タウンハウスへ
場所は王都、中央区。
都の中心に座す宮廷から南下する一本の大通りは常に人々で賑わっている。再び王都へ引き返してきた二人は、雑踏に呑まれないよう道の端を歩きながら言葉を交わしていた。
話題は当然ながら、思わぬところから入手した『秘された妹』についてだ。
「同じ屋敷にいながら会ったことがないとなると、生活圏が区別されていたのでしょうか。例えばどこかの部屋に隔離されていたとか……となると、何かの病気?」
「有り得なくはないけれど、領民が何も知らないっていうのは不自然じゃないかしら。普通どこからか話が漏れて何かしら噂になるでしょう。それこそ病弱な深窓の令嬢なんて恰好の的よ」
「確かに……結局、妹の話はあの子以外知らない様子でしたもんね」
日傘を肩に預けた少女の横で、顎に手をあてうんうんと頭を悩ます青年。
あれから、花畑を後にした二人は改めて数軒の店に聞き込みを行った。締切まで時間がない都合上ある程度で切り上げざるを得なかったが、老若男女問わず妹の存在を知る者はいなかったのだ。
青年は領民と会話した際の様子を思い起こす。皆知っている話は似たり寄ったりで、得られた情報を纏めれば、それは全て最初に尋ねた年配の店員から聞いた以上のものではなかった。
やはり年の功というのは馬鹿にできない。きっとあの人はかなりの情報通だったのだろうと思った瞬間、はたと一つの話を思い出す。
『でも一人なら、跡目争いが起こる心配もないじゃない』
「……もしかして、『秘された妹』というのは、嫡子ではなかった……?」
ぽつりと落とされたひとり言に近い呟きに、日傘を上げた少女が青年の顔を覗くように振り向く。
「男爵には妾がいたってこと?」
その真っ直ぐな瞳に、青年は曖昧に頷いた。確証は無い。しかし、そう考えると辻褄が合う気がしたのだ。
「先代の頃に嫡子と庶子でいざこざがあったんでしょ?当事者の一人である男爵が同じ悲劇を繰り返しかねない真似をするとは考えにくいと思うけど」
「そこです。男爵は妾を作ったが、先代と同じ事態に陥るのは避けたかった。そこで庶子である妹の存在を秘し、娘は一人しかいないことにして火種を消した。そう考えると納得いきませんか?」
青年もまた、真っ直ぐに少女を見つめ返す。しばし視線が合わさったが、ふい、と少女が前を向いたことによってそれは途切れた。
「……まあ、仮説としてはそんな所なのかしら」
小さな声を零しつつ、「けれど疑問は残るわ」と少女は続ける。
「火種を無くすことが目的なら、姉に知られてしまっては本末転倒でしょう。屋敷に住まわせるのだってリスクが高いわ。妾の生家なり教会なりに預けるのが確実な方法じゃない?」
その意見は尤もだった。
そもそも、私生児が嫡出子と同じ屋敷に住むことは殆どない。
仮にあったとしても、それは嫡子の跡継ぎが何らかの事情でいなくなってしまった時などだ。その場合は養子として迎え入れることもあるが、原則、正妻の子と妾の子は待遇の差をはっきりと示される。
娘夫妻が相続を拒否した結果、爵位を継ぐ者がいなくなってしまったので庶子である妹を屋敷に迎えたのなら理解できる。だが、娘が結婚したのは三年前。妹=悪女であることを前提とすれば、その頃妹は宮廷で働き、事件を起こしているので時系列が合わない。
「出来事の表層をなぞるだけでは、真実まで辿り着けませんね……」
考察に限界を感じ、青年は息をついた。喋りながらも着実に前へ進んでいた足は、やがてある場所でぴたりと止まる。
「やはり、もっと深く探らなければ」
青年の動きに合わせて、少女も一拍遅れで足を止めた。
目の前に建つそれに目を向ける。
「ここがそうなの?」
「恐らくは。男爵領には存在しない音が身近にあり、賑やかで、貴族に人気が高い立地というと限られてきますから」
青年は新米とはいえ新聞記者であり、庶民である少女が知り得ないそういった情報には詳しい。王都の街並みを凡そ把握している彼は、女の子から聞いたわずかな情報からある程度の目星をつけていた。
