第2話:我、エセ名君を目指す也
アノール領の人口はそこそこだ。
この帝国において、実のところ領地を持っている貴族というのは全体の10パーセントにも満たないけど、そんな領持ち貴族の中で言えばウチの人口は中の下ほど。
都市を除き、領内には都合二十余りの農村が存在しており、一つ当たりの村人口は数十程度で、一番多い所でも百を幾らか超える程度。
アノール領全体での人口は、領主になってから最初期に行った戸籍制度の導入……現村人口と現在もポツポツと届けられる出生の届け出があった子供たちの数を総計して、1800人程。
中央に暮らす200人を加えて2000人程。
まぁ、人数だけ見れば結構なもので。
だけど、現状それが良い事なのか悪い事なのかのコメントは控えさせてもらおう。
かねも……、俗にいう金持ちの貴族家であれば、各都市各村に役人なんかを派遣すれば各地の状況は大体理解できるけど、貧乏貴族であるユスティーア伯爵家にそんな余裕がある訳はなく、その一つ一つの実態を把握しておくのは結構な骨。
移動と視察で一々お金も時間も世間体も気にしなくちゃいけない苦労、とだけ。
「「―――――」」
「フム……」
「ど、どうでしょう? 領主さま」
乗り心地そこそこ、年代物の中流馬車に乗り込み暫し。
やってきた村は当然に多くの人たちが忙しく仕事に従事しており、その中でも多分特に忙しい筈の村長は、現在僕の相手という罰ゲームで時間を浪費させられているのが現状だ。
え? 村人虐めるなって?
大丈夫大丈夫、別に管理職だからって夜中に畑仕事の残業がある訳でもないし。
日が沈めば寝れるのがこの世界の村人さんだ、……僕と違って。
………。
村人AさんからGさんまでが忙しなく動き回る麦畑の様子を伺いながら、村長さんを伴って歩く。
時折向けられる視線は珍しいものを見る奇異や、懐疑……まぁ様々で。
今一僕が誰か分かっていない様子の子供の純粋な目などは、眩しくもあるね。
彼等にも、いつかは僕の老後を支えるために馬車馬の如く働いてもらわないと。
で、領の基幹産業である穀物、コーツ麦……主に粥として食べられている穀物の生育状態は。
「悪くない……」
彼等村人も、当然に馬鹿ではない。
自分たちが見下されていると思えば心象も効率、当然に悪くもなるだろう。
だから、取り敢えず悪い所がないのなら褒める。
ほめ過ぎない程度に肩の力を抜かせる。
「うむ。田畑の調子は中々に良いようだな。今年は飢えるものを生むことなく、つつがなく暮らせるだろう」
「全ては領主様の治世の表れにございます……」
うむうむ、くるしゅうないくるしぅない……、うん。
こんなに気持ちよくないごますりがあるかな、しかし。
胡麻団子にしたとて、さぞかし舌触りも悪いだろう。
けど、触感はともかく感触が悪いわけでもない。
領主が直々に赴いて直接同じ目線で語らえば、少なくとも軽んじられていると考える事はほぼないわけだし、少なくとも村長の様子を見るにそこまで好感度が低いわけではない。
父上の代を40くらいだとすると、現状僕の支持率は65パーセントってところか。
「―――オルナー村長。君たちには開墾の事と重ね、苦労を掛けているな」
「……いえ」
「それも、今だけ……などと。綺麗ごとを言うつもりもない。この領には改革の余地がある……あり過ぎる。今まで遅れていた分を、私が行わなければならない。だが、その改革で苦しむのはいつの時代も君たち、民だ」
「……………」
「どうか信じ、協力して欲しい。今が力の入れ時。これを超えれば、必ずや皆の暮らしは豊かになる。他の領の民に出来たのだ。私達にやれぬ事もない。やがては、君たちがアノール領の民である事を誇れる日が来るように、私は全力を尽くす」
聞き耳を立てていた何人かは僕の作った重厚な声色と甘いマスクにほだされて感情を動かされているようだけど、やはり村長オルナーを含めた現実を見なければならない者たちの瞳には懐疑的なモノもあり。
―――「これを超えれば」……と。
勿論、何の定性的なデータも存在しない言葉で彼等は安心できないだろう。
元より用意してあった飴はここで追加しようか。
「……ひとまず向こう三年、税に収めてもらうコーツ麦の割合を下げよう」
「む……む。しかし、今からとなりますと」
「今年より、ではないぞ。計画通りの二年後。君たちの成果が実を結び、農地面積が当初の予定値に達し、従来の土地と遜色ない生産性を上げてから、三年だ」
「「!」」
「……! ―――それは……」
………。
「……いや、やはりやめだ。四……、いや五年にするか」
「え!?」
彼等がコツコツ開墾をして、予定通りの耕地面積が確保できれば……理論上の話ではあるけど、だけどね。
その農地でも同量、或いはやや収穫が少なかったとしても。
それでも、税を収めた後に残る食糧は大きく増えることになる。
彼等にしても茶碗三杯美味しい話―――そう、この穀物はパンには向かないんだ。
口約束が信用できないっていう聡い手合いには、ちゃんと証書も発行する準備がある―――って言うか今渡した。
「これは……。ええ、と。その……、―――その御話は、まことで?」
