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酒場にて

「姉ちゃん聞いてくれよお!娘がパパ臭いって俺を家に入れてくんねえんだぁ!」

「俺が浮気だってえ!?ふさけやがってあのクソアマ、誰のお陰で暮らしていけてると思ってやがんだ!」

「親父い!コイン一枚貸しちゃくんねえか?どうにも今日は暑くて仕方ねえからよお!」


「あーもー!うるっさいわねあんた達!」


 夜。

 草木が眠っても眠らない王都の外れ。北端に位置する路地裏の奥の更に奥、喧噪に溢れる場末の酒場に、一際大きい声が響き渡った。


「あんたが娘に煙たがられるのは、いっつも遅くまで飲んだくれて酒臭いまま深夜に帰るからでしょ!」

「だあってよお……居心地良いんだもんよここ……」


 一喝しつつ、注文された通りに幾杯目かのエールを運び。


「疑われるのが嫌ならその天邪鬼直しなさい!お前の誕生日に贈ろうとコースターを作る練習に付き合ってもらってただけだって素直に言えばいいじゃない!」

「うるせっ、男がそんな情けねえこと言えるか!」


 机に突っ伏しいじける男から空の食器類を奪い取り。


「この店は賭博禁止だって何遍言わせるわけ?親父さんを困らせるんじゃないわよ、脱ぎたいなら外で勝手に脱いでなさい!」


 特に何も注文していない迷惑な客は、唯一身軽な脚で椅子ごと蹴りつける。

 自分より年齢も体格も上の男共にも怯まず働くのは、可愛らしい顔の眉間に皺を刻む細身の少女だった。


「痛って!ええー……そうだっけか?」


 口を動かすと同時に着実に仕事をこなす彼女は、回収した両手いっぱいの食器をカウンターに置くと、キッと声の主へ睨みを利かす。十代の少女から放たれたとは思えぬほどの気迫に、失言を悟った男はすぐさま訂正した。


「そういえばそうだった、ような……?いやそうだった、そうでした、すんません」


 そうして大人しく注文を始めた客と、そんな客に呆れを滲ませつつも素直に注文を取りに行く少女の姿を見ていた店主は、カウンターの奥から笑い声を漏らす。


「皆すっかり尻に敷かれてんなあ」

「ええ。この中の誰よりも年下なのに、あの姉御肌にはつい従いたくなりますね」


 カウンター席で静かに杯を傾ける男が応える。既婚者の中年男性が客層の大半を占めるこの店にいながら、亜麻色の髪を揺らして微笑む彼は未婚の若者であった。

 年若い男には些か刺激が足りない場所だろうに、常連と言って差し支えないほど顔を合わせている彼に対して、店主は何かを悟ったようにニヤリと笑う。


「お前さんはこんな所に出入りしてて良いのかい?家にバレたら危ないだろうに、なんぞ通い詰める理由でもあんのかねえ?」

「ふふ。ある程度の自由は許されていますし、俺がこの店に通うのは、親父さんの作る品に惚れ込んでいるからですよ」


 出来心から揶揄してみるも、完璧な微笑みでもって流されてしまう。

 戻ってきた少女から伝えられた注文に軽く返事をした店主は、「ま、そういうことにしといてやるよ」と嘆息して厨房へと消えていった。

 その背を見送った彼は、知らずに詰めていた息を吐き出す。参ったな、と小さく零すと、仕事がひと段落ついて手持ち部沙汰になったらしい少女が耳聡く振り向いた。

 彼もそれに気が付き、ぱちりと目が合う。

 何度か瞬きをした後にニッコリと微笑まれてしまい、少女は思わず目線を逸らした。なにか別の仕事を、と店主にならい厨房へ足を向けるも、よく通る声に呼ばれたことで止まってしまう。


「よかったら、話し相手になってくれないか?」


 遠慮がちに引かれた椅子の音に、おずおずと振り返る。

 少女は、この常連客のことがあまり得意ではなかった。

 この彼が恐らくは、相当な良家の出身だからだ。

 身に着けているシャツの一枚からして、他の客とは明らかに異なる。シミの一つも皺の一本も見当たらず、それを着こなす本人も身だしなみに隙が無い。髪は常に整えられ、肌は手入れが行き届いており、所作の一つ一つが美しく、品があった。

