最終話 まだ見ぬ未来へ
結局、魚人世界の統一というメトゥスの野望は、GPOの素早い対応もあってか呆気なく水泡に帰し、協力者だった密猟団首魁クヴァールも逮捕され、ビスティス星系で勢力を伸ばしつつあった彼の組織も、苛烈な取り締まりの末に壊滅の憂き目を見たのである。
ただ、売り払われた側妃らの大半は保護されたものの、懸命な捜査にも拘わらず杳として消息の知れない者も複数名おり、今後も継続捜査が必要だとGPO上層部は判断していた。
また、事件発覚により任を解かれた元政庁府総督オディムは本国へ強制送還され、母国の司法の下で厳しい裁きを受ける事になった。
傍目には、近年着々と中央集権体制を強化しつつあるGPOの介入を嫌った辺境小国の悪足搔きだとの見方もあったが、国家の存続すら危うくした愚か者は、自らの手で断罪しなければ銀河連邦内での自国の立場が危うくなる……。
そう考えた為政者らの苦肉の策だったと考える方が正解だろう。
だが、そんな事情があったからか、オディムの末路は悲惨の一言に尽きたと明記しておく。
そして当然の帰結だが〝踏んだり蹴ったり″の目に遭ったのは、他でもない首謀者のメトゥスだ。
混乱の最中で発見された彼は重傷を負っていたが、幸いにも命に関わる程のものではなく、約一か月間の入院治療を経て一応の回復を果たす。
だが、病院から出た彼はすっかり別人となっており、以前の尊大で傲慢な態度は影を潜め、焦点の合わない虚ろな視線を宙に遊ばせては、意味不明の独り言を呟くのみという変わり果てた様相を呈していた。
『ちゃんと手加減はしたぜ。でないとママさんから小言を食らっちまうからな』
というのは犯人の言い分ではあるが、この現状を鑑みるに、その言葉の信憑性は極めて怪しいと考えるべきなのかもしれない。
だが、その点を差し引いても、命を長らえたメトゥスが幸運だったか否かは微妙だと言わざるを得ないだろう。
父王の逆鱗に触れて王位継承権を剥奪されたメトゥスは、その身柄をGPO本部へと移されて厳しい取り調べを受けている真っ最中だ。
何れ司法の場へと舞台を移す事になるだろうが、情状酌量の余地など微塵もない上に、一向に根絶されない人身売買への警告の意味も兼ねて重い量刑が科せられるのは確実な情勢だった。
だが、己が欲望の赴く儘に他者を虐げて来たメトゥスには当然下されるべき報いであり、まさに自業自得だと言う他はなかったのである。
※※※
首謀者が捕縛された事で事件は無事解決したと思われたが、今回の件が魚人族へ与えた影響は想像以上に大きく、現在タウロ族以外の二つの氏族が勢力を拡大せんとして争いだすという想定外の事態が勃発していた。
タウロ族傘下の各部族を切り崩し、己の勢力圏に取り込もうとするぐらいならばまだ可愛いもので、中には恫喝まがいの手段を駆使して乱暴な引き抜きを仕掛ける輩も跋扈しており、その混乱はエスカレートする一方で鎮静化の兆しすら見えない状況を呈している。
当然だが、勢力拡大競争が熱を帯びれば流血沙汰が起きるのも必定で、時ならぬ熱狂に魚人世界は混迷の度合いを深めていた。
しかし、氏族の守護聖獣である海龍の庇護を失ったタウロ王には有効な対抗策はなく、先人達が築き上げて来た威勢が凋落していく様を指を咥えて傍観するしかなかったのである。
では、そのタウロ族の傘下に与していたアリエーテ族は如何だったかというと、今回の件では被害者だったにも拘わらず、他の部族から爪弾き同然の扱いを受ける羽目に陥っていた。
声高に不満を漏らしているのは、アリエーテ族同様にタウロ族の庇護下にあった同胞たちだが、今回の争奪戦の渦中にあっても、どの勢力からも見向きもされない弱者ばかりだから始末に悪い。
『余計な真似をしゃがって! 族長の娘が大人しく王子様の寵愛を受けていれば、俺達まで貧乏くじを引かされる事はなかったのによ!』
『海神様にまで見放されたのも、全部あのラケシスって娘の所為じゃねえか?』
『タウロ族はもう御終いだッ! この儘では氏族の称号も失うのは確実だ!』
『それじゃあ、俺達は如何なるんだ!? この儘じゃぁ一生浮かばれねえ!』
所詮彼らの言い分は〝我が身可愛さ″の身勝手なものでしかなく、タウロ族という沈みゆく船以外には縋る場所もない者達が、その鬱憤を他者へと転化しているに過ぎない。
