第四話 それぞれの葛藤 ①
蟠りが解消すれば、ティグルもラケシスも若くて年齢が近いだけに打ち解けるのも早かった。
現在ふたりが居るのはアリエーテ族が生活の拠点としている小島だ。
奇跡的に軽傷で済んだとはいえ治療の必要があると判断したラケシスは、秘密の隠れ家ではなく、医療施設もある里へとティグルを運んだのである。
些細な行き違いから険悪な雰囲気にもなったが、誤解さえ解ければ、何時までも無意味な諍いを続けるほど二人は子供ではなかった。
「へえ、君たち魚人族の伝承は俺も詳しく調べたつもりだったが、改めて当事者から聞かされると知らない事の方が多くて吃驚だ」
「それは仕方がないわよ。虚実織り交ぜて様々な伝承があるから、私でも知らない事は多いしね。でも、私は始祖様のロマンスが一番好き! 年頃の女の子なら誰だってそうじゃないかしら!」
瞳をキラキラさせて声を弾ませるラケシスが語った伝承とは一族の起源に纏わるものであり、嘗て水の精霊と人間が愛し合って生まれた子供が、始祖として魚人族の礎を築いたという創世の物語だった。
このお話には諸説あるが、数千年もの大昔に出逢って恋に落ちた精霊と人間との間に生まれた三人の子供達が、現在の三氏族の開祖として魚人族隆盛の元になったという点は共通しており、これは創作ではなく真実として広く周知されている。
また、特筆すべきなのは、精霊の加護を得た彼らが長命種へと進化し、数百年もの長き時を生きる事が可能になったという点だろう。
そして、その性質は子孫らにも連綿と受け継がれており、魚人は総じて長寿だと他の種族からも認識されている。
ただ、長命種であるが故の宿命か、ひとりの魚人女性が生む子供の数は少なく、その長い生涯でも精々二人か三人というのが一般的だった。
「ねえ! 今度はあなたの番よ。冒険者を気取るのならば面白い体験の一つや二つはあるでしょう? 助けてあげた御礼と夕食の御代替わりに何か披露しなさいよ」
一頻り語り終えて自尊心が満たされたからか、挑発的な視線をティグルへと投げ掛けるラケシスが恩着せがましい物言いで強請る。
とは言うものの、その馴れ馴れしい態度からは相手を揶揄するような悪意は微塵も感じられず、寧ろ、ティグルは好意的に受け止めていた。
何といってもラケシスには感謝してもし切れない恩がある。
意識を失って波間を漂っていた所を助けてくれた上に、アリエーテ族が拠点にしているこの島まで運んで手当てしてくれたのは彼女だ。
然も、なけなしの全財産は、海の藻屑となったチャーター機と運命を共にしており、目下のところ文無しのティグルには他に恩返しの手段がないのも事実だから、その程度の事で喜んで貰えるのならば、寧ろ願ったり叶ったりだった。
「まあ、そこまで期待されちゃしょうがない。とっておきの冒険譚を聞かせてやるから、驚いて腰を抜かすなよ?」
「ふんっ! 言ったわねぇ! 本当に凄い話だったら、明日の朝食は大盛りにしてあげるわ」
「おう! その約束忘れるなよ!」
大らかで人懐っこいラケシスに乗せられた感は否めないが、ティグルも話をするのが苦手という訳でもない。
況してや、彼女が族長の娘としての節度や常識を弁えているのは会話からも充分窺えるし、目覚めた時の不躾な対応を償おうとして、殊更に明るく振舞っているのにも好感が持てる。
(へえ、ただのお転婆って訳でもないんだな。だったら、期待に応えなきゃ男じゃないぜ!)
