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 丸まった眼と細められた眼が対峙する。

 嘘も建前も貫いて腹の底まで見透かされそうなその眼差しに、青年はこめかみに汗が滲むのを感じた。

 数秒押し黙って、視線を彷徨わせ、やがて諦めたように息を吐く。嘆息を表に出した青年は、この男相手に体裁を取り繕っても意味がないことを悟った。


「……花が、咲いていたので」


 どう切り出すべきか考えて、発した音はそんな言葉だった。関連性がないように思える台詞に男が首をひねるが、俯いた青年はそんな男の様子など意に介さない。


「他とは違う、紫紅色が目についたんです。その花を植えた人物について知っていることを教えてください。とても、思い入れのあるものなんです」


 青年が顔を上げると同時に、男はその目に宿る愚直な輝きを目撃した。そこに嘘の色は見当たらず、彼が真実を話していることが容易に察せられる。

 本気であると理解した。

 だからこそ男は驚き……その衝撃が、想定を上回ることはなかった。


「……は、聞き出してみりゃあ、結局そういうことか」


 吐き捨てられた小さな呟きを上手く拾えなかった青年が聞き返すよりも早く、男はノブを握っていた手に力を入れる。


「帰れ。テメェに話すことなんざ何もねえ」


 その言葉を置いて、玄関扉が閉じられた。

 開閉の勢いで発生した風圧が青年の前髪を撫でる。食い下がる間もなく毅然として示された明確な拒絶に、青年は立ち尽くす他なかった。

 何故ここまで強く拒否されたのか分からない。

 けれどそれは、男が何かしらを知っていることの証左でもある。

 それが男爵家や例の事件に関係があるかは分からないが、聞き出さずに去るわけにはいかなかった。


「待っ――」

「まあ待ちなよボンクラ」


 制止の言葉が口をついて出た瞬間、青年の思いを代弁するかのようにしわがれた声が被さる。見れば、やはりニコニコ笑顔を携えた老婆が扉を抑えていた。

 閉まる直前、足を挟むことによって生まれた隙間に手を差し込んで。


「テメェババア空気読めや!帰れっつってんだからこいつを追い返すのがテメェの仕事だろうが!なに主人相手に悪徳セールスの手口で歯向かってんだ!」

「そりゃあ主人が悪徳だからねえ。客人には言わせるだけ言わせておいて自分は理由も話さず逃げるのかい?これだから自分勝手なお坊ちゃんは嫌なんだ」


 老婆の言う『お坊ちゃん』は蔑称だったらしい。扉を閉めようとする男とそれを阻止しようとする老婆の力が拮抗し、ギリギリと音が立った。この老体のどこにそんな力があるのだろうと青年の頭に疑問が浮かぶ中、老婆と対照的に額に青筋を浮かべた男が叫ぶ。



「俺なんかよりも、記者連中の方が遥かに悪徳で自分勝手だろ!!」



 老婆の力が強いのではなく、男が特別非力なのでは?と下らぬ推測をしていた青年の頭脳に衝撃が走った。


「正義も真実も倫理観も関係ねえ。事件が起きたとありゃあ面白可笑しく騒ぎ立て、人死にが出たと聞きゃあ大衆好みに飾り立てる。取材?調査?笑わせんな、テメェ等が欲しいのは事実(ノンフィクション)じゃねえ、都合よく金になる娯楽(フィクション)だろうが!」


