SECT.6 幻惑の聖騎士
「新しくケテルが就任したことは知っているな? これまでと違い、過去を記憶し、国家騎士という前歴も持つ異例のセフィラだ」
そう言うと、くそガキはあからさまに眼を泳がせ、頭を書きながらバツ悪そうに言った。
「あ、うん、実はさっき聞いたんだけどね」
さっき?
話題にした記憶はないが、最近はどの都市でもこの噂でもちきりだったはずだが。
じろりと睨むと、自覚はあったらしく、目をそらしやがった。
まあ、いい。
ため息一つで追及をやめ、話を続けることにした。
「あれは……危険だ」
「危険?」
その何も考えていない阿呆面をやめろ。
「先程、ケテルと遭遇した」
もう一度繰り返すと、嬉しそうに、はいっ、と手を挙げた。
「あ、おれも見たよ!」
「違う」
ため息をつきそうな勢いで告げた。
「行幸を見たわけではない、あれは、俺とお前に会いに来たんだ。道の真ん中で祀り上げられていたのは影で、本人は堂々と俺に話しかけてきた」
そこまで言うと、ようやくくそガキも事の重大さを理解したらしく、目を丸くした。
そうするとますます幼く見える。
「何を考えているかは不明だ。が、今回のケテルは前任のヤツとは大違いだ。気配で俺とお前を探し出すことができる」
前任のケテルは、メタトロンをこちらに具現化するだけのいわば傀儡だった。
ただそれだけでも、当時のレメゲトンの中では最強だったねえさんを殺し、東の都トロメオを一人で陥落させる事が出来たのだが。
聖騎士カイン=ウィンクルム、もしあいつが本当にメタトロンの力を使えるとしたら、とてつもない脅威だ。もし仮に俺の剣士としての腕があいつと同等だとしたら、使役する悪魔と天使の力に差がつきすぎてしまう。
マルコシアスが弱いというわけではない。
ただ、メタトロンが強すぎるというだけだ。
くそガキもその事を十分に知っている。さっと青ざめた。
「えっ? じゃあ」
「ケテルは、俺達を捕まえる気などない」
ガキの言葉を途中で分断した。
「……どういうこと?」
「分からん。もし本気でヤツが俺達を捕える気なら、一人で俺に接触するはずがない。何より、ヤツ自身が『捕える気はない』と言った。ケテルが本気かどうかは別にして、居場所がヤツに知れた以上、早くセフィロトを出なくては」
「……そうだね」
真剣な顔をして黙りこんだくそガキがいったい何を考えているかは分からないが。
「おい、くそガキ」
「ガキって言うな!」
いつものやり取りを繰り返し。
「歌劇団はどうだった?」
「あ、うん、それがね、舞台に出るって約束しちゃったよ」
そうなるだろうという事は予想していた……予想はしていたのだが。
「勝手に決めて、ごめんなさい」
素直に謝ったのだから、一応赦してやろう――こうなる事も、予想済みだ。
「まあ、いい。どうせそうするつもりだったんだ」
そう答えると、くそガキはぱちくりと目を瞬かせた。
「珍しいね、アレイさん、お芝居とかそういうの、あんまり好きじゃなさそうなのに」
「好きなわけがないだろう」
人前に出るのも、目立つのも、誰かと話す事すら苦手だ。
「だよねえ」
「分っているなら勝手に決めるな、この鳥頭」
ぺしんと頭を叩いて、そのままぐりぐりと撫でまわす。
何するんだ、と言いながらも嬉しそうにしている彼女の様子を見ていると、先程まで渦巻いていた焦りや不安が少しずつ薄れていく気がした。
そうだ、考えても仕方がない。
セフィラの言動はいつも曖昧模糊と芯を得ない。考えても無駄と言う事だ。
考えるべきは、相手が何を考えているかではなく、いかにしてこの国を脱出するか、と言う事だ。
撫でてやったそのまま、さらさらの黒髪を一房、指に絡めて問う。
「で? その歌劇団はどうだった?」
するとガキは、ぱっと顔を輝かせ、頬を軽く染めた。
「あっ、すっごく楽しかったよ! ルゥナーは可愛くってね、フェリスとシドは強かったし、モーリさんは優しいヒトでね、リンゴもらっちゃった!」
「……そうか」
