ep.4 三道寺
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筆者が知り得たことは、書くのも躊躇われるほどの児童虐待だった。
あの事件において、堤岡 清太郎の姉が殺された理由と妹の自殺の理由が分からなかったのだ。どうして、姉は殺され、妹は自殺したのか。
姉は父から性的虐待を、清太郎は身体的虐待を受けていた。
姉は既に成人している女子である。当時の世相とあの母親を考えれば、現場を押さえるか、本人の告発か、妊娠でもしていなければ、分からなかったことだろう。
そして、津々木 操はその中学生の妹と仲が良かった。
中学生の妹が言った。
「あたし、お姉ちゃんを生み直してあげるの」
すぐには無理だけど、もう少ししたら。大人になったら。
津々木 操もすぐには信じられなかった。
「三道寺の大杉って知ってる? 操ちゃん」
三道寺の大杉には縁結びの他に生み直し伝説がある。
叶えるためには生み出すための『腹』が必要であるから、自分がその腹の役目をしてあげる約束をしたのだ。
「あたしが幸せな家族を作ってあげるの」
ボロボロになっていた家族を、妹は作り直したかった。
津々木 操は淡々と筆者に続けた。
初めはその姉を生み直す計画だけがあったのだと。
その伝説に縋ることが、生きるためにあった唯一の光だったと。
だけど、先に限界がやってきたのは、清太郎だった。
姉は、懇願し、清太郎に殺された。妹は、その後、その時に振るわれた包丁を拾い、無力な自分の腹を自分で刺した。
「私、叶えてあげたいと思った。幸せな家族を作ってあげたいと思った。間に合うのは、清ちゃんだけだった」
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「あの日、清ちゃんが私の家にやってきました。血まみれで。もう生きていけない。だから、お別れを言いに来たと」
だから、私、三道寺へ彼を誘った。お別れの最期に。
「原さんも清ちゃんと同じで、あの時、私の言っていることを信じていませんでした。だから、こう言ったんです『彼のことを愛されていたんですね』って。でも、なんとなく、羨望も感じました。あなたに興味を持ちました。あなたの書いた過去の文章も読みました。やっぱり……と思ったんです」
饒舌な津々木 操は始終無表情だった。過去の文章からいったい何が分かるというのだ。私は、自身のことなど一度も書いたことがない。それなのに、すべてを見破られているようだった。
私の中身が空っぽになっていること。ただ、元に戻しているだけのあの弁当ガラのような。
「私は何も羨ましがってなんて……」
不妊症だと言われ、治療を進めた。三年頑張っても無理だった。月のものが来る度に深海のようなものに沈んでしまう。化学的流産を起こす度、波のような悲しみが私をさらい、広大な海を漂わせた。
医者は、それは染色体の問題であり、母体の問題ではないと言っていたが、あぁ、私の体は命にまでも届かせることが出来ないのだなという非情に打ちのめされて、蝕まれていった。
大丈夫ですよ、頑張りましょう、と優しく微笑む医者が憎かった。
辛いのならやめましょうと言って欲しかった。誰かのせいにしたかったのだ。とても卑怯な自分が嫌になった。それでも、表面を繕って笑える自分を恨んだ。
私の限界がやってきたと同時に、夫とは別れた。
夫は私に家を残して、出ていくことを選んだ。しかし、その辺りから私の残業癖はついている。サービス残業でもなんでも良かった。
様々が染みつくあの場所へ戻りたくなかったのだ。残業を好んでするのは、自分を傷つけ、不健康でありたかったからだ。
きっと、無意識に理由を欲しがったのだろう。
だから、子どもが出来るという体が羨ましかったということは、間違いではない。しかし、羨んだわけでもなかったはずだ。四十を前に今さら子どもができても。
今さら……。
煩わしいだけ。
やっと仕事に打ち込めるようにもなった。
恋人と呼べる相手もいる。
不足はない。
「真相を確かめてみたくありませんか?」
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筆者は今とても後悔している。
あの時、どうして逃げなかったのだろうと。
どうして、雑誌記者としての使命感など感じてしまったのだろうと。
そして、同時にこの文章が世に広まれば、筆者がどうなるのだろうという好奇心も抑えられない。
今、筆者の子宮では何かの命が育まれている。
「もし、彼が誰かに生み直してもらっていたとして、私もう四十三なんです。これって相互利益の関係になりませんか?」
果たして、私に与えられている道は、母になるものなのか、それとも……。
彼女との連絡はそれ以降取れていない。