 身体の底から絞りだされたような声がこだまする。

 耳の奥がキンと鳴った。

 頭蓋の中で反響するその音を、青年はどこか遠い場所から聞いていた。


「分かったら離しやがれババア、ハエみてえにブンブンうるせえ連中に辟易してたのはテメェだって同じだろ」

「わたしは拒んじゃいけないなんて思ってないさ、ちゃんと理由を伝えろって言ったんだよ」

「だから今言っただろうが、離せ」

「……まあ、もっと礼節をわきまえるべきだとは思うけど、気持ちは理解できるからねえ。今回はそれで良しとするよ」


 既に扉から音は止んでいる。

 力は入っていなかったが、老婆は男を尊重するように大仰な仕草で手を離した。男もまた、無理に閉めずに老婆の手が離れるのを待った。

 かかっていた皺だらけの指が一本、二本と取れていく。


「そうですね」


 静かに落とされたその声に、離れかかった三本目の指がぴくりと止まった。


「世の中には往々にして、真実よりも優先すべきことがある」


 一トーン低い声が荒ぶった湖面を撫でる風のように二人の耳を擽る。酷く落ち着いた声色は冷静なようでいて、その奥に何かを秘めているような強い意志に満ちていた。


「それは金銭だったり体裁だったり色々あるけれど、その全てには必ず理由がある。例えば記者が面白さを優先するのは、市民がそれを求めているからです。だって、面白くない記事なんて誰も読まないでしょう」


 青年が一歩踏み込んだ。

 扉にゆっくりと手をかける。青年の影に入った老婆は、薄闇から長身の彼を見上げた。


「社会の需要に添えなければ、人は社会に存在できない」


 ――だから私は、手段を選ぶつもりはありません。


 キッ、と青年が顔を上げる。

 研ぎ澄まされ鋭さを増した眼光は剣呑さを帯びていて、真正面から貫かれた男は無意識のうちに息を詰めた。


「貴方が知っていることを全て教えてください。それが出来ないのなら、あらゆる嘘、偽証、捏造を真実として世間に吹聴します。貴方がここに住めなくなるまで」


 冷淡な声だった。

 勢いよく流れる水が過度な寒気に晒され氷結するように、それは氷柱となって男の鼓膜を貫く。胃の腑の底まで凍えるような、先程までの愚かながらもひたむきな光熱とはまるで異なる響きは、青年ではない何かから発せられたのではないかという錯覚を生むほどだった。

 気迫に押され、老婆は身を引くように手を離す。しかし扉が閉まることはなく、むしろ青年によって再び外側に開かれる。

 それに抵抗するよりも先に、男の意識は青年の言葉に反応を示した。


「……テメェ、誰を脅してるか分かってんのか」

「貴方が誰だろうと関係ありませんよ。私にだって多少のコネはありますし、宮廷は足の引っ張り合いが常であることも知っている。貴方の後釜に収まりたがる人間なんてごまんといるでしょう?」


 問いかけの体を成していない確信に満ちた声音だった。

 そこから男は理解する、青年は見栄や虚勢を張っているわけではないのだと。

 確かに、青年の言うことは間違っていない。彼のような生まれたての仔馬同然の記者が騒ぎ立てたところで大した影響力は持たないだろう。しかし僅かな綻びさえ作れば、男を蹴落としたい宮廷の人間達がそれをこれみよがしに押し広げる。青年がきっかけを提供するだけで、男はあっという間に役職の椅子から引きずり降ろされるのだ。


「なんでそこまで知りたがる」

「私にも、引けない理由があるからです」


 互いの深淵を覗くように、二人の男は視線を交わし合う。

 奥に隠した陰謀を暴くことに関しては一定の自信を持つ男は、青年の本質を見極めるように目を細め……やがて、ゆっくりと瞼を閉じる。

 冷淡な声だった。

 まるで、眼前の青年とは異なる、別の誰かが発したような。


「……は、どっかで見たような眼してやがらぁ」


 男はそのちぐはぐさを懐かしむような笑みを浮かべた。

 表層に現れた僅かなそれに青年が目を見張る。男は背を向けると「発行前に原稿を見せに来んなら話してやる」と言い捨て、促すように室内へと足を進めた。


「ババア」


 男の様子を丸めた眼で見守っていた老婆の肩が我に返ったように跳ねる。


「多分こいつが、最後の客人になるぜ」


 その言葉を残して、青年を迎え入れた扉は音を立てて閉まった。

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