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 ――何故、男爵はこれら全てを一ヶ月の間にこなしたの?


 中身ではなく期間を問う少女。

 その言葉が脳に届いた瞬間、青年の回路が先程とは別ベクトルに動き出す。

 考えれば、もっと後でもよかったはずだ。

 娘夫婦が相続を拒否しようと、男爵が存命の間は資産も権利も彼のものだ。そう年老いていたわけでもないし、急いで譲渡の手続きを踏む必要性は全くない。まして使用人は貴族として生きる以上必須の存在だ。別の職場への斡旋など、この先も当主として立つ身空でやることとは思えない。

 それに彼は、それらを済ませて直ぐに役人の男性へタウンハウスを譲っている。もしかするとあの役人も、娘夫婦のように男爵の身辺整理によって譲渡を受けた一人だったのではないか。

 そしてその後、男爵はどうなった?

 青年は思い出す。役人の男性と交わした言葉を脳裏に並べる。

 男爵について詳しく問おうとした己の声に対して、あの男は何と言ったか。


「……まさか……」


 男は何も答えなかった。

 それどころかあの時、青年の声に被せるようにして話題を逸らした。

 脳内で男が零した言葉がリフレインする。


 『――ただし、それは悪女じゃねえ』


「お婆さんは、当時あの家には取材のために記者が押しかけたと言っていたわ。つまり事件発生直後の時点で、男性はあの場所に住んでいたのよ」


 青年のこめかみを一筋の汗が伝った。


「一月で全ての整理を終えて身軽になって、男性に住処を明け渡した後、あの事件が起こって。

 ……まるで“備えていた”みたいじゃない?」


 少女が告げる。

 確信に近いそれを前提として、青年の脳内で情報と情報が繋ぎ合わされてゆく。


 もし、役人の男が言う「自殺した人間」が、男爵であったら。

 自身が言った、「共犯者」という言葉。もしそれが真実なら。


「親子による共謀……?」


 口に出し、いや違う、と即座に否定する。男爵とその娘が犯人だったとして、男爵の存在だけを秘匿する理由にはならない。


 役人は言った。王子の婚約者選定の裏側では派閥争いがあったのだと。

 少女は言った。王家は次期国王夫妻の醜聞を隠す為に動いたのかもと。

 自身は言った。男爵家のもう一人の娘は、嫡子ではなかったのではと。


 推測を真実だと仮定して、これらを一つの糸で紡ぐと何が出来上がるだろう。

 

 ――理由なんて、一つしかない。

 少女が発した言葉の続きはきっと、



「その事実は、王家にとって都合の悪いものだから」



 行き着いた答えを青年が口にするのと同時、少女は最後の一口となったパイを呑み込んだ。


「どうしてそう思うの?」


 問いながら、少女は答えが分かっているようだった。しかしあくまで青年自身に導かせようとする言葉に、考えを整理しながら口を動かす。


「犯人が次期王妃を害そうと画策したこと自体が、王家の醜聞だからです。何故ならそれは犯人の独断ではない、王家側の人間に強要されて及んだ犯行なんですから」


 青年は食べかけのパンに視線を落とす。その断面には野菜のくずらしきものが薄っすらと覗いているが、断面と平行するように半分にちぎってやると、新しい断面からは肉の切れ端が僅かに顔を出す。


「表層に見えているものが全てではない……その奥にいる真の加害者は、王家に連なる人物。

 周囲からの多大な圧力に一人晒され続けてきた次期王妃、公爵家のご令嬢です」


 青年が顔を上げる。互いの視線が交わった。数秒の交錯の後、思考の一致を見たように少女の眼差しがふっと緩む。


「あんな妄言、直ぐに立ち消える幻だと思っていたのだけどね」

「けれど筋が通ります。偶然とは思えないほどに」


 二人が辿り着いた結論は、全て少女が最初に語った一つの仮説が前提になっている。

『真の加害者は公爵令嬢の方であり、悪女は弱みを握られた被害者である』と。


「でも、あれが全てではないわ。脅されたのは悪女ではなく存在を秘匿されたもう一人。悪女を表向きの犯人に仕立てた以上、排除したかったのは彼女でしょうに、何故直接彼女を脅さなかったのかしら?」


 少女に言われて、青年は自身が語った推測を思い返す。

 悪女が男爵家に秘されていた妾の子であると仮定すれば、その理由は察しがついた。

 妾の子を秘した理由は、先代と同じ轍を踏まない為だと予想した。つまり後継たる姉の妨げになることを嫌ったのだ。領民の誰にも知られず、噂が出回ることも無いほど奥に仕舞い込まれていたとすれば、与えられる情報もまた限定されていたことだろう。

 良いも悪いも区別なく。姉の立場を揺るがしかねない男爵家の話など以ての外。

 果たしてそんな人間に、脅せるだけの弱みが存在するだろうか。


「死罪が十二分にあり得る悪事を働かせようと思えば、脅しの内容もまた重くなります。立場を揺るがす秘密をバラすなり、大切に思う誰かの命を天秤に乗せるなり。しかし庶子だった身の上を考えれば、彼女がそんな重大な情報を持っていたとも、大切に思えるほど家族仲が良好だったとも思えません」


