昼食
「アレは一体、どう解釈すればいいんでしょうか……」
タウンハウスを後にし、来た道を戻るように辿っていた最中。思考に気を取られ歩いては立ち止まることを繰り返す青年に少女が文句を呈すと、絞りだすような言葉が零された。
眉間に皺を増やしてうんうん唸る姿を横目に、男との会話のあらましを聞かされていた少女は大して不思議がることもなく答える。
「そのままじゃない?あの事件に関係する人間が命を絶った。世間はそれを悪女だと思っているけれど、実際は彼女ではない別の誰かだったのよ」
「でもそれだと、共犯者がいるってことになりません?」
「かもしれないね。別に可能性が無いわけではないでしょう」
「それはそうですけど……でも……」
疑問を消化できず足取りがおろそかな青年、特に頭を悩ます様子も無くすいすいと歩く少女。身長差から青年のほうが歩幅が広いにも関わらず、少女のほうが一、二歩先を行っていた。
小さな背中を見つめても、二人の距離は変わらない。
「仮にそうなら何故、王家はもう一人の下手人を公表しないんでしょうか」
青年の口から決定的な疑問が落ちる。
あの時聞いたのは、加害者である悪女の最期だ。
そしてあの口ぶりから、男は悪女の本当の死因を知っているのだろう。
何故か。
それは男が悪女に近しい位置にいたからだ。拘束され獄中にいる加害者と関係を持つ職務に就いていたのだろう。そんな男が死因を知るもう一人の人間。間違いなく事件の容疑者だ。
にも関わらず、その存在の一片すら明かされていない。悪女はあれほど大々的に報じられたのに、もう一人の存在については噂すら聞いたことがない。
「……理由なんて、一つしかないわよ」
少女が足を止めた。
二歩の距離を詰めて少女の正面にまわる。日傘に隠れて顔は見えなかったが、青年は再び歩き出す予兆のない足に確かな意思を感じた。
「私が出てくるまでお婆さんと話をしていたんですよね?何を聞いたんです」
少女の声は確信に満ちていた。断定できるだけの材料が彼女の中にはあるのだ。その源を察して青年は声を上げた。少しだけ傘が上向いて、表情が窺えるようになる。
その瞳は、何かに惑うように揺れていた。
それは、と少女の口が動く。小さな声が雑踏にかき消えてしまわぬようにと青年は耳を澄ませる。
しかし、その鼓膜を揺らしたのは誰の声でもなかった。
「「…………」」
ぐうぅ~~……、と。
重低音を奏でる腹の鳴き声が、二人の間に落ちた沈黙に空しく響く。
どこか重苦しい空気が途端に霧散した。青年はたっぷり三秒後、発火したように顔を赤らめて腹を押さえた。
耳まで赤くして極小の声量で「すみません……」と零す姿に、少女はぱちぱちと目を瞬かせる。空を見れば、昼時は真上にいるはずの太陽が若干傾いていた。
少女が短く息を吐く。
「とりあえず、腹ごしらえが先のようね」
「表通りから逸れるんですか?少し行けば食べ物の露店があったと思いますが……」
「馬鹿、王都の目抜き通りに出てる店なんて、私みたいな庶民が行けるわけないでしょ」
行動指針が決まるや否や歩き出した少女に従い、青年は賑わう主要な街道から伸びる脇道に入った。
中央区から離れていくにつれて、王のお膝元に相応しい景観を保つ街並みが変化していく。整備された美しい都から絢爛さが取り除かれ、代わりに日々の息吹を感じさせる生活感が顔を出し始めた。
青年とて全ての地理を把握しているわけではない。彼が通ったことのない見知らぬ景色の中を、少女は確かな足取りで歩いていく。
「この辺りは酒場から少し離れていますけど、よく来るんですか?」
「いいえ。そもそも私、外出自体殆どしないもの」
軽やかな歩調に青年が問うも、望むような返答が来ることはない。少女が酒場に籠りがちであることは日差しを厭う様子から容易に察することができるのだ、わざわざ離れた場所まで外出することはないだろう。
「昔に一度、来たことがあるだけよ」
ぽつりと発せられた声が空気に溶ける。
その割には足取りに迷いがないな、と青年は首を傾げた。
そうして歩き続けた先。
とりとめのない会話をしながら辿り着いたのは、幾つかの屋台が並ぶ小さな通りだった。鼻腔を擽る香りが辺りに漂っており、大通りを外れた場所であっても思いの外賑わっている。
しかし、店を賑わす人種は異なるようだった。整然とした紳士や装飾を纏った淑女など、上等な服に身を包んだ上流・中流階級の人間が多くを占めていた表と違い、ここは汗水を垂らす労働者達が活気を作っている。
下町風情溢れる場所に、青年は目を瞬かせた。