 どこか大きな商家の子息、下手をしたら貴族家の人間なのではないかと思わせるその佇まいが、少女に忌憚のない言動を躊躇わせ、普段通りの彼女でいることを憚らせる。

 故に、どう対応すれば良いのか悩ましく、少女は子息との接触を避けるきらいがあった。


「……少しだけなら」


 しかし、常連客を無下にもできない。

 誘われたままに隣へ腰を下ろすと、途端に子息は端正な顔を喜色に染める。向けられ慣れないあまりに真っすぐな好意に、少女は僅かにたじろいだ。


「お疲れ様。君は相変わらず人気者だな。来店してからこうして話すまで、一時間もかかってしまった」

「単純に忙しいだけよ。皆飲むし食べるし、私のことは体のいい愚痴聞き要員としか思ってないわ」


 勧められた酒を遠慮して溜息交じりに答える。

 この店に来る客は皆、日頃の鬱憤や抱えた懊悩を少女に打ち明けていくのが常だった。

 酒に溺れて弱音を零す客に面倒見のいい少女が喝を入れたのが先か、或いは溢れ出る姉御オーラに客が愚痴を聞いてほしいと縋ったのが先か。もう誰も覚えてはいないが、気付けばお悩み相談室よろしく少女の周りには悩める中年達が集うようになっていた。


「そうかな。単純に皆、君のことが好きなんだと思うけど」


 数多の客と同じく彼女の気性に惹かれて集った者として、子息は口を開く。頬杖をついた少女は、好意の受け取り方に悩むように目線を彷徨わせた。


「さっきの話。奥方へのプレゼントにコースターの編み方を教えていたのだって、君だろう?」

「……なんで知ってるのよ」

「俺、親父さんとはよく話す方だから」

「言わなくていいことを……」

「ふふ、優しいね」


 今度は少女の頬が朱に染まる。

 確かに、いつものように話を聞く延長線で悩みを零され、たまたま方法を知っていたから手を貸した。紅茶を飲む時間が好きだという妻のためにと頼まれて、店を閉めた後で良ければと不器用な男に手ほどきした。だがそれは己の性分が頼まれごとは断れないものだったからであって、断じて慈愛や優しさの精神から来たものではない。

 だというのに、彼があまりにも尊いものであるかのように語るから、少女は背中が痒くなって仕方がなかった。


「君は優しくて、強くて、可愛らしい、素敵な女性だよ」


 自身の価値を正しく認識していない少女への、最大限の賛美として子息は言った。しかしその言葉が決定打となり、少女はガタリと音を立てて席を立つ。


「仕事に戻る!」


 顔を背けて今度こそ厨房へ行こうとする少女は、何を言われても足を止めるつもりはなかった。この場にいる客が皆そうであるように、子息もまた酔っているのだ。酒の入った言葉を真に受けるなど馬鹿馬鹿しい。

 しかし、彼には見えていた。

 長い髪の隙間から覗く、真っ赤に染まった耳が。

 故に咄嗟に手をつかんだ。実力行使に出られるとは考えていなかった少女は、否が応でも足を止めざるを得ない。驚きのあまり子息の顔を見やると、酔いのせいか何のせいか、淡く染まった顔で真っすぐな眼差しを向けていた。


「……実を言うと、俺はとても狡い男なんだ。今日、酒の力を借りてまで、君のその優しさに付け込もうとしている」


 真剣な表情から目を逸らすこともできず、少女の口からは唯々疑問符が零れ出る。

 そのただならぬ様子を一部の客が固唾を飲んで見守っていることも、愚痴を溜め込んだ男が少女に話を聞いてもらおうと近寄ってきていたことも、注文の品を準備し終えた店主が厨房から出てきたことも、気付く余裕など互いに持てないまま、子息はその誘いを口にした。


「明後日の戴冠パレードを、俺と共にまわってほしい」


「……は」

「うおおおおお遂に言いやがったな坊ちゃん!」

「なんだやっとデートか?お熱いこって!」

「ったくヤキモキさせやがってよお!」


 少女が意味ある言葉を発するよりも先に、耳を澄ませていた客達がこれみよがしに囃し立てる。好き勝手口を開く男共に抗議する間もなく、誰よりも興奮している店主が少女の背中をバシバシ叩いた。


「連れてけ連れてけ!コイツ明後日は休みだから。てか店を休みにすっから!」

「ちょ、何言って」

「良いんだよパレード当日なんてどうせ誰も来ねえんだし!」


 ヒューヒューと口笛を吹く喧しい外野に取り囲まれ、仕事があるという逃げ道すら塞がれ、それでも何とか断ろうと少女が言葉を探している間に、右手が熱を帯びた指に包まれる。


「どうか頷いてくれないか。俺は、君と一緒に行きたい」



 そこから先はもう混沌だった。

 二人は中年層が集まる酒場においてあまりに年若く、しかも男女である。おまけに店主が揶揄ったように、子息がいそいそと辺鄙な酒場に通う理由を察していた常連達はその青い春を密かに応援していた。ただでさえ甘酸っぱい話に縁がない年頃の客達にとって、彼の行動は恰好の肴であったのだ。

 しまいには酔っ払った客達による『デート』コールが巻き起こり、その熱気に外堀を埋められてしまった少女は頬をひくつかせる。

 目の前には、顔を赤らめながらも真剣に少女を見つめる子息の姿。

 少女は思った。確かに彼は狡い男である。きっと周囲は自分の味方に付くと分かっていて、このような行動に出たのだろう。


 もはや少女は首を縦に振る他なかった。


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