SECT.7 リオート=シス=アディーン
上演が始まった。
物語の始まりは、フレイアの宣託を受けたリオートが、初めて将軍サヴァール=ヴァイナーと邂逅する場面だった。
灯りを手にしたリオートが客席全体を見渡し、凛とした声で告げた。
「私は、夢を見たのです」
一瞬で物語へと引き込む演技力はさすがだ。
革命少女リオート=シス=アディーンの生涯を描いた物語。
劣勢だった革命軍の元に突如参じた少女は、これまで武器をとった事もない農家の娘だったが、戦女神のフレイアすら認めた意志の強さで、剣を学び、弓を学び、人々を説得し、着々と軍の力になっていく。民の願いを信じ、革命の先に光があると信じて――
しかし、彼女は迷っていた。
「本当に革命を推し進める事が、皆の為になるのでしょうか。多くの血を流し、多くの人の意思を踏みにじり、多くの人と敵対して革命を起こした後、本当に私たちは幸福になれるというのでしょうか」
心のこもったその言葉にどきりとした。
ただの農民だった少女を軍に引き入れた張本人、将軍サヴァール=ヴァイナーはこれに答える。
演ずるのは昨日くそガキと手合わせしたという金髪の青年フェリス。
「無論だ」
一滴の迷いもなく将軍サヴァール=ヴァイナーは言い切った。
くそガキの話によるとフェリスという青年はネコのようになつっこいらしいが……そこは役者、そんな空気を微塵も感じさせないたち振る舞いだ。
「問うぞ、戦女神の愛娘リオート。もし革命をせず、現在の国の意思に従い、我々の意思が踏みつぶされることとなれば、それは国の意思を踏みつぶすことと何が違う? 革命を起こさねば、我々の意思を踏みにじることとなるのだ」
「それは」
リオートは将軍の言葉に返答できず、沈黙する。
「意思は人の数だけ存在する。そして、時に共有する。共有した意思は力となる。弾圧を繰り返す現在のやり方を壊すのは、我々革命軍全員の意思だ。そして民の多くも賛同するだろう。この国を、ケルトを愛するからこそ、ケルトの大地が、民が国の意思で蹂躙されていく様をただ見ていることはできぬ。もし、現在の政府が我らと違う意思を持つというのならば、こちらも強き意思でもって反発するのが礼儀というものだ」
迷いない言葉。
それは対立する意思を否定する言葉ではなく、むしろ尊重し、真っ向からぶつかっていく言葉だった。一歩間違えれば戦争を誘発する過激ともとらえられる思想だが、それさえも払拭する心根のまっすぐさが将軍にはあったのだろう。
俺にも、理解できる言葉だった。
あのくそガキの育て親であるねえさんがいつだったか言っていた。
自分が生まれたから、好きだから。そんな身勝手な理由で誰もが大切なものを選ぶのよ。そして大切にしたいものを守る心が二つ、相反するとき、それは衝突するしかない。そうしてまで守らなくてはいけないものも、この世には存在するのだ、と――。
それでも革命少女は常に迷っていた。
そんな折、舞台にはひょっこりと黒衣の青年が現れた。ロキ、と名乗るその青年は、リオートに助力する戦女神によって追放された王族の一人だった。
あわよくば戦女神フレイアの恩寵を受けるリオートを貶めようと、あの手この手で不安を誘い、さらに迷いを深くする。革命をやめさせようと画策する。
日々、憔悴していくリオート。
そんな中、常にリオートを導いてきた将軍サヴァール=ヴァイナーが病に倒れた。
ロキはここぞとばかりにリオートを言葉巧みに誘い出す。
「戦女神の愛娘リオート。フレイアは、君のサヴァール将軍を助けてはくれないのかい?」
「いいえ、フレイア様は……」
「君はこれほどフレイアのために働いているっていうのに、フレイアは君の為に何もしてくれないの?」
