番外編 少年の気掛かり
メインエントランス、そして待合室へと足を踏み入れるまま、病院の案内受付へ向かう事もなく前を素通りする影。
それを見かけたとて、まるで気に掛ける事無く業務を行う看護師たち。
影……少年は向かう。
白一色に統一され、規定値の定められた照明が照らす通路を抜け、階段を上り……、歩き。
やがて止まる扉の前。
………。
音を消してゆっくりと開かれた一室の中には、ただ一人の少女が存在していた。
彼女はカーテンの開かれた外の世界へと、ただ真っ直ぐに目を向けていた。
膝掛けの上に小さな両手を乗せ、ベッドの上で起き上がり―――何処までも青空の広がる外に……木に、色彩に視線を向け。
やがて、天井を見上げる。
「~~♪」
高校生ほどの少年より更に一定の幼さが残る少女は、どうやら鼻歌を奏でている様子で。
それは少年が教えた歌であり、彼が外の世界で身に着け持ち込んだ情報だ。
―――音なく開かれた扉も、閉じられるときには若干の軋みを知らせ。
丁度歌が途切れた瞬間と重なり、びっくりしたように扉へと目を向けた少女は、やがて花の咲いたような笑みを見せる。
「ぁ―――、お兄さん……!」
「やぁ」
少女は、およそ小学校高学年、或いは中学生ほどの年齢だろうか。
頭には医療用帽子を被り、肌はあまりに白い。
小さく振られた手すら、腕は消え入りそうなほどに細く、指というのなら猶更だ。
生まれつき身体が弱く、立つ事すらもままならないのだと少年は聞かされていた。
少女はずっとここにいるのだ。
大きなベッドと、机と、椅子……。
或いはソファーや敷布、シャワールームもトイレも、洗面台も。
只の病室としてはあまりに豪華な、大きな個室。
しかし、それだけが少女の世界だとすれば―――彼女に与えられた世界というのはあまりに小さかった。
だからこそ、外を知る彼は彼女に会いに来るのだ。
どんな時でも、必ず会いに行くのだ。
「一週間ぶりだね。ゴメン、こっちもちょっとかなり色々あってさ。……えーと、元気してた?」
「元気だよ! お兄さんは?」
「そりゃあもう大元気さ。色々やったよ? 泳いで溺れて転がり落ちて……」
「……。何で?」
言葉を交わしつつ、彼は少女が上体を起こすベッドにゆっくりと歩みより。
桃や洋ナシ……様々な果実の盛られた籠、高く積まれた本……それ等が置かれた棚の真下、そこに収納されていた椅子を引くと、ふぅと腰を下ろす。
彼にとっての指定席であり、物語を紡ぐ吟遊詩人の舞台だ。
「読了済みコーナーは……、全部か。やっぱりこの前持ってきたのは全部読んじゃったみたいだね。ま、良いや―――ほら、また新しい本を持ってきたんだ」
「ホントっ!? やった!」
彼の唯一の手持ち。
持ち込んだ手提げの中に収められていたのは、文庫本ほどの大きさの書籍が幾つか。
そして、聖書たる漫画が幾つか。
どれも最近、学校で流行っているらしい青少年向けの物語ばかりだ。
「わぁぁ……! ―――あれ? うぅ……」
「え、急にテンション下がるじゃん」
「―――……。この前の続き物じゃないの?」
「……。ほ、ほら? こういうのって書くのにも時間かかるし、紙刷るのにも時間かかるしさ? 次の巻ってそんなに早く出せるものじゃないんだ。むしろ、新しい物語読めるって幸せな事だと思うんだけどなぁー?」
「じょうほうがちらかる」
「―――おませさんめ、分かったような口を……。じゃあ、読まない?」
「よむーー!」
「はいはい、仰せのままにお姫様」
持ち込みが以前の続編でない事に消沈していた筈が、今にけろりと態度を変える少女。
子供の興味というのは非常に流動的である事を改めて認識しつつ、彼は広げた本の中で手近なものを取り上げてみる。
「学園物もSFも良いけど、ファンタジーこそが至高なんだよぁ、やっぱ。異世界系なら言うこと無しだ!」
「げんじつとうひ?」
「うぐっ。―――ふん、わっかんないかぁ。この、心躍る冒険譚。心優しき勇者の戦いとか、お貴族様とお嫁さんの幸せ物語とか……、っと」
