第5話:血脈の呪い
およそ、館の使用人皆が寝静まった静寂。
静かさと、宵の闇が支配する広いだけのエントランスホールで僕は囁く。
僅かな、本当に漏れ出るような声さえもがあまりに大きく空間を振るわせるようで。
「居るのは分かっている。ソレを……、君の固有魔術を解除してくれないか? アルベリヒ」
………。
何もない筈の虚空へと語りかけ。
一秒、二秒と時が過ぎ去るのを待つ中で。
………。
―――ようやく、変化が訪れる。
「……ま、そりゃあ分かるよな」
突如、暗闇の空間が揺らいだ。
全く見えなかった―――、本当に只の虚空であったはずのそこには、確かに長身痩躯の彼が居た。
手には……、お、名工の花瓶?
ヴァレット鑑定で50万程度の価値がある年代物……結構いいもの選んだじゃん。
で、彼の姿が全く見えなかった理由―――そう、魔術だ。
それも、只のありふれた汎用のものではない。
「匂い、気配……。その辺か? まぁ、訓練積んだ人間にも魔物にも気取られる程度の、出来損ないの不可視だ。ヒデェよなぁ? 上位冒険者には、そういうのもぜーーんぶ隠匿できるような【狭霧】ってやつが居たんだってよ、レイク」
彼の持つ【固有魔術】……不可視。
ハッキリ言うと、一介の冒険者崩れでしかなかった彼がそれを使えるというのは、凄いことだ。
そもそも固有魔術とは、長き研鑽によってようやく、或いは千分の一、万分の一というふざけた確率で先天的に獲得できるような高位技術であるゆえ。
一般の者は、そもそも通常の魔術の習得法さえ知らず、簡単な、例えば“発水”といった水を生み出すだけの魔術など、一部の存在が知れ渡っているのみ。
だけど、専門的に学んだ学徒や術師は違う。
幼少期から適性の存在するものは、優秀な師の教育の元、その長所を伸ばすかのように研鑽を積める。
そして、貴族。
どの国家でも、歴史ある貴族程何らかの魔術論理を突き詰め、【固有】へと昇華している家は多い。
彼の男爵家も、歴史こそ浅いけどその一つ。
歴史の中で培われ、受け継がれてきた一つの成果―――聞く所によれば、元々は隠密に長けた獲り物役人の家だったって言うし。
「本当に、不公平だよなぁ。俺のなんて、コソ泥に使うしか無くてよぉ」
「……………」
彼は、心底うんざりしたような……かつて愛嬌のあった顔を歪め、血に飢えた野盗ような怒気に満ちた感情を露呈させる。
「なぁ。何でなんだ? レイク」
「アルベリヒ……」
「俺は、貧乏貴族の、跡も継げない屑。お前は、歴史の長い貴族の跡取りで……誰より早く、広大な土地を持つ領主になった。なぁ……」
「なぁ―――、なんでだよッッ!!」
彼が手を振るい、握られていた花瓶が砕け散る。
怒り任せに薙ぎ払われた掌は、握力の時点でそれを破壊できていたんだろう―――暗がりの中で、血が線となって滴って。
……やってくれたな。
「その花瓶、結構な値打ち物だったんだ。給料から天引きか?」
「……うるせェ」
雇い主の当然の言葉へ、低い声が帰ってくる。
多分バイトテロってやつかな。
っていうか……勘違いしてないかな。
「アルベリヒ。今、この場で憤っていいのは、君じゃなく僕だ。そこ、分かっているのか?」
「……………」
「まぁ、言って無駄だというのは分かってるさ―――ヴァレット」
「は、こちらに」
声を掛ければ、既に気配なく後ろに控えていた男。
彼はその手に持っていた注文品を差し出してきて。
「こちらで宜しかったですかな?」
手に渡るは、衛士の鍛錬用に存在する使い込まれた木剣。
勿論僕も使った。
幼少期から、軽く数万はヴァレットに打ちのめされた―――愛武器っちゃあ、そうかな。
「ん……十分だ。では……。彼にも、一振り渡してやってくれ」
「畏まりました」
指令を出せば、渋ることなくソレを渡―――アルベリヒの方へ向けて放り投げる推定完璧執事。
……いや、完璧な人間はそんな失礼な渡し方はしないな。
もしかしておこだったりする?
嘘でしょ、この空間三人が三人ともキレてんだけど……、地獄かな?
で、木剣を放られた当の本人は目の前の床に落ちたソレを見つめ。
………。
なんだ? その顔。
冒険者時代は魔物相手にもそんな顔してたのか? 笑えるな、オモロ。
「―――どういうつもりだ?」
「それはこっちの台詞さ。紛失した家財をもって、とっとと夜逃げしておけばよかったものを、バレていると分かってていつまでも残っててさ」
濡れ衣? 彼に見せかけた他の者たちの犯行?