「オペラ座ほど近くのタウンハウス……ここが男爵家の『別のおうち』である可能性が高いです」
「タウンハウス……」
「社交シーズンなどに貴族が王都に滞在する際の住居のことですよ」
少女は眼前の大きな集合住宅を見上げた。
そう、屋敷ではなく集合住宅である。
「どうやってこの中から探すのよ。というか、既に別の貴族が住んでるんじゃ」
「今はシーズンじゃないので大丈夫ですよ。とりあえず見て回りましょう」
貴族がいなかろうとシーズンじゃかなろうと高貴な人の住処である。何かあったらごめんなさいでは済まされないというのに、青年は道端を散歩するかのように足を進めてしまう。
少女は置いて行かれないようにその背中へと急いで駆けた。あまりにお気楽な言動に苦言を呈するも、青年は構わず歩き続ける。
「見咎められたらどうするのよ……ジロジロ見ながら徘徊って、やってることが不審者じゃない……」
「まあまあ、貴族と言ってもそこまで爵位の高い家はありませんから。まずは外観からの情報収集に努めましょう」
心理的な要因から声量が落ちる少女に対し、半歩前を歩く青年はどこまでも常と変わらない。問題は爵位ウンヌンではないというのに、己の好奇心の赴くまま目的に向かって突き進む姿を見て、少女は青年が零した言葉を思い出した。確かに、彼のコレに生半可な気持ちで付き合っていては、いずれ限界が来そうだ。
「誰もがあんたみたいに向こう見ずな精神を持っているわけじゃないのよ……爵位がどうあれ貴族家よ?私みたいな庶民、目をつけられたら一巻の終わりだわ……」
ため息交じりに零した少女の言葉は、何を言おうと止まらないのであろう青年に対するささやかな嫌味だった。その予想通り彼は変わらず足を動かしている。協力する約束をしてしまった手前仕方なく少女も追随するが、十歩歩いても二十歩歩いても青年から言葉が返ってくることはない。
妙な沈黙に居心地の悪さを覚えた少女がチラリと青年の顔を見やる。半歩後ろからでは表情を窺うことはできなかったが、その視線に気付いたのか、彼はぽつりと言った。
「……そうですね。貴族、なんですもんね。配慮に欠けていました、すみません」
どことなく声が沈んでいる。
予想外の反応に少女は少なからず動揺した。
「そう言う割には、足を止める気は無いのね」
「それとこれとは話が別なので」なんて、ジャーナリズム云々を引き合いに出しながら言うものだと思って少女は軽口を放った。屈託のない顔で笑い、苦言をものともせずに前へ進む愚直な姿を知っていたから。
しかし、青年はその予想に反して足を止める。
「離れた所で待っていていいですよ。私が一通り見てきますから」
その声音に込められたものが本気の謝意だと理解した瞬間、少女は己の軽口が失言であったと悟った。あれだけ必死に協力を求めてきた目的のためには揺らがない男が、今は何故だが酷く揺らいで見える。
「付き合うわよ、そういう約束だもの」
少女が日傘を傾けて顔を晒しても、そのかんばせを見つめても、青年の視線が向くことはない。何が彼の心に触れてしまったのか考えるも、それらしい答えには辿り着けなかった。
「別に責めたわけじゃないわ。あんたの出身を考えれば、きっと理解し辛い感覚だろうし」
だから、素直に思ったままを口にした。少女のそれは文句ではあるが、青年を糾弾したいわけではない。年齢、性別、生まれた家に育った環境、果ては今現在の立場から将来得るであろう社会的地位まで。ありとあらゆるものが異なる二人は、物事に対する感じ方も勿論違う。それは至極当然のことであり、責め立てられるものではない。
「……私の出身?」
その言葉に、青年はようやく目線を合わせた。
「何か、話しましたっけ」
「いいえ。けれど見ていれば察しはつくわ」
「……聞きたいですか、家の話」
少女が覗き込んだ青年の瞳にあの輝きは見当たらない。何かを見定めるように細められた眼差しを前に、少女は狼狽えることなく答えた。
「あんたが話すなら聞くけど」
「聞きたくないんですか?」
「個人的には特に興味ないわね」