はやく見たいと逸る少女に対し、勿体ぶるように自分だけが見えるようページをぱらぱらと捲る。
そんな中でふと彼の目に留まったページには男女間の、やや刺激の強いシーンが映り。
「―――ベッドシーン……見逃してたな。R15 だ、これは。ちょっと刺激が強いからこれやっぱなし」
「えーー」
「ダメでーす」
「べっどしーん! 同じ!」
「不正解、君とは意味が違いますぅーー! 父兄による検閲ね、これ。男女のあれこれはお姫様には早いの」
「ぶー、ぶー!」
……一体何処で誰にそんな野次を教えられ―――自分か、と。
苦く笑う少年は、やがて「はて」と首をかしげて。
「今更だけどさ。勇者―――とか、お嫁さん、とか。その年じゃわからないよね?」
「分かるもん!」
「だって学校では習わないよ? 通信授業でも」
「……ぅ。じゃ、じゃあ……お兄さんは勇者って何だとおもう? 知ってる私が確認してあげるから、お兄さんが答えてみて?」
「……………、ふ」
賢いというより小賢しい。
が、実際話に聞く限りでは少女は本当に頭のいい子らしく。
身体的な都合で学校へは通えないが、発達した現代社会の恩恵である通信制の学院においては、数多いる同年代の中で常にトップに座しているのだと。
「いや、その頭の良さと回転スキルのツリーを小賢しさに振られても……」
「おにいさーん? 時間切れするよー? さーん、にーぃ」
「……っと」
……。
しかし。
実際に考え始めて、彼も首を捻る。
確かに。
「今更ながら。勇者って……何なんだろ」
弱きを助け、強きを挫く。
邪悪な皇帝やら、竜やら、魔王とか呼ばれる強大な敵を倒す使命を与えられ、多くの人の希望を背負って戦う―――、そんな感じ。
最初は弱いけど、誰よりも早く、そして強く成長し、数多の試練や困難を次々と乗り越えていく。
やがては世界に平和を齎し、助けたお姫さまとかをお嫁さんにして幸せにめでたしめでたし……。
「って感じだよね、多分」
「定義じゃない」
「―――へ?」
「それは勇者とは何かの直接的答えにはなってないよ? お兄さん」
「なんだこの子。……まぁ、結局幸せにめでたしめでたししたとしても、多分お姫様辺りが裏ボスになるんだろうけどね、時が過ぎたら」
「どういう事?」
「ウチの家っていうか、世の理だよ。父さんとか、いつも母さんの尻に敷かれて―――えっと、どれだけ強い勇者も、結局お姫様の権力には敵わない……みたいな感じ?」
尻に敷かれる。
よく使う言葉でも、そんな言葉を使った日にはまた好奇心旺盛な女の子が意味を知りたがると。
これまた説明するのが難しいと、彼は言葉を変え。
「あ、そうだ。結局じゃあさ? 君の考える勇者って何なのさ。至らない僕に教えてよ」
「えーー? 気になるー?」
「気になる気になる、気になり過ぎて夜だけしか眠れない」
「?」
ツッコミすらない。
……。
少女は暫しその言葉の意味を考えていた様子だったが、やがて自信満々というように口を開く。
「ゆうしゃはね? きっと、お兄さんみたいな人!」
「……えぼく?」
「勇気があって、優しくて、怒らなくて、幸せにしてくれる人のことだよ?」
「なるほど?」
或いは、囚われの姫様……外の世界を知らぬ少女を姫と考えれば、そこへ何度も外からやってくる男はそう見えるのだろうか……と。
状況を考え、確かにと彼は一つの納得を覚え……しかし。
「それで、私も誰かの勇者になるの!」
「―――どゆこと?」
続く言葉に、彼はまた困惑した。
「勇者に助けられた人が、また勇者になるんだよ。誰かにとってのお姫様が、誰かにとっての勇者になるの! そうやって、皆が勇者になるの!」
………。
お姫様が、勇者に。
恐らく、助けられたものが……という意味だったのだろう。
しかし、話の流れで言うとソレは男であろうと女であろうと皆がお姫様になってしまうらしく。
メス堕ち―――?