しかし、昨日までは仲間だと信じていた者達からの誹謗中傷は、アリエーテ族の者達の心に傷を残すには充分なものだった。
では、他の二つの氏族の反応はどうだったかというと、タウロ族零落の切っ掛けを作ってくれた殊勲者とはいえ、得体の知れない半竜人や胡散臭い人間との繋がりを持ったアリエーテ族への警戒心は強く、安易に受け入れる事はできないとの声も根強いのが実情だ。
また、人間らの介入を許して部族間の結束を乱されては敵わない……。
そんな思惑から積極的に自陣営へ引き込む事は避け、専ら無視する事で自然淘汰を促す……そんな消極的な意見が大勢を占めたのである。
残酷ではあるが、双方の氏族にとっても魚人族の覇権が懸かった正念場であり、そんな中で厄介者でしかない小部族を顧みる余裕はないというのが、彼らの偽らざる本音なのだ。
つまり、魚人世界の中でアリエーテ族は孤立を余儀なくされており、存亡の危機に直面していると言っても過言ではない瀬戸際に立たされていた。
今の状況が続けばこの世界に彼らの居場所はなくなるだろうし、そうなれば更に厳しい環境が予想される辺境の海域への移住という悪夢が現実味を帯びて来る。
そんな絶望的な未来を回避するべく族長のレイナや長老たちは検討を重ねるが、疫病神扱いの彼らに救いの手を差し伸べてくれる同胞が皆無という状況では、有効な対策など有ろう筈もない。
だが、そんなアリエーテ族へ別の道を提案したのは、他ならぬ白銀達也だった。
『今回の事件で皆様が被った苦境には心から御同情申し上げるしかありません……あの愚かな犯罪者達と同じ人種の私がどの口を下げて……そう憤慨なさるかもしれませんが、この場に留まった所で未来への展望は開けないのではありませんか? ならば、一族の命脈を護るためにも他星への移住を考えてみては如何でしょう? 幸いにも私が暮らしている星は広く移民を受け入れております。皆様が御決心なされるのであれば、政府も支援は惜しまないと思いますよ』
この提案に難色を示す者は少なくはなかったが、ラケシスが母親のレイナを説得した事で風向きが変わった。
郷愁の念は断ち難いものがあるが、この地に留まった所で過酷な現実が待っているだけなのは誰もが分かっており、最終的には島で暮らしていた二百名全員が移住を受け入れたのである。
だが、既に島を離れていた者達はこの決定に反発し、積極的に他部族の傘下へと身を寄せて自らの未来を勝ち得んとする者が続出した。
新天地に移住したからといっても、海の物とも山の物ともつかない場所ならば、その先に明確な展望が開ける訳ではない……。
その彼らの言い分は至極真っ当なものであり、己の決断を無理強いはできないと判断した族長のレイナは、一族の分裂を容認するという苦渋の決断を下すしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「どうだ、綺麗な景色だろう? 一年の中で今が一番良い季節なんだぜ」
得意げなティグルの声にラケシスも感嘆の吐息を漏らさざるを得ない。
何処までも青い大空と大海の狭間にある淡紅色の風景。
目にも鮮やかな色彩に満たされた空間が岬の突端へと続く道を彩っている景色は圧巻であり、人魚姫は一瞬で心を奪われてしまう。
「本当に綺麗……こんな素敵な場所があるなんて……まるで夢の世界ね」
ふたりが見上げている視線の先にあるのは満開の桜並木だ。
季節は春の盛り、青く澄み切った大海から吹き抜けて来る優しい風に乗って舞う花弁は、まるで歓迎するかの様にふたりの身体を撫でていく。
その幻想的な体験に酔いしれるラケシスは、この星へ来て本当に良かったと思わずにはいられなかった。
※※※
アリエーテ族が移住したのは銀河中心域アルカディーナ星系第四惑星セレーネであり、全ての種の共生を国是に掲げるアマテラス共生共和国の首都としても知られている惑星だった。
建国してまだ十年という月日が経過したばかりの若い国家だが、銀河連合評議会副議長も兼務する白銀クレア大統領の下で確かな繁栄を築きつつあり、その寛容な移民政策の効果もあり、特に亜人と呼ばれる獣人の受入数は増加傾向にある。
尤も、亜人に対する偏見が根強い人間種の移民者は微少なのが現実で、全人口に占める割合は亜人種七割に対して人間種三割という状況に留まっていた。
