第八話 それぞれの思惑
陽が落ちた街を煌々とした灯火が彩る夕間暮れ。
海に突き出た半島に聳え立つタウロ族の居城の一角では、現王の後継者たる王子メトゥスと、如何にも怪しげな雰囲気を纏った男達との会談が密やかに執り行われていた。
高級調度品が設えられた豪奢な部屋に集っているのは、この部屋の主たるメトゥス王子、そして、密猟団の首領エーヌ・クヴァールと政庁府のボスであるルグレ・オディム総督の三人だ。
「今回の取引も無事に済んで何よりですな。然も、商品は皆揃って見目麗しい美妃ばかり……それにしても、覇権を掴む為とはいえ、あの様に美しい妻達を惜しげもなく手放されるメトゥス様の心境は如何ばかりか……心中御察し申し上げますぞ」
その口元に下卑た笑みを浮かべるクヴァールが燥げば、その追従に頷くオディムも最大氏族の次期後継者を褒めそやす。
「いずれは他の氏族を屈服させて魚人族の頂点に立つ……その覇業を成せる御方はメトゥス様以外には考えられませぬ。初代英雄にならんとする貴方様ならば、その周囲に侍らせる者達も一流であるべきでしょう」
お気に入りの酒と耳障りの良い追従に酔ったからか、その瞳に淡い嗜虐の感情を滲ませたメトゥスは、普段の王族然とした物言いからは想像もできない醜悪な言葉を口にする。
「どんなに美しくとも抱き飽きれば価値はない。不用品はさっさと処分しなければ、新しい妃を迎えられぬからな……まあ、中古品とはいえ需要があるのならば、有効に活用するのも王族たる余の務めだろう」
「全く以てその通りですな。メトゥス様の慧眼と実行力には我々も唯々敬服するばかりです。希少な魚人種の美しい女性ともなれば、言い値で欲しいと宣うお大尽は星の数ほどもおりますからな。得られる財貨も天文学的なものになりましょう」
「おまけに我が政庁府のサポートがある限り、クヴァール殿の船を密入国させるなど朝飯前……銀河連合評議会やGPOに察知される懸念はありません」
賢明な読者の皆様ならば既に察しておられるかとは思うが、この三人こそが今回の事件の首謀者であり、それぞれの思惑が一致した結果、協力して人身売買を行い巨万の富を手にしているという次第だった。
自身の後宮に囲っている愛妾らの中から、既に興味を失っている者達を選別してクヴァール率いる密猟団へ払い下げるのがメトゥスの役割だ。
対外的には穏健派として周知されている彼だが、その胸中には他の二つの氏族を屈服させて、自らが魚人族の頂点に立ちたいという強烈な野心がある。
(その為にも軍事力の整備は急務だ。他の氏族が前時代的な武器に頼っているうちに高火力の兵器を大量に入手しなければならない……それには金が要る。まだまだ多くの金が必要なのだ!)