少年の脳裏には意図せぬ情報が流れ。
「……ふ―――ふふふっ。あはははっ」
「……何で笑うの?」
「い、いや……あははっ。自由な発想だなーって。……うん。確かにそうだね。皆が勇者になれば、確かに最強だ。魔王涙目」
「うん! ……あ。けど、勇者はお嫁さんには勝てないんだよね?」
「じゃあ、勇者でお嫁さんなら、最強って事だよね!?」
「……………」
「それ、お嫁さんの相手が何もする事なくなるやつじゃない?」
「?」
「いや、だからお嫁さんが強すぎて相手の男が不憫―――……、ふふっ」
ポカンと口を開けて首を傾げる少女を見て、少年はまた苦笑する。
やっぱりこの子は面白い、と。
頭の回転が速いのに、時にあまりに自由な発想で驚かされ―――。
「君みたいな子が、世に出たら凄い大人物になったりするんだろうね、きっと」
「うん!」
「……自信もおありのようで」
「私頑張れるよ! 皆の勇者になる……! だって、絶対お兄さんより優秀な成績取れるもん!」
「えぇ……」
そもそもの、年齢差。
彼の学力レベルと少女のそれでは、そもそも立っている土俵が違うのだと。
一瞬だけ、彼はそう諭す事も考えたが。
「って言っても、多分本当にすぐ抜かれちゃうんだろうなぁ……、ガッデム」
「がっでむ!」
………。
そしてどうやら、彼はまた一つ純朴な少女へと最高の英才教育を施してしまったらしく。
今迄の全てのことも踏まえ、もしこの場に彼女の両親が聞いたら、果たして少年はどんな追及を受けるか、と。
「さ、さーてと」
諸々が怖くなった彼は、少女が言う通りファンタジーへと現実逃避を行う事を決定した。
「じゃあ、そろそろ始めようか?」
「読み聞かせ!」
「いいとも。なら、最初は召喚された勇者たち四人の冒険譚―――いや。逆張りで、勇者じゃなくて敵方の話とかどう? 最強魔王さまと、それに仕える暗黒騎士さまの物語で……」
……彼は、ゆっくりと物語を紡ぐ。
今この世界にいるのは、己と彼女だけ。
互いの言葉だけが全てであり、繋がりなのだと。
目を輝かせ、物語の演出全てに新鮮な反応を示す少女へと、彼は何度も物語を聞かせるのだ。
◇
「ね……、お兄さん」
「お兄さん。私……、頑張るよ? だから……」
「―――うん。応援してる。絶対に大丈夫だから」
「怖くなったら、思い出すんだ。自分は、主役なんだって。誰にも負けない心を持つ、勇者なんだって」
「……うん。皆、待ってるから」
「そうだ。沢山の人が君を待ってる。壁の向こうで、君が来てくれるのを待ってるんだ。……なに、頭の中で思い浮かべてるうちに、全部終わってるさ」
………。
彼女の病室を後にして。
また受付を横切りながら、彼は病院の硬く、冷たく、白い天井を見上げる。
その表情は優れない。
少年の気掛かりは、一つだけだ。
「―――手術、かぁ……」
そう、手術。
勿論少年―――ではなく。
先の、彼女。
あの子が、もう間もなく大きな手術を受けるという話を聞いているのだ。
「……………代われたらな。代わりたいな。僕が……」
先を言いかけて、言葉を飲み込む。
成功率はそう高くない……生きるか死ぬかを掛けた、大手術。
だが、成功さえしてくれれば。
あの元気で……確かな芯を持ち、心優しい女の子は。
彼女はきっと病院を退院し、それ迄は病室で胸を躍らせるだけだった無限の世界へ。
希望も、夢も、全てがある世界へと踏み出せる。
無力な殻に押し込まれていた勇者が、己の全てを武器に戦える場所へと羽ばたいていけるのだ。
「……あとちょっと。それまで、だね」
そう、なればこそ。
それ迄は、少しでも傍にいてあげなければならない。
彼女が退院してしまえば、縁は切れる。
少年は、元より彼女の名前も、住んでいた場所も……、両親の事さえも知らない身だ。
縁は、それまで。
だからこそ、それ迄は……後ちょっとだけ、自分が。
彼女の勇者である自分が……それ迄は一緒にいて、励ましてあげなければならない。