そんな事情を鑑みれば、セレーネはアリエーテ族にとって有益な移住先だった。
母星の自然環境を維持する為に政府は惑星上の開発を厳しく制限しており、惑星表面の大半を占める海洋も例外ではない。
それ故に魚人族が生活基盤を築くのに適切な海域は数多とあったのだが、政府が彼らへ用意したのは、首都バラディースの沖合百㎞に浮かぶ無人島群だった。
なぜならば、そこは、未だに継続しているマスメディアからの取材合戦を避ける目的で政府から白銀達也へと贈与された場所であり、アマテラス政府の許可なくば、何人たりとも立ち入りが許されない特別区だったからだ。
また、白銀家の邸宅がある島以外にも環境の良い島は多く、第一陣として来星してきたアリエーテ族は元より、今後増えるかもしれない魚人族の移民受け入れにも充分耐えられるだけのキャパシティがあったのも決定の一因となっていた。
ただ、国家国民にとっては神にも等しいのが白銀達也という存在だ。
その周囲に新参の移住者がコミュニティを形成する事に不安を訴える声が一部の政府関係者や有識者から出たのだが……。
『今は達也さん以外には誰も住んでいないし……週末に家族が揃うだけでは寂しいじゃない。だから御近所様が増えれば、私もとても嬉しいわ』
レイナと会談した後の記者会見で、クレアが述べた一言でアリエーテ族の移住先は決定したのである。
そして、各種手続きに忙殺されている一族を首都に残したティグルとラケシスは、一足先に白銀家の本邸宅がある通称〝春島″へとやって来たのだ。
そして、ティグルが真っ先にラケシスを連れて行ったのが、島の西端にある桜が咲き誇る場所だった。
※※※
「夢じゃないさ……これからも春が来る度に何度でもお目に掛かれるぜ」
「うふっ……それはふたりで一緒にって意味かしら?」
何かを催促するかの様なラケシスの問いには聞こえないフリをするティグル。
勿論、相手が何を期待しているのかは分かっているが、未だに照れ臭くて背中がムズムズする感覚に慣れずにいる為か、つい素っ気ない態度をとってしまうのだ。
すると、途端に頬を膨らませた人魚姫は眉根を寄せて恋人を睨むや、拗ねた様な物言いで不満を口にする。
「あなたってさぁ、そーゆうハッキリしない所がヘタレだよね?」
「ヘ、ヘタレとか言うなよ! お、男はなぁ、そういう事を軽々しく口にするものじゃないんだよ」
慌てて弁解するが、赤くなった顔を見ればその言葉に説得力がないのは明白だ。
なにせ恋愛など初体験のティグルにとっては、女性への接し方など皆目見当もつかないというのが正直な所なのだから、この初心な反応も仕方がないだろう。
況してや、近日中にはラケシスの紹介を兼ねた家族パーティの開催が決定しており、『ティグルがお嫁さんを連れて来たわよ』というクレアのとんでもないメールを受けた姉や弟妹達から『週末には必ず帰宅する』との返信も来ている。
その席で祝福と言う名の冷やかしを受けるのは確実なのに、更にある事ない事を吹聴されては堪らないという思いもあった。
だが、一方でラケシスも簡単には譲らない。
「でもさ、〝愛している″って言葉……一度も貰えない女の子も可哀そうだとは思わない? ティグル」
「え? い、言っただろう……い、一度ぐらいは……」
「聞いてなぁ~~~い! ドサクサ紛れに言われた〝惚れた″の一言だけね」
そう責められれば、ティグルとしても虚勢を張り続ける訳にもいかなかった。
彼女に好意を懐いた理由は、今でも上手く言葉にはできない。
だが、そんな事よりも大切な想いがあるのだ。
それは……。
「俺はさ……パパさんやママさん、そして家族の誰よりも長い時間を生きていかなきゃならないんだ……いずれ別れの日が来るのを分かっていながら、敢えて考えない様にしていた……やはり、怖かったんだと思う。その時に自分が如何なっちまうのか想像もしたくなかったから」
「ティグル……」
「でも、俺はラケシスに出逢えた……そして、お前と一緒に生きていけたら良いなって……心の底からそう思った。俺には君が必要なんだ」
不器用過ぎる……ラケシスは胸の中で溜め息を零す。
もっと他に気の利いた言い方があるだろうに……そう思うのだが……。
(まぁ、これがティグルだよね。でも、だからこそ、私がしっかりしなきゃ!)
