第一話 人魚姫の憂鬱
今話のみ、ヒロインのラケシスの独白となっております。
日雇い提督シリーズでお馴染みティグルの後日譚です。
本編を読んでいない方々にも楽しんで頂けるとは思いますが、作中の白銀達也、 クレア、パパさん、ママさんなどの固有名詞は、前後の説明から、『そんなものなんだ』と、軽く流して頂けたら幸いです。
「この度は身に余る栄誉を賜り、このラケシス・アリエーテ、心から御礼申し上げます。メトゥス・タウロ様との婚姻の儀、謹んでお受けいたします」
自分の口から零れ出る言葉が、陳腐で白々しいものに聞こえて仕方がない。
叶う事ならば、この理不尽極まる『婚姻』という名の隷属制度を拒絶したい。
そして、居丈高な態度で踏ん反り返っているタウロ族の下っ端官吏を思いっきりぶん殴る事ができれば、どれほど気持ちがスッキリする事か……。
でも、そんな事をすれば、私が非難されるだけでは済まず、お母様や部族の皆にも迷惑を掛けてしまうのは目に見えている。
だから、胸の中に蟠る憤りを表情に出さない様に笑顔を取り繕った私は、絶望と虚しさが綯交ぜになった複雑な感情を持て余しながらも、じっと我慢するしかないのだ。
しかし、幸いにも、そんな苦痛に苛まれる時間は長くは続かなかった。
「うむ。真に喜ばしい限り。輿入れの儀は五日後。満ちたアンヘルルーナが天頂へと至る刻を以て執り行われる。粗相なき様に身支度を整えるがよい」
事務的な口調でそう告げる使節からは〝面倒な仕事は終わった″という心情が透けて見え、それが益々私を苛立たせる。
王の長子から見初められ側妃として迎えられるといえば聞こえは良いが、所詮は愛妾の一人でしかなく、然も八十人目のともなれば、ほんのひと時の慰み者でしかないのは疑うべくもないだろう。
そして、そんな夢も希望もない虜囚の様な日々が死ぬまで続くのだから、呪詛の言葉を吐き散らしながら泣き叫びたい気分だった。
だが、それをやったら全てが台無しになってしまう……。
だから、退出していく使者を見送る間、恭しく頭を垂れた姿勢の儘、私は下唇を強く噛み締めて嗚咽が漏れるのを堪えるしかなかったのだ。
でも、それも、使者の気配が部屋の外へと消え去るまでが限界。
踵を返した私は、双眸から溢れる涙を見られない様に顔を伏せたまま屋敷の裏口から飛び出すや、一目散に海岸目指して駆けていた。
「お待ちなさいッ! ラケシス!」
「姫様ッ! 短慮はなりませぬッ!」
「ラケシス様ぁ──ッ!!」
母様や長老達の悲鳴にも似た声に背中を打たれたが、脚を止める気のない私は、委細構わずに切り立った断崖から海面へと身を躍らせたのだ。
◇◆◇◆◇
「ふう……鬱々した時は思いっきり泳ぐに限るわ」
一族が生活の拠点にしている小島から南へ一時間ほど下った場所に在る岩礁。
長い年月を経て波に削られてできた内部の空洞部分は、私にとっては大切な秘密基地であり、子供の頃からの遊び場でもあるの。
私の名はラケシス。
魚人族の一つアリエーテの族長の一人娘よ。
言葉使いが御姫様らしくない?
放っておいて頂戴!