林檎をいただいたのなら後で挨拶に出向かねばなるまい……なんだ、この保護者的発想は。
しかもコイツは、すでに歌劇団の人間を味方につけてしまったようだ。
少しでも情を受ければ、成功率は上がる。
「もし、俺達が秘密裏にこの国を出たいと言ったら、セフィロト国に通報などせず、手伝ってくれるような人間だったか?」
そう言うと、くそガキは一瞬きょとん、としたが、すぐに真意を察したようで、にこりと笑って答えた。
「うん、きっとモーリとルゥナーは手伝ってくれると思うよ!」
「そうか」
ならば、本格的に考え始めてもいいだろう。
「公演はいつだと言っていた?」
「確か、あと1週間だって言ってたよ」
モーリとかいうあの男は、俺とこの鳥頭を1週間足らずの稽古で舞台に出す気だったのか。何より、1週間前に役者がそろっていないという状況でどうやって公演を行う気だったのか。
「その後、公演は1週間続くって」
「すると、この国を出るのに少なくとも2週間以上かかるということか」
2週間は長すぎる。特に、演劇などで多くの人の前に出るリスクを考えると。
しかし、このまま二人で関所へ向かったところで、手配書は回っているだろう。旧グリモワール国領からやってきた黒髪の男女二人組、何かに紛れでもしない限り、すぐに露見してしまう。
むろんすべて、あの聖騎士カインが追手を差し向けないという前提で話をしているが。
「その件に関してはまた考えてみよう。とりあえず、明日はあのテントに行けばいいのだな?」
「うん。また来てねって、ルゥナーが」
ルゥナー、ルゥナーと繰り返すところをみると、どうやらこいつはかなりあの歌姫に執心のようだ。まあ、面食いの素質を考えれば、当たり前と言えば当たり前だが。
「歌劇団には、他にどんな人間がいた?」
「ええとね、シドとフェリスっていう剣の上手なヒトがいたよ。フェリスは金髪だけど、シドは藍色の髪でね、表情が少ないところはちょっとアレイさんに似てるかなあ。あ、アレイさんの方がずっときれいだけどね! フェリスとは軽く組み手したけど、強かったな。もちろん負けてないよ!」
「剣を抜いたのか?」
「ううん、素手だよ」
「相手は?」
「木刀」
それを聞いて頭を抱えたくなった。
どこの世界に素手で剣を相手に立ちまわる少女がいるというんだ。
そんなもの、持って生まれた才能と、弛まぬ努力と、さらには騎士団での訓練を積んでいるこいつくらいのものだ。
「人前で、あまり本気で戦うなといつも言ってあるだろう」
ため息と共に釘を刺したが、反省する気配もなく。
「だから素手でやったんだよ」
などと言いやがった。
逆効果だ。
「阿呆」
ぺしん、と頭を叩いてやると理不尽そうな顔をしたが、謝る気はない。
もう少し考えて行動しろ、この鳥頭。
次の日は、二人揃って歌劇団のテントを訪れた。
どうやら今日は通し稽古をみせてくれるらしいと言われ、挨拶もそこそこに客席の真ん中に陣取り、開幕を待った。
俺とくそガキが演じる予定のフレイとフレイアは、代役が幕から台詞だけを合わせるらしい。
演目は、革命少女リオート=シス=アディーンの生涯。
遠い北の大国ケルトで200年前に生じた反乱において、革命軍に勝利をもたらしたと言われる少女の名だ。戦女神フレイアの意思に沿って尽力したという。
出生は何の変哲もない平民の娘。16歳の時に戦女神フレイアの託宣を賜り、将軍サヴァール=ヴァイナーのもとへ参じたという。
その伝承が嘘か真か知れないが、実際に数でも戦力でも劣っていた革命軍が破竹の勢いで救国軍を壊滅させていったという史実だけは今も克明に残されている。
しかし、リオート自身は、戦で受けた傷がもとになり、革命終了後幾許もなく、若い命を散らしたという。
僅かな人生、しかし何百年たっても遠い国で知られるほどの働きをした少女の生涯の物語が、いま、幕を開ける。
テント内の灯りがほぼすべて消え、辺りが静寂に包まれた。
役者たちの息遣いまで伝わってきそうな空気だ。
そこへ、静かに、張り詰めた音が流れてきた。