「つまりぃ~~。私が長生きだから惚れたと?」
「ばっ、馬鹿! そんなんじゃねえよ! お、俺は俺なりに……その……」
「俺なりに何なのよ? 私は寂しさを紛らわせる為の御人形さんなんて御免よ?」
こういう展開になれば、女性の方が有利なのは自明の理だ。
その心情を慮りながらも、自分の思う様に相手を手玉に取るなど、逆立ちしたって男は女には敵わないのだから。
だから、そのしかめっ面を真っ赤に染めたティグルは、ラケシスの耳元でボソリと呟くしかなかったのである。
「あ……愛している……偽りのない俺の今の気持ちだ」
「ふふっ。少々物足らないけれど、今はこれで我慢しておこうかしら?」
返って来たその物言いに焦ったティグルだが、何かを言うよりも早くラケシスに抱き締められてしまい、彼女の口から零れた柔らかい言葉に胸を打たれてしまう。
「ずっと一緒だよ。私はあなたを一人ぼっちにはしないわ……何時だってティグルの隣に居る。銀河系のどんな場所にだってついていく……だから、何も恐れる事なんかないのよ。だって、家族の絆は永遠に切れない……そして、私とあなたの絆もね……そうでしょう? 私の守護竜様」
そう言って満面の笑みを浮かべるラケシスをティグルは抱き締める。
そんな恋人たちの始まりの日を、風に舞う花吹雪が祝福するかの様に抱き包むのだった。
※※※
「やれやれ、中々やって来ないと思って迎えに出てみれば、あんな所でいちゃついているなんてね。まぁ、これも若さ故の特権というものかねぇ?」
その呆れ交じりの物言いとは裏腹に相好を崩しっぱなしの夫をクレアは窘める。
「もう! 意地悪を言うんじゃありません。唯でさえ奥手なあの子が意固地な態度をとって、ラケシスさんに愛想尽かしをされたら如何するのですか?」
達也から聞いたラケシスの為人を鑑みれば無用な心配だとは思うが、それでも不安が尽きないのが母親というものなのかもしれない。
すると、そんな愛妻の心情を見透かした達也が弾んだ声を上げた。
「そんな事にはならないさ……あの娘なら大丈夫。俺達に代わってティグルの心に寄り添ってくれる……そう思わないかい?」
「そうね……私達はあの子ほど長くは生きられないわ。だから、親しい家族の死を受け入れなければならないティグルが不憫でならなかった……見送るばかりの人生に耐えられるのかと不安だったわ……でも……」
時として込み上げて来る切なさに何度胸を痛めただろう。
だが、子供は何時までも子供の儘ではいないし、その成長を受け入れるのも親の役割だ。
ならば、もう心配はするまい……達也もクレアもそう決めたのである。
「共に寄り添って生きていける伴侶がいるのならば問題はない……どんなに辛い事に直面しても、支え合う家族が居れば乗り越えていける……俺達はそれを子供達に教えて来たつもりだよ」
「えぇ。きっと大丈夫……そう信じて笑顔で祝福してあげましょう」
「おや? 漸く気付いた様だぞ」
華やいだ夫の声と同時に、こちらへと駆けて来る若い恋人達の姿が目に入る。
新しい家族が増える喜びに破顔するクレアは、軽く手を振りながら歩を踏み出すのだった。
その足取りに躊躇いはない。
なぜならば、まだ見ぬ明日こそが、今日に勝る喜びに満ちたものだと心から信じているからこそ……。
それは、何も特別な想いではない。
この広い銀河系のどんな場所であっても、当たり前に見られる芳春の日の家族の風景なのだから。
END
【追加の御報告です】
令和5年 6月15日、本作品に立て続けにFAを頂戴しましたので、この場で御披露目させて頂きます。
まずは、瑞月風花 様(https://mypage.syosetu.com/651277/)より頂戴いたしました贈り物FAです。
ラストでティグルとラケシスが抱擁を交わしているシーン!
セレーネの大海原と桜吹雪を背景にした素敵なFAなのです!
そして、サカキショーゴ 様(https://mypage.syosetu.com/202374/)から頂戴いたしました贈り物FAです。
これは、ティグルの義姉ユリアのウェディングドレス姿なのです。
本作に頂いた他の方からの感想の遣り取りの中で、私が「この頃にはユリアは結婚して実家を出ています」と書いた一文に反応して下さり、こうして素敵なFAにして頂きました。
愛娘の涙を見た達也も取り乱し、きっと「辛い事があったら帰って来て良いからね!」とか口走ってしまい、クレアから叱られたに違いありません。(笑)
兎にも角にも素敵なFAを描いて下さいました、風花様、サカキ様。
心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました!
~桜華絢爛~
ティグル『最後まで付き合ってくれてありがとぉ──ッ!』
ラケシス『本当に楽しい時間をありがとうございました。できれば、また日雇い提督の世界で御目に掛かれたらと思っています!』
作者より
この拙作に最後まで御付き合い頂き感謝に堪えません。
また、本編の投稿を滞らせるほどの難産でしたが、何とかENDマークを付けられて安堵しております。
叶う事ならば、ブクマ、★ポイントなどで応援して頂けるとありがたいのですが……。
い、いえ、生意気申しました。ゴメンナサイ。(笑)
本編の投稿も再開させますので、そちらの方も宜しくお願いいたします。
この作品を読んで頂いた全ての方へ、どうもありがとうございました。