妙なところで調子に乗るのは悪い癖だと姉妹達からは呆れられているが、相手がこの娘ならば、きっと喜んでくれるだろう。
そんな予感に心を弾ませるティグルは、まだ誰にも話していない最新の冒険話を惜しみなく披露し、ラケシスを大いに楽しませたのである。
◇◆◇◆◇
(いいな……すごく羨ましい……)
青い瞳を輝かせながら身振り手振りを交えて語られる冒険譚は、このエレンシアの南洋から一歩も出た事がないラケシスには魅力的すぎるものだった。
環境に適応する為の身体変化が可能な魚人族は陸上での生活も苦にはしないが、主たる生活の場が海洋であるのに変わりはない。
また、過去には人間種の不当な介入による軋轢もあり、他の種族との接点は極力持たない様にして来たという経緯もある。
その様な理由から、魚人族のコミュニティが、この南洋の海域に限定されたのは必然だったのかもしれない。
近隣の海洋には彼らを脅かす巨大海生類も多く生息しているが、精霊の力を濃く継承する三氏族の直系者には守護聖獣を使役する力があり、いざという時は傘下の魚人族を守って生活圏の安寧を維持し、同胞からの揺るがぬ支持を得ていた。
それ故に三氏族の意向は絶対であり、彼らの庇護の下にこそ幸福な人生がある。
そう考えている魚人が全体の大半を占めているのは、種族の成り立ちを鑑みれば至極当然の事だと言えるだろう。
だから、好んで外の世界に出ようなどと考えるモノ好きは滅多にいないのだが、ラケシスはその数少ない変わり者の一人だった。
人間との接触を忌避しながらも、必要な生活物資の入手を欠かす訳にもいかず、三氏族が窓口になる形で複数の人間勢力との交流は続いている。
そんな彼らから齎される外界の情報に興味を懐いたラケシスが、まだ見ぬ世界に恋焦がれて夢想の翼を羽ばたかせたのは必然だったのかもしれない。
しかし、今となっては全てが儚い夢になってしまった。
(外の世界を見たくても……王子の愛人では籠の鳥にしかなれないけどね)
己の置かれている状況を揶揄しても空しくなるばかりだが、そうせざるを得ない理不尽な現実が、ラケシスを雁字搦めにして身動きできなくしているのも事実だ。
幾ら嘆いても詮無い事だと分かってはいるが、なぜ自分か……という思いは確かにある。
(どうして私は魚人として生まれて来たんだろう……いっそ人間だったら……)
そんな負の感情に囚われそうになった瞬間、快活な声で耳朶を叩かれた彼女は、悶々とした思考の底から現実へと引き戻されてしまう。
「どうよ? 充分御期待に副えたと思うけどな。御姫様?」
どこか得意げなその表情が小憎らしいが、ティグルの話に引き込まれたのは確かだし、御両親を含む家族とのやり取りを軽妙な口調で語る様子には好感が持てた。
だが、それを素直に認めるのは癪に思えてしまい、敢えて澄まし顔を取り繕ったラケシスはティグルを揶揄う。
「ふふっ……そうね。及第点を上げてもいいかな。呑気なプータローには務まらない御仕事だというのは分かったし……でも、黙って聞いていれば〝パパさん″とか〝ママさん″とか変な呼び方をして……御両親に失礼じゃないの?」
部族の長である母親を敬愛して已まないラケシスにしてみれば、ティグルの両親への物言いが軽々しいものだと感じたからこその忠告だったのだが……。
「俺は養子だからな。畏まって〝父さん″とか〝母さん″って呼ぶのが気恥ずかしくてさぁ……」
笑顔でそう返されたものの、罪悪感に苛まれたラケシスは慌てて謝罪した。
「ご、ごめんなさい……何も考えずに不躾な事を聞いちゃって……」
だが、当のティグルは笑顔の儘で軽く手を振り〝気にするな″とのジェスチャー。
「あははは。気の廻し過ぎだよ。家族との関係は良好だし、パパさんもママさんも俺の事を応援してくれているからノープロブレムだ。それに、家族が家族である為に血の繋がりの有無なんて関係ない……そうじゃないか?」
その笑顔に魅かれたラケシスは胸にチクチクとした痛みを覚えてしまう。
だが、それは不快なものではなく、寧ろ、微かな気恥ずかしさと心地良さの入り混じった不思議な感覚だった。
(な、なによ……そんな爽やかな笑顔で家族自慢なんかしちゃってさ……)
不覚にも、『ちょっと素敵かも』と思ってしまったのは絶対に秘密だ。
だが、望まぬ婚姻を控えているラケシスにとっては、自由に人生を謳歌しているティグルの姿は眩しすぎた。
だから、胸の中に蟠って彼女を苦しめている想いが、つい口を衝いて出てしまったのかもしれない。
「羨ましいわ……私も、あなたの様に他の星々へ行ってみたかったな……」