当然だが、メトゥスから引き渡された愛妾とその御付きの侍女らを売り捌くのはクヴァールの役目だ。
元々禁制品の密売を生業とする中堅どころの密輸ギルドのボスだったが、闇賭博ビジネスで知己を得たオディムの仲介でメトゥスに取り入るや、魚人売買を一手に引き受けて組織を急成長させ、今やビスティス星系の裏社会では名の知れた存在となっている。
しかし、その性格は極めて自己中心的であり、面従腹背など当たり前、正直者は馬鹿を見るが信条の強かな男でもあった。
(ふんっ! 相変わらずチョロい王子様だ。本来ならば魚人売買で得られる代金の七割が王子、残り三割が俺とオディムの取り分との契約だが、実際に王子に支払われる金は四割に過ぎない……然も、適当に中古の武器を上納すれば誤魔化せるのだから、笑いが止まらないとは正にこの事だな)
金銭への執着が強いクヴァールとは対照的に、オディムの目的はビスティス星系に於ける母国の覇権拡大以外にはない。
しかし、複数の国家が共同で管理している政庁府内での権力闘争は熾烈を極めており、総督を務めているオディムの母国が必ずしも優位な立場を占有しているとは言い難いのが実情だ。
当然ながら、他国の勢力はタウロ族以外の氏族と誼を通じており、自国の影響力を拡大させる機会を虎視眈々と狙っている。
それらのライバルを蹴落とすには、タウロ族次期後継者メトゥスの野望を後押しして他の氏族の権勢を衰えさせればいい……。
そんな母国の思惑を実現させるのが、オディムに与えられた使命なのである。
(タウロ族主流派はメトゥスの父である王を含めて穏健派で占められている。最悪の場合は武力行使によって障害になる者達を排除する強硬策も視野に入れなければならないだろう……その為には戦略級潜水艦などの機動戦力が必要だ)
オディムが必要としているのは魚人密売によって得られる金銭ではなく、美しい魚人女性そのものであり、それらを自国の政財界の有力者らを篭絡する為の道具として欲しているのだ。
実際にその効果は絶大で、議会の重鎮や財閥企業の領袖達から強硬派への支持を取り付けるのと同時に、資金や武器調達などの面で協力するとの確約を得るに至っている。
それぞれの思惑があるにせよ現時点で三人の足並みは揃っており、渇望して已まない未来を掴む日も遠くはないと、彼らは信じて疑ってもいなかった。
だが、破滅を告げる足音は、確かに彼らのすぐ傍まで忍び寄っていたのである。
※※※
「なんだ? 明日の朝まで連絡は寄こすなと言っておいただろうが!」
鳴る筈のないコール音を響かせる情報端末を手にしたクヴァールが不機嫌な声を上げたが、その顔は直ぐに困惑したものへと変わる。
「メトゥス様、今回の商品を輸送船へ積み替えている最中にアクシデントが起こったらしく、どうしたものかと部下から連絡が入っているのですが……」
「アクシデント? 一体全体なにがあったのだ?」
「どうやら現場を魚人の小娘に見られたらしく……いいえ、幸いにも直ぐに気づいた部下達によって捕縛したので、秘密が漏れる心配はありませんが……」
あってはならない失態に瞳を眇めて不満を露にするメトゥス。
その剣呑な雰囲気に恐れをなしたクヴァールは慌てて言い訳をするしかなかったが、実務派のオディムは責任云々よりも、事実確認を優先させて問うた。
「あんな何もない辺鄙な海域で、その小娘は何をしていたのだ?」
「そ、それが、ひどく強情な跳ねっ返りみたいで、脅し賺しても一言も喋らないようでして……」
幸いにも逃亡を許さなかったのだから密売行為が露見する心配はないが、だからといって都合の悪い目撃者を放置できないのも事実だ。
だが、始末したとしても、何かしらの不測の事態が重なって死体が発見されでもしたら厄介だし、それ以上に、他の氏族に疑念を懐かせる様な事態になるのだけは避けたいというのが、メトゥスの偽らざる本音だった。
「ふんっ! ならば始末するしかあるまいよ。今はまだ些細な疑いを持たれる事も許されない時だ。懸念材料は排除する……それが道理であろう?」
「はっ! それでは、早速……」
「待て、一応その娘の映像を見せよ。我がタウロ族傘下の者なら顔見知りかもしれぬからな。後で面倒な事態になるのは避けたい……」
クヴァールから見せられた情報端末に映る魚人娘の映像に吃驚したメトゥスは、思わず椅子から立ち上がって呻き声を漏らしてしまう。
