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第十二話 逆鱗に触れる ④

「おのれえぇッ! 下賤な流れ者風情が大言壮語を吐き散らしおってぇ──ッ! この身の程知らずの小僧も、裏切り者の女も(まと)めて成敗せよぉッ!」


 見ず知らずの他人から大喝されるなどメトゥスにとっては想定外の事態であり、その屈辱が我慢ならず激情に流されてしまったのは、ある意味で当然の帰結だったのかもしれない。

 だが、その不用意な一言が益々相手を嚇怒(かくど)させてしまう事に気付けなかったのは、彼や家臣である衛士らにとっては不幸以外のなにものでもなかった。


「へえ……ラケシスを裏切り者呼ばわりかよ? つくづく見下げ果てた野郎だな」


 口角を吊り上げてそう(うそぶ)くティグルだが、その双眸に笑みはなく瞋恚(しんい)の炎だけが静かに燃えており、身に纏う雰囲気までもがガラリと様相を異にしている。

 それまでの何処(どこ)か飄々とした風情は影を潜め、その不穏な気配を滲ませた(たたず)まいには、ラケシスさえも息を吞むしかなかった。


(どうしちゃったの……まるで別人みたいだよ、ティグル……)


 本当ならば〝逃げて!″と言わなければならない。

 目の前の男を愛しているからこそ、そして愛されたからこそ、巻き添えにしたくはなかった。

 だが、その一言が喉に引っ掛かって出てこないのだ。

 いや、言葉にするのさえ躊躇(ためら)われてしまうと言った方が正解か。


(怒っているだけじゃない……凄い圧力だわ……息苦しいほどの……)


 ラケシスは気付かなかったが、彼女が(いだ)いた漠然とした感覚は絶対的強者に対する畏怖に他ならない。

 この銀河世界に生存する全ての種の中でも自他共に認める最強の捕食者。

 その個体数こそ極々少数でしかないが、彼ら本物の竜種を前にすれば、如何(いか)なる存在も己が身の終焉を覚悟するしかないのだ。

 だが、ティグルを普通の人間だと思い込んでいるラケシスにしてみれば、精強な衛士隊を相手にするなど自殺行為だとしか思えない。


「ティグル……無茶はしないで。やっぱり、あなただけでも……」


 だから、背中へ添えた手に力を込めた彼女は、精一杯の想いを振り絞って懇願したのだが、返って来たのは実に楽し気で呑気なものだった。


「心配するなよ。俺があんな奴らに負ける筈がないだろう? 冒険家が無敵だってことを見せてやる。弱い者イジメは駄目だとママさんから言われちゃいるが、()れた女を護る為なら全然OKさ!」


 そう言って振り向いたティグルの顔には悲壮感などは欠片(かけら)もなく、その澄み切った瞳と目が合ったラケシスは、気恥ずかしくてしどろもどろになってしまう。


「ば、馬鹿! そんな恥ずかしい台詞を真顔で言わないでよ……」

「恥ずかしくなんかないさ、だって本心だからな。それに前にも言っただろう? 『俺が何とかしてやる』って……あの言葉が嘘じゃないって事を見せてやるよ」


 そう軽やかに宣言するや、()も当然の様に最上段から身を躍らせたティグルは、白き炎雷で粉々に破砕された中段を一気に飛び越えて最下段へと着地した。

 そして、武器を構えてにじり寄って来る衛士らを一瞥(いちべつ)して鼻で(わら)う。


「ふんっ! あんな外道でも相手が王子なら従うってか? 分かっているんだろうな? 人身売買は重罪だ……(かば)った奴も同罪だぜ」


 五十名の衛士らは混乱から立ち直っており、メトゥスの命に従って不埒(ふらち)な侵入者を排除するべく陣形を整えている。

 しかし、先程の謎の雷による人的被害が皆無だったとはいえ、不遜(ふそん)な笑みを口に浮かべる少年が吐いた台詞に戸惑う者は多く、それ(ゆえ)に積極的に前に出るのを躊躇(ためら)ってしまう。


 その一方で、見栄を張って啖呵(たんか)を切ったものの、無用な荒事は可能な限り避けたいとティグルも思っていた。

 ラケシスを粗略に扱われた所為(せい)もあり、少々冷静さを欠いているのを自覚しているだけに、いざ戦いとなった場合に上手く手加減ができるか自信がないのだ。

 だから、真実を(つまび)らかにして衛士達の戦意を削ごうとしたのである。


「お前たちの王子はな、てめえの妃達と御付きの女官らを密売ギルドに売り払った外道なんだぜ? 隣に居る胡散臭(うさんくさ)い男……そして、もう一人は政庁府のお偉いさんだったよな? なるほどね……テメエら皆グルだったか」


 メトゥスは元より他の面々も(すで)に石橋を渡って断崖下の広場へと退避しており、その中に政庁府総督オディムの顔を見つけたティグルは、合点がいったとばかりに獰猛な笑みをその口元に浮かべた。