 嫡子と庶子ではその扱いに大きな差がある。

 姉が家族にも領民にも愛されていたのは間違いない。そんな姉の妨げにならないことを求められた妹の扱いがどんなものだったかは、簡単に思い描くことができる。そんな環境でまともに親愛の情が育つとは考えにくい。


「よって、脅されたのは男爵の方だと考えるべきです。家族や立場と比べれば庶子を実行犯に仕立てる方を選ぶでしょうし。つまり、秘匿されたもう一人の犯人は男爵ということになります」

「犯行動機は、焦燥感……かしら」

「恐らくは。必ず殿下に気に入られなくてはいけないというプレッシャーから、婚約者の座を確実にするために自作自演を働いた、と考えるのが一番妥当かと思います」

「殿下は誠実でお優しい方、っていう話は嫌というほど聞くし、自分の婚約者候補だからという理由で命を狙われたとあれば、責任を取ろうとしてくれる。そういう打算があったのかもしれないわね」


 認識をすり合わせ、仮説を磨き、真実へと近付けていく。

 積み上げてきた証言と推測が一旦の収束を見せ、青年は短い息を吐き出した。


「だから、男爵は事件が起きる前に身辺整理をしたんですね」

「だと思うわ。公爵家からすれば男爵を生かしておくメリットよりリスクの方が大きいでしょうし、姉夫婦関係なく必要なことだったんでしょうね」


 千切った片方のパンを食む。真相を覆っていた霧が少しずつ晴れてきたというのに、青年の舌には何故が苦味が広がった。

 呑み込んで、絶妙な後味の悪さを引きずったまま口を開く。


「けれど、その最期は自殺だったんですよね。口封じに殺されたのではなく、自殺……」

「ええ。家を潰した自責なのかせめてもの抵抗なのかは分からないけれど、彼は獄中で自ら首を括った」


 一体、どんな心境だったのかしらね。

 少女の声が雑踏に紛れるように落ちる。そこに伴った僅かな響きに、青年は少女の胸中を想った。きっと自分と同じことを感じているのだろうと。


「……あの、恐らく姉夫婦は生きてますよね?」

「生きてるでしょう。でないと男爵が命を張った意味がないわ」

「まだ分からないことがあるんです。本当に妹が庶子だったとしたら、貴女が言った通り腑に落ちない部分がありますし、真犯人が本当に彼女なのかもいまいち疑問が残るといいますか」


 次期国王夫妻は政略的な婚姻でありながら互いに想いを通じ合わせた。

 それが周知の事実である。

 二人の絆は愛によって固く結ばれているのだと誰もが認識しているし、実際あの役人も「それは事実」だと言っていた。

 青年の言葉を引き継ぐように少女が口を開く。


「二人は相思相愛なのに、王太子付きのメイドとして側にいただけの女を邪魔者として排除しようとするのは些か不自然?」

「はい。令嬢が危機感を抱くほど王太子とメイドの仲が良かったという話は聞きませんし、そもそも、貴族家出身とはいえ庶子が王太子付きにまで昇進できるものかと……」


 今までの議論を根底から覆すような話だ。

 しかし青年のそれを少女は否定しなかった。そういった方面にはまるで詳しくないが、王家の事情に詳しい青年が言うのであればそのような噂は無いのだろうし、庶子がそこまで出世するとも考えにくいのだろう。


「どれだけ推測を重ねても、証拠が無い限り妄想の域を出ない……だから姉夫婦なわけね」

「そうです。男爵に関係する何かが残っていればそれが証拠となるかもしれませんし、それに」


 青年は一度言葉を区切った。

 

 大人達の争いに巻き込まれ、一身に注がれた重圧に耐えきれなかった令嬢。

 大切な家族を人質に取られ、それ以外の全てを失って自死を選択した男爵。

 家族の括りにすら入れずに、周囲の人間から都合よく利用され続けた庶子。

 誰か一人を悪人として糾弾するには、あまりにやるせない。

 けれど、だからこそ、きちんと真実として見極め、受け止め、明らかにしなければならない。


「推測のままじゃ、『被害者』が浮かばれません」


 真実が何であるのかは未だ判然としない。

 しかし確かなのは、王家が公表したものとは全く異なるものであろうということ。

 加害者が違うのであれば、当然、被害者も。


「……『南の外れ。人も風もあたたかいあの地なら、薔薇もよく育つだろう』」


 ぽそりと零れた呟きを拾った。脈絡のないそれに青年が疑問符を零せば、少女は「姉夫婦の居場所を聞いた時の答えよ。男爵の言葉らしいわ」と簡潔に答える。


「男爵が娘を守ろうとしたなら、恐らく事件のことについてほどんと何も知らせていないでしょうね。遺品が残ってる可能性も高くないわよ」

「それでも行きましょう。何もないと決まったわけではないんですから」


 青年が力強い声で言う。例え証拠が見つからないとしても、極小の可能性であろうと喰らいついていかなければ真実になど辿り着けない。

 僅かな情報の為に方々を駆けまわってこそ新聞記者だ。


「あんたならそう言うだろうって思ったわ」


 少女が日傘をくるりと回す。

 柔らかく耳朶を打ったその声を胸に、青年は最後の一口となったパンを呑み込んだ。

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