僅かな不安と疑念をえぐりだされ、リオートは少しずつ揺らいでいった。
言葉巧みに革命をやめさせようとするロキは、少しずつリオートの心を削いでいく。
少しずつ、少しずつ。
連日の戦闘とサヴァールの病で憔悴しきっていたリオートは、ほんの少しだけロキの誘いに傾いた。
「一緒に逃げよう。さぁ、リオート」
ロキが手を差し出した。
リオートはその手を――
「リオート!」
そこへ、鋭い声が飛び込んできた。
はっとするリオート。
そこには、大きな剣を手にした将軍サヴァール=ヴァイナーの姿がある。
「将軍、お身体が」
「リオート、そいつから離れろ」
リオートが舞台の端に寄ると、この芝居で一番の見せ場である、将軍とロキの剣舞が始まった。
実際、演劇の剣舞に期待などしていなかったが、これは、予想以上だった。
音から察するに、二人とも本物の刃がついた剣を使っているのだろう。将軍役のフェリスは細い腕で大剣を正確に振り回し、ロキ役のシドという青年はその大剣を細い剣で器用に受け流していく。
それも、手を抜かない真剣勝負。
一瞬でもシドが気を抜けば重さのある大剣を止めることはできず、首をはねられるだろう。
素晴らしい。
二人とも、そのあたりの剣士とは比較できないほどの腕前の持ち主だ。
こんなところで役者をしているのが不自然なくらいに。昨日、くそガキが将軍役のフェリスを素手でうち負かしたといっていたが、それは本当だろうかと疑ってしまうくらいに。
「ここまでだ、ロキ!」
将軍の鋭い台詞がとんだ。
その瞬間、大剣を持つ将軍から――フェリスから本物の殺気が放たれた。
これまでいったいどこに隠していたのか疑いたくなるような鋭い敵意に、背筋が凍った。
だから、驚いていて動けなかったのだ。
目の前で、ロキ役の青年が剣で貫かれるまで。
舞台上に、鮮血が飛び散った。
静まり返る舞台。
しかし、将軍は混乱した様子で大剣を引き抜いた。
「うっ……うわああああああ!」
血に染まった両手で頭を抱え、絶叫する将軍役の青年。
しかし、俺はこの時も、あの殺意を受けた余波でとっさには動けなかった。
「シド!」
舞台袖から座長のモーリが飛び出してくる。
モーリが刺されたほうの青年に触れようとした瞬間、はっとした。
「動かすな!」
思った以上の大声が出て、テントの中が再び静まり返った。
「腹部を貫通している。おそらく臓器にも損傷があるだろう。動かさず、傷口を押えて……引き抜いたせいで出血がひどい。とにかく止血するのが先だ」
4年前まで戦場にいた身だ。
そうでなくとも、医者とまではいかずとも、騎士団でそれなりの治療法は学んでいる。
ぱっと見たとき最初に不安になったのが失血死だった。まずはそれを阻止せねば。
「おいくそガキ、そこで放心してる主役をとっととここから遠ざけろ」
とにかくこの瞬間でも茫然としているくそガキが、血の匂いでフラッシュバックを起こす前にここから遠ざけたかった。
ついでに、放心しているリオート役の歌姫も。
「わかった。……ねぇ、アレイさん」
たたっと駆けよってきたくそガキは、耳もとに近づいて、ひそりと告げた。
「フェリスに、気をつけて」
分かっている、などと返答するまでもない。
先ほどの殺気を考えれば、将軍役だったフェリスという青年の根底が知れる。
ヤツは確実に、ロキ役の命を狙っていたし、完全に命を奪う攻撃をした。そして、急所を外したと見るや剣を引き抜いて失血死を狙ったのだ。
理由は知れないが、とてつもない腕の持ち主で、かつあれほどの殺気を消すという訓練までも受けていることになる。
何者か知りたかったが、目の前の青年の命を救うほうが先だった。