 現状はメトゥスにとって不本意なものであり、これ以上生意気な闖入者(ちんにゅうしゃ)に好き勝手を許せば、自分の足元が危うくなるのは火を見るよりも明らかだ。

 だから、焦慮に駆られたメトゥスは道理など欠片もない侮辱の言葉を吐き散らし、己の正統性を捏造(ねつぞう)するしかなかったのである。


「ざっ、戯言(ざれごと)を言うでないわあぁ──ッ! 同胞を売り払って私腹を肥やしたのはその女で間違いないのだ! 苦し紛れの言い逃れなど誰が信じるものか! 何よりも、タウロ族直系の高貴な我と何処(どこ)の馬の骨とも知れぬ下衆(ゲス)の言葉……何方(どちら)が正しいかなど考えるまでもあるまいッ! ましてや、余所者の人間風情に貞操を委ねる破廉恥な女など、我が同族と見なすのも(おぞ)ましいわッ!」


 支配者である自分が声高に強弁すれば、この場に居る全ての者達を意の儘にできるとの確信がメトゥスにはあった。

 相手は高が人間の小僧一人だけだし、ラケシスが武威に優れているとの話も聞いた事はない。

 それに引き換え祭壇を取り囲んでいるのは、衛士の中でも自他共に認める精鋭中の精鋭と呼ばれる者達ばかりだ。

 だからこそ、衛士らの士気さえ回復すれば、この程度の状況など難なく乗り切れると確信したのだが……。


「そうかよ……素直に悔い改めれば見逃してやろうかとも思ったが、俺だけならばいざ知らずラケシスまで辱められては許してはやれねぇ。ぶっ飛ばしてやるから、そこを動くなよッ! 馬鹿王子ぃ──ッ!」


 再度放たれた大喝が周囲の空気を激しく揺さぶる。

 己の罪業を隠蔽する虚言でラケシスまで侮辱したのは悪手でしかなく、一度ならず二度までもティグルの逆鱗に触れた以上、穏便な決着など最早(もはや)望むべくもない。


「身の程を知れえぇぇ──ぃッ! 者共! この不埒者(ふらちもの)を血祭りにあげよッ!」


 主の怒声に叱咤された衛士たちに戦う以外の選択肢など在ろう筈もなく、前衛に位置している衛士らは弾かれた様に大きく踏み込み、その手にした得物をティグル目がけて突き立てた。

 仮にも精鋭と称せられるだけはあり、その鋭い必殺の刺突が(あや)たずに愚かな暴漢を貫いた……かに見えたのだが……。


「遅えよ」


 嘲笑(あざわら)うかの様な言葉と同時に、先手を取った筈の衛士ら三人が左右に弾け飛んだかと思えば、そのまま十メートルも宙を舞って海へと落水したのである。

 断崖の上から見守っている民衆は元より、後方に位置しているメトゥスらも何が起こったのか理解できなかったが、すぐ間近で一部始終を目撃した衛士達は吃驚(きっきょう)して足を止めるしかなかった。

 何故(なぜ)ならば、先手を取った者達が放った槍の切っ先が触れるか(いな)かという刹那に見せた相手の動きが驚異的すぎたのだ。


 ほぼ同時に迫りくる三叉槍(さんさそう)九つの切っ先を正確に見切ったティグルは、それらを軽く身体を回転させるだけで(かわ)すや否や、攻め手が得物を引くよりも早く踏み込んで左右の蹴撃を見舞ったのだ。

 その流れるような体捌(たいさば)きも()る事ながら、体格に勝る仲間が身体をくの字に曲げたまま宙を舞ったのを目の当たりにした衛士達は、その威力に戦慄するしかなかったのである。

 だが、そんな彼らの逡巡は戦場では無用の長物でしかなく、事態は容赦なく推移していく。


「まあまあの突きだったが、うちのパパさんと比べると遅すぎて羽虫が止まるぜ」


 そう(うそぶ)きながら太々(ふてぶて)しい笑みを浮かべる相手に衛士らが得体の知れない恐怖を(いだ)いたのは、皮肉にも彼らの戦士としての勘が優れていた証だったのかもしれないが、それを理解できない愚物もいる。


「何をもたついておるかぁ──ッ! さっさと殺してしまえぇ──ッ!!」


 王家に仕える彼らにとってメトゥスの命令は絶対であり、(たと)え、それが無謀なものだったとしても異を唱える事は許されない。

 だから、正体不明の相手に対する恐怖と主に対する忠誠心が綯交(ないま)ぜになった彼らには、ありったけの武を奮って突撃する以外に道はなかったのである。


「上等だぁ──ッ! 上手く受け身を取れよ!」


 ティグルとて中途半端な形で事態を収束させる気は毛頭なかった。

 少なくとも目の前の衛士らを全て叩き伏せて行動不能にしなければ、背後にいるラケシスに凶刃が及ぶのは必至だ。

 だから、命までは取ろうとは思わなかったが、多少手荒になるのは仕方がないと割り切る他はなかった。


(ママさん……ゴメンな。今回だけは目を(つぶ)ってくれよ)