はっ、まさか。
彼が犯人なんて……、そんなのは言われるまでもなく分かっていた。
っていうか別に、それでも良かった。
適当に去ってくれるというのなら、捜索に充てる金などない貧乏領主は黙って見過ごすつもりだったんだ。
「分かる、わかるよぉー? ネズミさん。いけ好かない成功者へ、文句の一つでも言いたかった、我慢できなかった。幸せを少しでもぶち壊したかった……そんな所だろう?」
「……………」
「こうしよう、アルベリヒ。学生の時分、よくやったろう? 剣術の実技だ。もし君が勝てば、この場は見逃す。君が盗んだ家財をもって領を出るのを、たんこぶ頭に白旗を振って黙って見逃す」
「―――お前、一体……」
「あぁ、そうだ。必要なら馬も付けようか? ヴァレット、彼が必要らしい。一番良いのを頼む―――」
「いい加減にしろ!! ふざけてんのか―――お前は!!」
激怒、と確定できるような大声。
ヴァレットが魔術を展開してなければえらい事になってたな。
「……はぁ。余り大きく叫ばないでくれるかな。皆が起きちゃうだろ?」
「こ、の……ッ。一々、一々……俺のカンに障る事ばっかり言いやがって……!!」
最早、彼は激情に身を任せ。
ようやく、敵を殴る為の武器―――床へ放られていた木剣を拾い上げる。
「そう、だ……そうだッ!! 学生時代から、ずっとずっとお前が気に入らなかった!!」
「ま?」
「負けて悔しがるでもなく、ヘラヘラヘラヘラ……その上で、いつもお前の周りには色んな奴が居て……!! いつだって、お前が中心で! 俺たちはいつだって添え物の脇役だ!」
「全員モブだよ、僕含め。わっかんないかぁ……?」
「帝国で一番歴史が古い家に、当主確定で生まれておいて……それでッ。それで……、どれだけ自分が恵まれてるのかも分かってねぇですみたいな顔で、涼しい顔で!! いつだって口だけでやり切った、出し尽くしたなんてのたまって!!」
「だからそれは……ッ、う……!?」
「田舎領主……ッ!? 世の中にはソレにすらなれねえ塵が、這いまわるしかねえゴミ屑が! どれだけいると思ってやがる!!」
激情のままに襲い来る剣閃。
その一撃は速く、鋭く、そして型通りでなく対応しずらい。
単調な一撃故に防御が間に合ったものの、受けるだけで精いっぱい。
どころか、威力に圧され。
たった一撃、それも木剣越しに受けただけで身体が吹き飛び。
「―――――ッッッ!!」
背中から壁に叩きつけられる。
肺の空気が飛び出て、ついでに調度の絵画が散る。
「……っ」
「―――そうだよ。あの頃から、お前のその小奇麗な顔をボコボコにしてやりたいって思ってたんだ!」
吹き飛ばされつつ、追撃してきた彼の一撃を辛うじて受け止め、未だ木剣で競り合うまま。
壁に背中を付けたままの僕へ、殴られたわけでもないのに顔を真っ赤にした彼が叫ぶ。
……滅入るなぁ。
この距離だと、唾が飛ぶじゃないか。
「―――ははっ、只の僻みじゃん。とどのつまり嫉妬じゃん」
「……ッ!!」
「僕が君よりちょっとかなり顔が良かっただけで、そんなに言う? どの顔さげてって、この顔だよ。分かんない? 三枚目」
「ぶん殴る!!」
やめて、やめて。
平凡な僕にある数少ない美点(文字通り)なんだ。
……事実として、当たり前に、彼はあまりに強い。
再会した時に言った、実技で一度も勝てなかったというのも事実。
片手を失った今でさえ、その実力は健在。
むしろ、片腕ゆえに集約された筋肉が、一撃の威力を高めているようで。
ペンは剣より強し? どこが?
