秘密
椿が三年C組というプレートのある扉を抜け教室に入ると、まだクラスの3分の1程度の生徒しか登校していなかった。
「あ、椿来たー!! 」
一番後ろの席から、彩季が茶髪の髪にアイロンを当てたまま、椿へ笑顔を投げて寄越した。
「ほとんど来てないね」
「うん、体育潰れて自習だったよ。事故? 故障? なんだった? 」
「うーん、故障? 架線が燃えたとかなんとか」
「かせん? それってなに? 」
「電車の上にある、違うか線路の上か、黒い電線みたいなの」
椿は指先で頭の上につつつっと線を引き、大きな身振りをつけて説明する。
「ふーん」
分かったのか分からないのか、彩季は曖昧に頷いた。
椿は電車の中から見た黒い「あれ」を思い出していた。
胴の長いトカゲの様な顔をした未確認生物を。
少なくとも椿はあの形態の「あれ」を今までに見たことがなかった。奇妙な背中の羽飾りまではっきり覚えている。
プツプツと突起のある芋虫のような胴体を、後で絵に描いて記録しておかなきゃ、と思った。
「あれ」がなんなのか。
もちろん初めは分からなかった、というか暫く。
椿は「鈴の家」の火災事故後、意識が戻った辺りから、人には見えない「あれ」らが見えるようになった。
その頃「あれ」らは誰にでも見えている物と認識していたから、椿は「あれ」が見える度にまわりの友達や大人達に話して、皆を驚かせた。
しかし、どうやら「あれ」らは自分にしか見えず、この世には存在しないものだということを、まわりの反応から徐々に知る。
そしてある日「先生」と出会い教えてもらった。
あれらは生き物で、確かにこの世に存在するものである、と。
人にはまったくの無害であり、様々な種類がいて個体各々にも個性があるということ。
彼らの知能はさほど高くはないというから、今日の電車の架線トラブルも間接的には「あれ」の仕業になるのだろうが、彼らが狙ってそうしている訳では決してなくて、結果としてそうなってしまっただけだろう。
おそらく電気が好きで、食べるために咬み付いていたか、または好奇心から遊んでいただけ、というのが椿の考察だ。
ただそんな事を彩季に言ったところで、いや、誰に言ったところで、変人か、妄想の激しい頭がおかしい人、または極度のかまってちゃんとしか思われない。
「彩季はいいな、家が近くて。人だらけでほんとに疲れた」
椿は彩季の隣のあいている席へドカッと腰を下ろした。
「お疲れ様でした」
彩季はにこにこと笑いながら髪にアイロンを滑らせている。
「……あのさ、ちょっと参考までに聞くんだけど」
「んー? 」
「一度しか会ったことがなくて、それも偶然に……、その人にまた会いたいと思ったらどうすればいいかな? 会った? いや見かけた、か」
「なーにそれ、つまり偶然会った人にまた会うにはどうしたらいいかってこと? 」
「あ、そうそう、さすが彩季」
「 誰かに一目惚れでもしたわけぇ? 」
彩季はアイロンをやめ椿の方へ向く。
「いやぁ? 」
椿は出来る限り平静を装った顔を彩季へ向けるが、笑顔は不自然で強ばっている。
「へぇー」
彩季はそのぎこちない椿の顔を見て意味深に笑った。
「いやいやいや、そうじゃない、そうじゃなくて、ちょっと聞きたいことがあって、本当に聞きたいことがあるの。大事なことなの」
人には見えない「あれ」があの人にも見えていたのだろうか?
だとすれば、「あれ」が見える人と初めて出会った、ということになる。
本当に自分と同じ物を見ていたのだろうか? 黒くて長いトカゲみたいな? 背中にヒラヒラのついた?
そう聞いてみたい。
「なにを聞きたいわけ? 」
「あ、うん、ええと」
椿は言葉に詰まる、彩季は中学部からずっと一緒にいる一番仲の良い友達だった。
その友達に自分のこの秘密を話していないこと、そこに少なからずの負い目があった。
かと言って、何もかも話すという勇気も覚悟も、今現在まで持てずにいる。
「ふーん、なるほどぉ。椿にもやっと気になる人が現れましたか」
「へ? 」
彩季が謎の微笑みを浮かべ椿の手首をガシッと掴んだ。
「どこの高校? どんな制服だった? 」
「高校? たぶんだけど、高校生じゃないと思う。制服じゃなかった」
「社会人? スーツ? 」
「スーツとかでもない。学生かな」
「そっか、難しいね」
「だよね」
「でも、偶然出会った人なら、また偶然会う可能性はなくもない、あると思う」
彩季がポンポンと椿の肩を叩いた。
「そうかな……? 」
「うん、ある!! 」
そこへ、副担任の女性教師が入ってきた。
「はーい、チャイム鳴りましたよー、あれ、まだこれしか来てないんだ? 」
授業が始まり、各々の席へ戻った二人の会話はそこで終わった。
☆☆☆