『弱い者イジメは駄目よ』と事ある毎に(さと)してくれる養母に胸の中で詫びながら、ティグルも前に出る。

 そして、多くの者達が見守る中、一方的な蹂躙劇が繰り広げられるのだった。


           ◇◆◇◆◇


「す、凄い……いえ、凄いなんてもんじゃないわ……」


 祭壇の最上部から戦いを見守っているラケシスは、そう(つぶや)くしかなかった。

 タウロ族の衛士隊は三氏族の中でも屈強の勇士揃いだと言われており、魚人族の世界ではその武勇を疑う者は一人もいない。

 だが、彼女を護ると宣言した男は、そんな世評を嘲笑うかの様に次々と衛士らを薙ぎ払い、まるで赤子の手を(ひね)るかの様に地へと叩き伏せていく。

 まさしく疾風迅雷。

 繰り出される三叉槍(さんさそう)も刀も、そして後方から射掛けられる矢も、何一つティグルの身体に触れる事すらできない。

 その全てを最低限度のステップと回転運動で躱すや、目にも止まらぬ踏み込みで(ふところ)へ飛び込んで来るのだから、熟練の戦士らでも対応は難しかった。

 (しか)も、その攻撃力は半端なく、とてもではないが無手によるものだとは信じられない威力の代物だったが(ゆえ)に、相対した衛士らにとっては、まさに青天の霹靂以外の何ものでもなかっただろう。

 だが、その一方で圧倒的な力を見せつけるティグルにも変化があった。

 最初に気付いたのは他でもないラケシスだ。


「あれは本当にティグルなの? 金髪だった髪の毛が……それに、瞳も……」


 彼女が目を丸くして息を呑んだのも無理はなかった。

 衛士らの半分以上を戦闘不能へと追いやったティグルだが、金髪だった髪の毛は限りなく白に近い銀光色へと変化しており、碧眼だった双眸までもが赤く染まっているのだから、それも当然だと言えるだろう。

 その事実を前にしたラケシスの中では、ある疑念が確信へと変わっていく。


「ティグル……あなたは、もしや……」


 ラケシスの疑念はティグルに相対している衛士らにも共通するものだ。

 いや、まるで荒れ狂う暴風の如き脅威を相手にしている彼らにとっては、それは敬意を含む畏怖ではなく純然たる恐怖でしかなかった。

 日頃から鍛錬して練り上げた技は何一つ通じず、(むな)しくも空を切るばかり。

 挙句(あげく)に武器を持たない無手の相手の体術の前に次々と仲間がやられていく様は、己が武に誇りと自信を持つ彼らの矜持を()()るには充分過ぎるものだった。


 彼らがティグルの変化に気付いたのは、そんな最中だ。

 髪の色が変わっただけでも驚きなのに、何とふたつの目の色までもが変化すれば戸惑わない者など居る筈もない。

 (しか)も、それが青から赤へ、更に瞳が深い紅へと変わったとなれば、信心深い魚人である衛士らが(おのの)き、その矛先を鈍らせたのも仕方がないと言えるだろう。

 なぜならば、魚人にとって赤い瞳は信仰の対象者の象徴に他ならず、彼らが崇め奉る海神様そのものだったからだ。

 そして、その紅眼が意味するものは神の怒り以外にはなく、それによって(もたら)される己らの末路を思えば、反射的に尻込みした彼らを誰が責められるだろうか……。


「まだやる気か? そろそろ手加減するのも飽きて来た……これ以上、あの馬鹿の命令に従う気ならば、命と引き換えにして忠義を全うする覚悟をするんだな」


 そう(うそぶ)く眼前の相手が忍び笑いを漏らせば、数人の衛士らは腰砕けになって得物を放り出してしまう。


「か、海神様だ……海神様がお怒りだッ!」


 誰かが叫んだ言葉で、張り詰めていた戦意が急速に()えていくのが分かる。


(ふんっ……どうやらハッタリが効いたかな……これで大人しくなってくれれば万々歳なんだが……)


 その変化を察したティグルは事態の収束を期待したが、何処(どこ)の世界にも往生際が悪い愚物は存在する様で……。


「この腰抜け共めえぇ──ッ! 栄えあるタウロの戦士が何たる醜態を曝しておるかぁッ! こうなれば海神様へ御出まし願うしかないわッ! 神官長よ! 今こそ我らが主神様を召喚するのだぁッ!」


 腰砕けになった配下達の体たらくに痺れを切らしたメトゥスが声を張り上げる。

 そして、傍に立つ神官長が杖笛を口にするのを見たティグルは、その怒りの表情の中に残忍さを感じさせる笑みを滲ませるのだった。

 そう……それは、『だったら遠慮はいらねえよな?』、そんな彼の渇望を如実(にょじつ)に物語っていたのである。

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[気になる点] ティグル、無敵な冒険者は五代雄介さんくらいだよ(;'∀') [一言] そしてなんたる無双劇!! しかも目の色も偶然海神様と同じだった!? いったい海神様の正体は!? というかまだま…
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