「約束しよう。その書面については老賢者に読んでもらうが良いだろう。……君たちが努力した分だけ、私も応えよう。今季はかなり調子がよく、干害の兆しもない。今のうちに蓄えておけば、先で飢餓に苦しむ事も無いだろう。そして、数年後には……」
いつの間にかこちらを伺っていた彼等が顔を見合わせる。
気分はまさしく、ヴァレットが物語で語ってくれた邪悪なペテン師。
冒険者に討伐される似非魔術師だ。
才能無いし。
まぁ、さほど違いはないのだろう。
ひとつ違いはあるとすれば、顔が良い事。
「は、は……、何といいますか……その。数年前、領主になったばかりの頃査察に来られた時より考えていました。領主様。レイクアノール様は、まことに我々の事を考えてくれているのですね」
……っふ。
フフフ……クククッ―――っはっはっははっはッ。
と、邪悪な笑いは心中に留め、至極表情を変えないように……これら技術だけは途轍もないってお墨付きもらってるんだ。
目を潤ませている壮年の男、その皮が厚くなり節くれだった手をしかと握る。
さながら、少女漫画の主人公の手を握るかのように。
「……ぁ」
「皆は、私の領の民だ。領は民あってこそだ」
彼等の言葉は正面から受ける。
彼等の言葉にはちゃんと言葉と結果で応える。
それが、当面の方針で。
当然、失敗も受け入れる。
多くは未然に最強執事が防いでくれたけど、過去には当たり前に失敗だってした。
例えば、一時は嘆願書を受け付ける目安箱みたいなものを作成して村々からの要望を集めてみようとも思ったけど。
『お坊ちゃま、一つ一つに取り合っていては時間の無駄でございますよ。中には只の苦情や日記まがいのものも混ざる事でしょう。政務の効率とご自身のやる気を同時に削ぎたいという高尚なお考えがおありならその限りではありませぬが』
『………確かに、ダメかも』
そもそも、僕はいまだ二十歳を超えて幾ばくも経っていない若造だ。
他貴族からは相手にもされず、領民にさえ隙を見せてはコトな状況。
口調とかはともかく、僕が心を許して会話できる人間なんて今現状この世界で片手で数えきれる程度の人数しかおらず……ってか二人しかいない。
ともあれ、今の若いうちに「名君」だと彼等に誤認―――もとい、認識してもらえば。
数年、数十年先まで多少の無理を言っても応えて貰える。
これは、その為の布石なんだ。
いつだって大衆を味方につけたものが戦いに勝ってきた。
「額に汗し、土地と己らを肥やせ。私は君たちの働きの分だけ礼を尽くし、君たちの忠の見返りとして暮らしを良くしていくつもりだ」
「は、は……。有り難うございます……」
互いに、完全な余所行き対応。
やがて彼が仕事に戻っていく頃、合流してきたヴァレットと共に馬車に戻る。
ふぅ……と。
領主様モードを解除し、気の利く執事が手渡してくれたよく冷えたハンケチで顔の皮脂を拭う。
……本当によく冷えてるな。
冷やしタオル始めましたってやつか?
それとも硬直後の自分冷やすドライアイスの代わり?
「簡単な魔術ですよ。領主様は通常の方法では使えませぬが」
「……………だな」
老執事よ。
お前がポックリ逝ったら、棺桶によく冷えた氷を塩と一緒にしこたま流し込んで最終的に川へ放流してくれる……。
流し執事(死体)だ。
「ふ、ぅ……、はぁ……。本当は、他の領で流行ってる農地法とか取り入れて、もっと生産効率とか上げたいけどなぁー。向こう数年は色々と我慢しないとなぁー。あーー、改革したい」
「決して急いではなりませぬよ。付け焼刃で行ったとして、既存の新技術が我が領の地質と合わない可能性もあります。研究が数か月、数年程度で終わらぬのは当主様もご存じの通りゆえ」
……そりゃあ父上とか歴代当主を挙げられれば、ね。
数年どころか百数十年だし。
コツコツやってきたものだけが発展を享受し、一次産業をないがしろにしてきたものが落ちぶれる。
詰まる話僕はキリギリスの子孫って事だ。
その成果なんて、今となってはゴミに等しいし。
「いっそ、唯一の特産……グルシュカの品種改良にでも注力して―――……ガッデム、はぁ。言ってて悲しくなってきた。これが血?」
あれだけ先代たちの事を言っておきながら、その僕が同じように他をないがしろにして実を結ぶかも分からないギャンブルをしようなんて一瞬でも考えた。
その事実が本当にどうしようもないなんて感じさせて。
けど、ヴァレットは首を横に振る。
「いえ、断じて。当主様にはその謙虚さがありますゆえ」
「……謙虚、ね」
果たして貴族にそれが必要なのかは疑問だけどね。
仮に……何かがまかり間違って僕が皇帝陛下に喜ばれるような功を収めたとして、欲しいものを聞かれたときに何もいらねーですなんて答えようものならえらい事だ。
貴族っていうのは欲張りな程良いとされる生き物なのに。
……けど、まァ。
「完璧執事がそれを僕の美点だって言ってくれるのなら、大事にするべきかな。それに―――誰と比べるでもない、これは自分の領との戦いなんだから。日々コツコツ……小さな世界で最善を尽くせ、ってね?」
「ほっほ。そしていずれは―――夢の介護生活、ですな?」
「はっはっはっは―――」
………。
………。なんて?