養育係の爺やからは事ある毎にお説教されるけれど、楚々としてお淑やかなんて柄じゃないもの。
それよりも、海原を思いっきり泳いだり、海底に眠る遺跡や綺麗な珊瑚礁を巡るのが大好きな十八歳のレディなのです。
「だというのに……あの陰険好色王子めっ! 百歳を超えているくせに務めも果たさずに色狂いに耽るなんて、巫山戯るなっていうのよ!」
あぁ~~~駄目だわ。
また、腹が立ってきたじゃないのよ。
もう決まった事なんだから割り切らないと……。
彼是考えて悩んでも、不愉快になるだけだから馬鹿々々しいじゃない。
こんな落ち込んだ時は、やっぱりアレでしょう。
海中から岩壁に囲まれた小さな空間に移動し、満潮時でも海水が届かない高所の窪みに隠してあった宝箱を取り出す。
そして、その中に大切に仕舞ってあった筒状の金属体を岩の上に置いてスイッチを入れる。
その途端、狭く薄暗い空間に淡い光が拡がったかと思えば、憧れて已まない人物の立体ホログラムが浮かび上がった。
この時間こそが、私にとって何ものにも代えがたい至福の時間なのです。
「うわぁ~~~。御ふたりとも本当に素敵だわぁ~~」
狭い洞の宙空に映し出される男女の映像に見入る私は、思わず感嘆の吐息を零してしまう。
こればかりは何度見ても飽きないだろうし、私にとっては一生の宝物だと言っても過言ではない素敵アイテムなのだ。
男性の名は白銀達也さまといい、十年前に勃発した銀河系の未来を懸けた大戦に勝利した英雄であり、〝神将提督″の異名で知られる超有名人。
また、女性の方は彼の奥様で名前をクレアさまといい、アマテラス共生共和国の大統領として数々の偉業を成し遂げたスーパーレディなの。
そして、私がこの世で最も憧れている女性でもあるのよ。
ま、まあ、そう断言したら、お母様は落ち込むだろうから内緒だけどね。
私達魚人族が暮らすこの星エレンシアは、銀河系の中でも辺境部に位置しているのだけれど、時折訪れる行商規模のキャラバンとの交流は活発で、ずっと以前からも御ふたりの写真や記録映像を買う事はできたの。
でも、そんな中でも、この宝物は別格よ。
この金属製の情報記録媒体は、御ふたりの日常を切り取った動画や、五年以上も前に制作された劇場用の映画が収録されている優れもので、手に入れた時はまさに天にも昇る幸せな気分だったわ。
でも、婚礼の儀が終われば二度と此処には来る事はできなくなるから、忘れないうちに取りに来たってわけ。
と、その時だ。
耳を衝く甲高い音に反応した私は、岩の亀裂から空を見上げて目を見張った。
そこには北方から南下してくる航空機らしい物体が見えたのだけれど、この辺りはキャラバンの航路からは大きく外れているからか、そんな物が飛んでいるなんて見た事も聞いた事もなかったのよ。
すると、そんな疑問に小首を傾げている最中に事態が急変して二度吃驚。
大きな二つの水柱が海面から天空目がけて突き上げたかと思えば、次の瞬間にはその飛行機が火達磨になって海面へ墜落したの。
「大変! 中に乗っている人間を助けないと……」
状況が理解できないながらも義侠心に駆られて海へ飛び込んだ私は、墜落地点だと思われる辺りへと全力で泳いだわ。
この周辺は水深は然程でもないけれど、潮の流れは速いのよ。
とは言っても、水に入れば下肢が人間のそれから尾びれへと変化する私達魚人には苦にもならないけれどね。
だから、あっという間に目指す場所へと辿り着けたの。
パイロットが潮流に流されていないか心配だったけれど、その者は直ぐに発見できたわ。
でも、気絶しているのか、潮流に引き摺られて海底へ沈んでいく人間を確保した私は、その姿に驚いて思わず心の中で呟いてしまったの。
(まだ子供じゃない……)
身長は私よりも低く、気絶している顔も何処か幼さを残している。
白銀達也様の様な素敵なナイスミドルを期待した私が浅はかだったのかしら?
まあ、タイプじゃないけれど、見捨てたりしたら寝覚めまで悪くなりそうだし、これも人助けだと思って我慢するかぁ~~~。
あ~あ! 馬鹿王子との婚姻といい、最近の私は本当にツイてないわぁ!
と、思ったこの時が、私と彼、ティグルとの出逢いだったのです。