善薬
「人を借金取りみたいに言うなぁ」
千寿は声をあげて笑った。
「じゃあ肝を食べる?」
真面目な顔で尋ねた椿を、千寿は一笑する。
「そいつは九尾の狐。いったいどういう誤解をしたら、そうなるんだ」
「ソルが、千寿先生は白虎のアヤカシで、大きくてものすごく怖いって」
「ソルのやつ」
「じゃあ……」
「何も取りはしないし、肝を食べたりもしないから安心しなさい」
「本当に?」
「私は医術を施すが、その見返りで何かを求めたりはしない。ただ患者が健やかになり幸せに暮らせればそれでいいんだ」
千寿は低く落ち着いた声で、ゆっくりポツポツと言った。
「かっこいい」
椿は感嘆した表情で千寿の顔をじっと見つめ、それから突然笑い出した。
「なにがおかしい?」
「だって、ヨル先生より若く見えるのに、実は千歳以上年上っていうの、なんかちょっとバグっちゃって」
「バグ?」
千寿はきょとんと目を丸くし椿の言った言葉の意味を考えている。
「バグる。ホント」
「バグル?……バグ、バ、グル」
椿は笑いながら目尻から溢れてくる涙を拭った。
「千寿先生、私はこれまでとても幸せでした」
千寿は穏やかな微笑を椿へ向けた。
「生きることは辛くはないですか? 悲しいことはありませんでしたか?」
「もちろん辛さも悲しさもあります。でも、時々信じられないくらいの喜びや幸せや、宝物のような出会いがあるんです」
椿はコートのポケットから銀色の缶を出して、千寿に飴をひとつ渡した。
「あのとき、千寿先生が虎玉を分けてくれなかったら、あの小さな家と狭い世界の中だけで、私は何もかも知らずに終わっていたんです」
「まぁ、罪悪感も多分にありましたからね。大百足の麻酔の量を私が見誤り痛みで暴れた彼があの家を壊してしまった、という」
「オオムカデのアヤカシが、え、そうなんですか?」
「白状すると、そういうことです」
「雷と竜巻のせいだと思ってた。あ、そうか妖気が乱れて」
「そうです」
「でも、あのとき言いましたね。今朝の夢で見たんです」
「私が何を?」
「人の玉は儚い、儚いが故に尊い」
「……」
「放っておきましょうって言ったお弟子さんに、そう言いました」
「……」
「私はアヤカシも人も同じように大切に思う」
「弟子の手前、言っただけだな」
ハハハ、と千寿は軽やかに笑った。
「私も弟子の水鏡もそしてヨルも、アヤカシ界では変わり者でね」
「わかります、なんとなく」
「おや、そうですか?」
「あ、悪い意味じゃないです。アヤカシの患者さんはあまり人の私とは話さないんです。人嫌いとか無関心で。初めはソルにも嫌われてたし。でもヨル先生は違った」
「優しい者はそれだけ多くの痛みを知っている、もしくは抱えている、だから思いやれる。けれど、医術を施す者なら、優しさは足枷だよ」
「それもなんとなく、わかります」
「本来アヤカシは自ら治癒の能力を持っているから、もし回復が見込めないとすれば、それはもう寿命という運命だと。けれど、私は目の前で苦しむ者を見て見ぬふりは出来なかった。かといって全ての病を治す力などあるはずもない……虎玉を使えば、という顔だな」
「はい、千寿先生の虎玉を量産すれば良さそうな」
「確かに、虎玉は私の玉だ。妖気の集まりでこれは他のアヤカシのそれより強い。だが、全てのアヤカシに与えていては私の命が尽きる。それでは意味がない。長い目で見れば一時の延命に過ぎない、そう知ったんだ。だから薬をつくり医術を施し、覚書に記した」
「あの、地下室にたくさんある古書ですね」
「ここに最新刊が詰まっている」
千寿はリュックを指差し笑う。
「私が世界を回り施した医療と試した薬の、いわば草書」
「千寿先生ってメモ魔ですよね」
「メモ魔……」
「私もそうなんです。忘れないうちに早く書かなきゃって」
「君は、面白い」
「え、あれ、最近誰かにもそう言われたような……」
「ヨルはまだ気付いていないのか……」
「いえ、私が変人てことは十分承知なはずですよ?」
「さてと」
千寿は立ち上がり重そうなリュックを背負った。
「飴をありがとう」
「ヨル先生が作ってくれたんです」
「ヨルは変わらず器用だな」
「料理、すごく上手なんです」
「……楽鬼の影響か」
「ラキ?」
「君は自分を信じて、どんなときでも自信を持ちなさい」
「あ、はい」
千寿は来たときと同じように、いつのまにか静かに消えてしまった。
「バグる、メモ魔……」
そんな呟きを残して。
「さてと、私も」
ブランコから立ち上がった椿は、晴れ渡った冬空を仰いだ。
雲のない、どこまでもまっさらな青い天空を。
☆☆☆