家の記事である。加えて芽を出すことなく埋没していく者も多い業界だ、掴んだチャンスをみすみす無駄にはできない。

 誰よりも面白い記事を。誰とも被らない題材を。誰もが興味を惹かれる内容を。

 青年は熱心だった。悪く言えば、身の丈に合わぬ欲をかいた。

 原稿を書いては没にする作業を繰り返し、次第にこのテーマは本当に面白いのかと疑いだし、そもそも新人の自分に特集記事を作る技量などあるのかと首を傾げはじめ、際限なく疑念を重ねていく内に段々と手が動かなくなり。

 気付けば一文字も埋められないまま、締切が目前まで迫っていた。


「で、どうにもならずにヤケ酒していたと」

「もう私の記者人生は終わりです……これで今までの努力も水の泡……記事を書けない記者なんて酒を売らない酒場のようなものです、存在する価値がない……」


 涙と鼻水で水分を失ったようにしなしなと萎れる青年。何とか再起を促そうと、少女はより深く問いかける。


「王家大好きなのにそこまで筆が進まなくなるって、一体何を書こうとしてたのよ」

「大好きというか、社交界自体がゴシップの宝庫なので興味深いだけですけど……とにかく他と似た内容になるのが嫌で、多分誰も触れないであろうテーマにしたんです」


 そう言うと、青年は背もたれに掛けていた鞄から一冊の本を取り出した。机に置かれたそれの表紙には、少女を含めた国民皆が知っていると言っても過言ではない文字が並んでいる。


「有名なやつじゃない」

「そりゃあ知ってますよね。三年前に大流行しましたから」


 『両殿下 愛の軌跡』

 そのタイトルを知る者は、何も読書家だけに留まらない。

 小説に触れない者も、活字を嫌う者も、文字を読めない者でも必ず耳にしたことがあるほどに、国中で絶賛され社会現象をも巻き起こした本である。内容はタイトルが示唆する通り、次期国王夫妻……当時はまだ王太子とその婚約者候補の一人であった令嬢の恋愛模様を物語形式で綴ったものだ。

 大多数の国民には縁がない遠い場所。煌びやかな世界で繰り広げられる運命的なロマンスに人々は熱狂し、瞬く間に世間をロイヤルラブストーリーブームに染めた。


「この本の著者、実は私の上司なんです。王家に興味を持っていたのもあって、職場に保管されている上司の取材記録を見たことがあるんですが、その……”あの事件”の記述が、どうにも引っかかって」

「それが出版される少し前に起きたやつ?」

「はい。パレードに合わせた特集だから誰もネガティブな記事は書かないだろうと、その疑問を追及した記事なら新鮮で面白いんじゃないかと思ったんです」


 再び鞄から何かを取り出す青年。簡易的に纏められたその紙束は、表紙に「取材記録」という文字と共に三年前の日付が書かれている。特集を作る際の資料として、青年は保管されていた上司のそれを借り受けていた。


「でも、その謎を広げるのが難しくて……面白さを求めれば求めるほどこんな中途半端な記事で良いわけがないと思ってしまって、いっそ自分で取材し直すかと思った頃には時すでに遅しという感じで、そもそもお祝いの場なのにこんな記事がウケるのかとか考えて……」