互いに握ってたものが違うだけでこんなに差が付くものなんだね、積み重ねって。
実際、日々を魔物と戦ってきた彼と、政務に追われていた僕とではあまりに隔絶した差が存在するらしく。
……けど。
「―――言っただろう? 怒る資格も、殴る資格も。持っているのは僕だけだ」
彼の言葉は、全てが身勝手。
チャンスの全てを結局つかめなかっただけの、落伍者の身勝手だ。
「偽典―――“磁針”」
「!!」
「―――ぐ……ッ、ぁ……!?」
僕が背にしていた壁が盛り上がり、まるで石で出来た槍のように突き出され。
不意打ちのままに腹部を強かに打たれた彼は、苦悶に顔を歪め―――その隙を逃すはずもなく。
「取り敢えず、まず一発!!」
腐っても冒険者、この程度は良いだろうと、横一閃……その胴体を全力で打ち上げる。
反動は驚く程に硬く、まるで岩を殴ったかのよう。
こりゃあ、確かに……学生時代より明らかなほど適合率あがってる。
けど、当然に……流石の彼も全力の打ち込みには耐えきれず、転倒し。
習った通りに、急ぎその首筋に木剣の先を当てる。
何が起きたのかまるで分からないって顔だね。
「さて……。僕の勝ちで良いのかい?」
「―――――」
「……レイク。お前の【固有】は、毒耐性じゃねえのかよ……」
「あ、話したっけ」
あぁ、そうだよ。
彼の言葉は間違いではない。
僕の、歴史だけは長い一族に伝わる固有魔術……それは、毒耐性。
取り分け、動物性、植物性……陸上水中問わず自然由来の毒なら大抵は効かないという、対暗殺に便利な力だ。
だから、理論上は魔物の肉だって好きに召し上がれる……筈?
それは彼も知っていたらしい。
けど、こっちまでは知らなかった。
一部の例外を除き、誰にも言ってないんだから当然だ。
「―――今の……ッ、ぅ。何だよ」
「研究の成果、って言えば良いかな。ホラ、僕の家って研究ばっかやってて潰れかけたって話をしただろう?」
「……………」
そもそも、固有魔術とはその家が積み上げた理論と叡智の集約。
ならば一つであるというルールはない。
「初代の死後。二代目領主の時代から。出世レースみたいな感じで、今の大貴族の人たちと並んで研究したらしいんだけど……」
僕の家の研究志向は、「汎用」
他の貴族家が、一般人が及びもつかないような強力な大魔術の研究に躍起になっていた頃、一般の者達でも簡単に、そしてどんな属性の魔術でも行使できるようにと考えてのモノで。
……まぁ、アレだ。
大陸中に技術を広げて、その宗家としてなり上がろうと思っていたらしい。
「より分かりやすいように言えば、君たち冒険者が使ってる凄く高価なアレのバージョン違い……、人間スクロールって言えばわかるかな?」
「まぁ、見ての通りの大失敗。結局の所、どんな人間にも魔術を使えるように、なんてのは空想でしかなかった―――ほら」
………。
「―――――は……?」
貴族らしく優雅に、上半身の服を脱ぎ捨てる―――今なら、活性化しているからよく見えるだろう。
身体中にびっしり。
刻まれた赤黒い……呪いの如き紋様は、彼の怒りを吹き飛ばすに十分だったらしい。
性格には紋様じゃなくて血管そのものなんだけどね。
採血に便利? どうも。
「領民を実験体にしないだけの良心はあったんだよ。息子なら良いって言う時点でお察しだけど」
「そ、れ……なん……、―――は?」
「止めてくれる可能性のある人、奥さんとかも死んでたし?」
これが、僕の家のもう一つの固有。
否……僕だけの固有―――【偽典魔術】
「行き詰まりの偽典。様々な汎用魔術を模倣し、出力する……。一度に使い過ぎると、身体が摩耗して、血管が破裂。そんな代償を払ってさえ、一度に刻印できるのは一種類の魔術が限度。……終わってるでしょ? ははっ」
名の有る魔術師など、個にして数十、或いは百にも及ぶ魔術を有し、たった一つの上位魔術で百の軍勢を滅する事が出来るとさえ言われているのに。
僕の使える魔術は、攻撃であれば精々数人を纏めて攻撃できる程度の中位魔術が限界かつ、一度に一種。
入れ替えるにも専用の触媒を数秒かけて書き込む隙が生まれる上、使い過ぎれば寿命すら縮むかもしれない諸刃の刃。
「はははっ……ね、アルベリヒ。これが、領民の為に役立つと思う? どう?」
「――――」
「……。ふざけてるの? ねぇ」
………。
「否、重ねて言うよ―――ふざけるなッッ!! 僕は……、僕は絶対にあんな連中と一緒にはならない。エセでも何でも、名君とか呼ばれて、惜しまれながら、沢山の子供に看取られながら死にたい!! 誰かに愛されて、惜しまれて……銅像とかも建ててほしい!! 美人で優しいお嫁さんも、子供も、沢山沢山欲しい!」
……だから、僕は。
その為ならば、僕は……僕は。
彼から距離を取り、再び武器を構える。
「さぁ。―――来なよ、アルベリヒ」
「………は?」
「何度も言わせるな、続きだ」
「当てがないんだろう? 僕を倒すだけで、暫く食べるに困らない程度のお金は手に入るんだよ」