一歩行く度に物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡す姿はハッキリ言って挙動不審だ。少女は努めて気にしないようにして、足早に手近な店に寄った。
「容器とか何も持ってきてないから、手に持てるものだけね」
特に悩むことなく注文をして、差し出された品を受け取る代わりに支払いを済ませる。自分の分しか手に持てない少女は、「はやく受け取れ」と青年に視線を寄越した。
おずおずと慎重にそれらを持つ青年。仕草の一つ一つにぎこちなさが目立つ様子を尻目に、少女は人の通りに呑まれない道端まで歩く。
少しして立ち止まると、民家の壁に寄りかかって一息をつく。
少女に倣って足を止めた青年は、手の中にあるものをまじまじと見つめた。
「これは……」
そこにあるのは何を驚くでもないただの庶民食だが、青年は左右の手に揺れる眼差しを注ぐ。
右手にはパンが収まっていた。
焼いてから時間が経っているのか既に温もりは無く、切り込みには申し訳程度の薄い肉と僅かな野菜が挟まっている、ハムサンドと呼んでいいのか分からないがそういう名称で売られているもの。
左手にはパイがあった。
こちらも同様冷めきっており、かつ一切れが小さい。切れ間から覗くのは肉に見せかけた魚であり、野菜と共に刻まれたそれらは何とも言えぬ生臭さを香料で誤魔化しているようだった。
昼食と見つめ合ったまま動かない青年に、パンを一口齧った少女が声を投げる。
「なによ、別に珍しいものじゃないでしょう」
「そう、ですね……そうなんですね……」
不思議がる少女の声色に呆然とした様子で青年が返す。それを聞いて、青年はやんごとなき家の出身である可能性が高いのだと思い出した。
「ひょっとしてあんた、こういうの初めて?」
「こういうの……そうですね、路上での飲食もそうですけど、こういう食事も……はい……」
心ここにあらずといった様子で、青年は恐る恐るパンを口にする。
途端に口内に広がったのは、ボソボソとした口当たりと水分の抜けた固い生地。切れ端のような肉はあまりに存在感が乏しく、ほどんと穀物の味しかしなかった。他はかろうじで野菜の食感が分かる程度だ。
咀嚼して、嚥下して、青年は固まった。少女にとっては食べ慣れた味であるし、この食べ応えと香ばしさを存外気に入っている。しかし、今までこういった物より遥かに上等な食事をしてきたであろう青年は受け付けない味かもしれない。今更ながらに気付き、少女は青年の様子を若干の申し訳なさと共に見守った。
目を見開き、たっぷり数秒硬直し、緩慢な動作で俯く。選択を間違えたかと汗を一筋流した少女は、次第に震える青年の肩を見て、あ、と声を漏らした。
――あ、大丈夫だ。
「あっははははははは!何これ、すごい!」
弾かれたように笑い出す青年。その反応に覚えのある少女は途端にスンッと真顔になる。目尻に涙を溜めながら「すごい、すごい」と零す青年は語彙が死滅したように単調な言葉を繰り返した。
「あんたね……いくら何でも失礼だと思わないの?」
自分の失態で焦がした料理ならいざ知らず、売り物の品である。しかも周囲には普段からこれを食べて暮らしている人々がいるのだ、それを笑い飛ばすのは高貴な人間といえど腹に据えかねる。
少女が眉根を寄せて苦い顔をすると、青年は慌てたように涙を拭った。
「いえ決して否定的な意味じゃないんです。ただ本当に凄いというか、こんな経験ができるとは思っていなかったので、衝撃と感動と嬉しさがごちゃ混ぜになったといいますか」
そう口にして、青年は笑う。
それは言葉の通り、歓喜に染まった破顔だった。
淡い朱に色付く頬を見て、少女はそれが心からの本音であると悟った。こんなどこにでもあるような食事にそこまで反応するとは、今までどんな生活をしてきたのだろう。そんなことを考えながら「ならパイも食べてみたら?」と発する口元は、青年が零すであろうリアクションを想像して僅かに弧を描く。
少女の提案に青年は暫し逡巡する。右手のパンを食べきらないうちに左手のパイに手を付けるのは行儀が悪い気がした。が、そもそも両手それぞれに食べ物を抱えてかぶりついている時点で行儀も何もあったものではない。加えて格式張った場にいるわけでもないのだ。まあいいか、と思考を打ち切り左のパイを口元へ運んだ。
一口を思い切り頬張って、ぴた、と動が止まる。一拍置いて「ん”っ!?」と喉を絞るような呻きが漏れた。予想以上の反応に少女の口からふっ、と息が零れる。
「どう、美味しい?」