「突き詰めるあまり、何が面白いのか分からなくなったわけね」

「そういうことです」


 そう締めくくり、小さく息を吐き顔を俯ける。

 青年は粗方を話し終えた。落胆の影は色濃いものの、先程と比べれば随分と落ち着きを取り戻したようだった。

 少女はおもむろに席を立ち、カウンターに置いてあった水差しを手に取る。


「そう。で、これからあんたはどうするの」


 空のジョッキに酒ではなく水を注ぎ青年に差し出した。未来を問う声に顔を上げた彼は、先程少女にかけられた言葉を思い出す。

 吐き出したら、ちゃんと。

 乾いていた身体に水を流し込んで、青年はゆっくりと言った。


「いつまでも逃げるわけにはいかないし、前に進まなきゃ……とは思っています。でも、どうすればいいのか……」

「思うんだけど、面白い面白くないを気にするよりも前に、やることがあるんじゃない?」


 少女は席につかず、青年の傍らに立ち口を開く。迷いのないその声に青年が彼女を見上げると、強い眼差しでそれを見返した。


「酒場を名乗りたいならまず酒を出さないと始まらないわ。美味いか不味いかはその後よ」


 盲点を突かれた青年が目を開く。

 間が抜けたように半開きになった口から、気付きと共に小さな感嘆符が漏れた。

 静かにジョッキを置いた青年は、そのまま机の木目に視線を向ける。何度かの瞬きの末に目線を上げると、その口元には僅かな笑みが乗っていた。


「確かに、決めるのは読者なんですから、私が悩んでも仕方がないですね。面白さ以前に、まずは読んでもらう記事を書かないと」


 その答えに少女は満足そうに頷く。


「じゃあ、こんな所にいる場合じゃないわよね?」


 青年が席を立つように促す。目を閉じて少女の言葉を噛み砕いた彼は、次に目を開いた時にはその中に強い意思を輝かせていた。

 もう大丈夫だろう。

 そう思った少女は入口を開けようと扉へ足を向ける。これで仕事が終わると上機嫌な彼女は、立ち上がった青年に呼び止められても笑顔で振り向いた。


「あの、記事の作成を手伝ってもらえませんか?」


 その声音がいやに真剣なものであると気付かずに。


「……は?」

「図々しいことは承知ですがお願いします、締切りまでに書き上げたいんです!」


 必死の体で頭を下げる青年に困惑しつつも、少女は極めて冷静だった。確かに突拍子もない願いだが、青年を焚きつけた本人として話は聞かなければと思ったのだ。


「記者の経験なんて無いし、私に何を手伝えって言うのよ」


 加えて、少女は話を聞いた客に何かを頼まれることは初めてではない。自分の力では及ばないと判断したものはきっぱりと断るが、そうでないなら手伝うことに抵抗は無かった。

 無かったのだが。


「今のままでは中途半端な記事になってしまうことは確かなんです。だから貴女には、私の頭では及ばない範囲まで話を広げてほしい」

「あんたが引っかかったっていう?今更だけど、あの本の取材ってことは王家周辺に話を聞いたわけでしょ。彼等が嘘偽りを言ったとでも?」

「それを明らかにするために、三年前の事件についてもう一度調査をしたいんです」


 いつの間にか、少女の顔から微笑は消えていた。緩んでいた目元が歪み、躊躇いがちに口が開かれる。

 とても嫌な予感がした。


「……明らかにしてどうするのよ」

「記事にします」

「手伝えるわけないでしょ!」


 外れてはくれなかった予感通りの展開に思わずといった様子で叫ぶ。記者の事情に詳しくない少女であっても分かることだ。

 なにせ王家である。

 この国を治める絶対的な権力者。逆らおうなど考えた時点で不敬にあたる相手。

 世間の動きに敏感である王族は、民衆の主な情報源である新聞記者に流す情報には十分に留意している。いらぬ不安や火種を煽らぬようにと必要であれば嘘も吐くだろう。もし仮に彼等が何らかを偽っていたとて、それを暴いてやろうなど不遜もいいところである。

 王家が隠すものがあるなら、それは隠さざるを得ない必然なのだ。何も知らない一市民が無闇矢鱈と明かしていいものではないし、それをしたら最後、どんな目に遭うか分からない。

 そもそも戴冠式を目前に控えたこの状況でぺーぺーの新聞記者一人の調査に付き合う猶予があるとも思えないし、青年が言った“取材しようにも時すでに遅しだった”という旨の通り彼にもそんな時間は無いだろうが。

 少女が手を貸す貸さない以前の問題である。


「悪いけど、私は王家に盾突く趣味はないの」

「相談に乗ってくれるって言ったじゃないですか!」

「話を聞くとしか言ってないわよ!」


 勝手な思い込みで話をする青年は、まだ酔いが回っているのかと疑い出した少女に対して更に畳みかけるように身を乗り出して喋り始めた。


「前に進む手伝いはしてあげると、それは確かに言いましたよね?」

「言った……けど、流石に私が手伝える範疇を超えてるわ」

「謎があるなら報じる!それがジャーナリズムなんです!」

「知らないわよ私記者じゃないし!」


 窓の外はランプの灯りすら呑み込むほどの闇を湛えている。深夜にも関わらずぎゃあぎゃあと続く応酬に、正直少女は疲れてきていた。突き放すように言うと、それまで勢いの良かった青年が一瞬にして押し黙る。


「……そうですね、貴女は記者じゃない」


 急に静かな口調になったことを訝しむ少女の前で、青年はゆっくりと膝をついた。


「王家への直接的な調査は一切しません。もし仮にこの行為が問題になったとしても貴女に責任は負わせません。記者として動くのは私、責を負うのは私、首を切られるのは私。絶対に危害は加えませんから」


 決して綺麗とは言えない床に手をつく青年。

 少女が驚いて制止の声を上げるよりも先に、深々と頭が下げられた。



「だからどうかお願いします。私が前に進む手助けをしてくれませんか」



 少女は疲れていた。

 開店からずっと一人で接客をこなし、子息が巻き起こしたお祭り騒ぎの渦中に立ち、閉店後も青年の難儀な悩みに耳を傾け。

 疲弊した頭は、少女が持つ元来の性分に歯向かう力を持たなかった。

 子息の誘いを拒否できなかったのだって、結局はそうだ。

 少女は、真剣にされた頼みごとを、断ることができない。

 言い訳のような言葉を口の中で転がす。


 疲れていた。

 疲れていたのだ。


「……締切っていつよ」

「え、あ、パレードの日の夜までです」


 思わぬ返答に青年が顔を上げると、少女は自分に心底呆れかえった様子で額に手を当てていた。そのまま深く深く溜息を吐き出して、やがて諦めたように扉の前から足を離す。


「パレード当日の朝まで。それ以降は協力しないから」


 子息との約束も反故にできない。少女が妥協点を告げると、青年は途端に表情を輝かせて立ち上がる。一人が二人になったとて締切が伸びるわけでもないが、漸く現状を打開する目途が立ったとばかりに喜ぶ青年に、再び少女は自身への呆れを口にした。

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