「この娘は……新しいオモチャとして後宮へ迎える予定だったアリエーテ族長の娘ラケシスではないか! そうか……あの場所から一番近いのは、奴らが生活の拠点にしている島だったな……」
厄介な事になったと臍を噛むメトゥス。
(唯の市井の小娘ならば人知れず始末するのは容易いが、我の後宮入りが決まっているラケシスの事は既に知れ渡っている……明確な理由もなく側妃が行方不明になったとなれば、勘繰る輩も出てこよう)
結局、迷いに迷ったメトゥスは自らの手で秘かに始末をつけた方が良いと判断し、クヴァールへ命令するのだった。
「その娘を海皇島へ連行する様に手下共へ伝えよ! 我自ら裁きを下す!」
◇◆◇◆◇
「そうだよッ! やっぱり思った通りだった。保護された魚人達はタウロ族王子の側妃と侍女達だったんだ! 行方不明者の噂話すらなかったのも当然だぜ」
王子の側妃達が暮らす後宮の場所を衛士から聞き出したティグルは、海皇島から北へ三十分ほど飛んだ場所に在る離島へと潜入していた。
結果的に彼の推察は正鵠を射ており、本来ならば八十人近い愛妾が居る筈の館で確認できたのは、僅か二十人にも満たない妃達の姿だった。
周囲を切り立った絶壁に囲まれた島には唯一整備された入江以外には出入りする場所はなく、人の背丈の三倍は有ろうかという鉄柵に囲まれた豪勢な王城は、見ようによっては監獄ではないかとの錯覚さえ覚えてしまう。
然も、ティグルが睨んだ通り、入江の裏側に位置する場所には岩肌に口を開けた艦船の出入り口があり、その奥の洞窟には、小さいながらも港湾機能を備えた設備もあった。
この島へ直接乗り入れる事が可能だったのだから、海皇島で密猟団たちの足跡が確認できなかったのも当然だと、ティグルは舌を弾く。
邸内の探索に時間を取られたものの、密猟団の痕跡は確認できたし、これまでの取引の詳細を記録した情報データーを入手できたのは幸運だったと言える。
三氏族後継者の離宮に土足で踏み込む者など居る筈がないとの奢りなのか警備体制は極めて甘く、他人事ながら心配になってしまうレベルだ。
しかし、これで今回の事件にタウロ族の王子が関わっているのは疑いようもなく、用済みとばかりに売り払われた側妃らと同じ末路をラケシスも辿るのかと思えば、ティグルは無性に腹立たしくて仕方がなかった。
『この短期間で良く調べてくれたな。入手したデーターは大切に保管しておいてくれ。三氏族の後継者が相手なら、証拠は幾らあっても邪魔にはならないからね』
「分かったよ、パパさん。でもさぁ、密輸船が摘発された事を知られれば、密猟団の連中や取引相手が逃げちまうんじゃないか?」
ティグルの懸念は強ち杞憂だとは言えない。
GPOによる摘発を恐れて他の星系へ逃亡する可能性は高いし、顧客らも自らの身の安全を図る為ならば、手に入れた魚人達を処分するのを躊躇わないだろう。
悪党共の行動パターンなど大なり小なり同じであり、それを熟知しているからこその懸念だったのだが、その点でも養父に抜かりはなかった。
『心配するな……拿捕した密輸船の通信コードを解析して欺瞞情報を流している。今の状況を連中は把握していない筈だから油断しきっているだろうさ。同時に船のデーターベースから顧客リストも入手したから、該当する全ての者達を逮捕するべくGPOが動いている。今日明日のうちには一斉摘発に踏み切る筈だよ』
既に万全の対策が成されていると知ったティグルは、ほっと胸を撫で下ろす。
「そうか、パパさんが言うのなら安心だぜ……それじゃあ、御役御免の俺は好きにさせて貰うぜ!」
『おいおい、ティグル。腹立たしい気持ちは分かるが、後始末は我々に任せておきなさい。間もなく私もビスティス星系に到着するから……』
「用があるのは悪党共じゃないよ! あの小生意気で強情っぱりな人魚姫に意見してやらなきゃならねぇんだよ!」
『はぁ? 一体全体なんの、おいっ! ティグル! ちゃんと説──』
状況を説明する時間さえも惜しい。
何とも形容し難い焦燥感に苛立つティグルは一方的に通信を切り、再び竜形態へと変化するや、まだ夜が明けぬ漆黒の空へと飛び立ったのである。
一刻も早くアリエーテ族の島へ行き、この婚姻をやめる様にとラケシスを説得する為に……。