全て少女の本音である。話すのなら聞く、話さないのなら聞かない。それか少女のスタンスであり、酒場で何百回と繰り返してきた当たり前の行為だ。
青年は口角を持ち上げる。眩しさもあたたかさも孕まない、どこか冷たい笑みだった。
「とてつもなく大きな家の子息で、お金も地位も権力も有り余っている玉輿かもしれませんよ?」
少女が目を見開く。
その様子を見て、青年は僅かに目を伏せた。
そんな言葉と態度から青年の言わんとすることに確信を持った少女は、これみよがしに溜息を吐いてみせる。そうして日傘を閉じると、溜息に青年が視線を上げるよりも先に閉じた傘で頭をはたいた。
「いっ!?」
強い力ではなかったとはいえ、突然のことに驚き青年は叩かれた額を押さえた。目の前の少女は日傘を差し直し、眉間に皺を刻んで心底呆れたように口角を下げている。
「あんた、私を何だと思ってるわけ?相手が話す気になれないものを無理に聞き出すような真似しないわよ。仮にも客商売してるんだから、それくらい分かるわ」
ぽかん。
まさにそんな音が似合うような顔で、青年は少女を見た。
「……私のこと、そこまで見ているんですか」
「そりゃあ、お店の売上に関わることだもの」
「……でも、家には興味が無いんですか」
「むしろ知らないままのほうが都合がいいわね」
ぽつりぽつりと零される何かを確かめるような問いを、実直さで捌く少女。
客をよく見ることは商売の基本であるし、少女の言動は高貴な人間相手には不敬とされるような遠慮のないもの。相手が貴人だと確定してしまっては改めざるを得なくなるので、少女としては青年の地位が判然としないままのほうが率直に言って楽だった。
「そう、ですか」
青年はもごもごと口の中で何かを転がした。それは段々と何かを堪えるような引き結ぶ形となり、やがて肩が小刻みに震え出す。
少女はジトリと目を向けた。
「……何が可笑しいのよ」
「いえ、ふふ、すみません」
口では謝りながらも、青年の肩は静まることなく震えている。それでも何とか抑えようと合間に深呼吸を試みて、失敗しては咳き込む。少女は一連の様子を冷めた眼差しで見ていた。
少しして落ち着いたのか、青年は顔を上げて口を開く。
「全く、貴女という人は本当に――」
「…………?」
「……あっ」
肝心な部分が音になることはなく、青年はしまったというように口を塞いだ。
「本当に、何よ?」
「えーーっと」
「言えないような都合の悪いことなの?私に対する評価の言葉よね、それが失言になるって一体何を考えたのよ」
「あーー……ほら見てくださいよーお花が咲いてますよー綺麗ですねー」
少女の険しい眼差しから必死に顔をそらし、そんな適当過ぎる誤魔化しを落としながら青年は再び足を動かした。先程よりも随分と速足なそれに置いて行かれまいと少女も後を追う。
「ちょっと、私そこまで疎まれる覚え無いんだけど!」
「ゼラニウムが沢山咲いてますねー。あ、ロベリアもありますよー」
「聞いてる?」
「聞いてますよー綺麗ですねー」
「聞いてないわよね!」
青年は少女の言葉に耳を貸すことなく、タウンハウスの上階に目を向け続ける。ウィンドウボックスから溢れる花々は確かに美しいが、少女はそれを愛でる気分にはなれない。けれど、あっちにはコレが、こっちにはソレが、と話題をそらすために喋り続ける青年の姿を見て、仕方なく一度の嘆息で諦めることにした。今しがた『相手が話す気になれないものは聞かない』と言ってしまったので、あまり追及はできない。
息を吐ききって、少女は青年に倣うようにタウンハウスを見上げる。
手入れが行き届いた花々はどれも往く人の目を楽しませる鮮やかさだ。しかし、少女は長いことその花に集中することができなかった。ゼラニウムもロベリアも窓辺を飾る花としてはとてもメジャーなもので、どの窓も花の種類は似たり寄ったりだ。その統一感が街の美しい景観に貢献しているのだが、一つ一つ鑑賞していると途中で飽きが来てしまう。
段々と花から意識が逸れていこうとした時、少女の視界にそれは飛び込んできた。