SECT.3 モーリ
しばらく談笑した後、モーリとかいう歌劇団の団長は唐突に切り出した。
ほとんど、予想通りの言葉を。
「ウォルジェンガさん、グレイシャーさん、お願いがあります」
「……何だ」
その先の言葉が分かっていても、とりあえず聞いてみた。
「私達の歌劇団の次の演目で、舞台に出ていただけませんか?」
これでも、自分自身とあのくそガキの容姿と人目を惹く何かについては、十分自覚しているつもりだ。だから、あの時に声をかけられた時点で覚悟していたつもりだった。
こちらから飛び込んだとはいえ、面倒な事に巻き込まれたものだ。
一刻も早く隣国リュケイオンに入りたいというのに――
「……考えてみよう」
そう言うと、俺の顔色を窺っていたくそガキが妙な声を出した。
「うえっ?!」
そんなに驚く事か。
そうだ、厄介事に巻き込まれた事に相違ないが、うまくこれを利用すればいい。
この歌劇団は大国ケルトから来たらしい。とすれば、この国境都市にいる以上、向かう先は隣国リュケイオンだ。このまま歌劇団に入り込む事が出来れば、うまく紛れて国境を越えられるかもしれない。
と、そんな話は後でいいだろう。
何で何でと聞きたそうなガキをなだめるように頭に手を置くと、不思議そうな顔をしながらもおとなしくしていた。
後で話してやるから、今はそうやっておとなしくしていろ。
「おい、くそガキ」
「ガキって言うな」
いつもの台詞が返ってきた。
「お前はここに残って詳しい話を聞いて来い。俺は先に戻る」
「えーっ? それはひどいよ、アレイさん!」
不平を言うくそガキの声を背中で聞き流して、テントの外に出ようとした。
さて、こちらの歌劇団はくそガキに任せるとして、俺は別の路線から調べてみよう……と思った時。
モーリという歌劇団長が後ろから追ってきた。
「ウォルジェンガさんっ!」
むろん振り返らず無視したのだが、モーリは俺に追い付いて、横に並んで歩き始めた。
先ほどから、この根性だけは評価してやってもいいかもしれない。
「ありがとうございます。実を言うと、すぐに帰ってしまうんじゃないかと思っていたんです」
俺も本当はそうするつもりだった。
最終的な判断はあのくそガキに任せるが、もしうまくいきそうなら利用しよう……と、ただそれだけの話だ。
「私は先代の団長のように人をまとめる才も、商才もありません。でも、人を見る眼だけは、自信があります。だから、貴方とグレイシャーさんを見かけた時、すぐに声をかけたんです」
「……それほど目立っていたのか?」
「はい。本当に、その場の全員が釘付けになってしまうほどに」
モーリはにこりと笑った。
「ただ見た目の美しさじゃない。背負ったものの大きさ、過去、そしてその心根、信条。きっと、貴方達は強い。それが人々を惹きつけます。それも、一人じゃない、二人で一つの強さですね。どちらが欠けても、成立しないはずです。夫婦だと聞いて納得しましたよ」
俺が答えないでいると、モーリは俺の目を覗き込みながらさらに続けた。
「おそらく、二人で同じモノを共有している。そこには深い絆がある。それを繋ぐのは……約束、ですか?」
まるですべてを見透かす占い師のように、すらすらと告げたモーリ。
どきりとした。
モーリの言葉で、何か心の奥底を抉られたような。
自分は確かに、あのくそガキと約束している。何度も何度も誓い、口にして、口にせず、繰り返してきた言葉だ。
まさかその内容までも見抜いたとは思わないが、何も知らないとは到底思えなかった。
「……まるで神官の託宣のようだな」
そう言うと、モーリはふふふ、と意味ありげに笑った。
「少しだけ、占い師のまねごとをしていた時期もあるんです。もし気に障ったらすみません。だから、ここから先は戯言だと思って聞いてください」
そう前置きして、モーリは静かに告げた。
先程までの気の抜けるような笑顔を引っ込めて、少々真剣な表情で。
「貴方達自身は共にありたいと願い、同じモノを共有してきた。そして、共にある事を誓いあっている。しかし、貴方達は二人とも、魂の一端を別々のモノに握られているのです」
心臓の鼓動が速くなる。
モーリの言葉の先を厭うように。
「気を付けてください。貴方達の魂を握るのは、その性質が同じでありながら、全く正反対のモノです。それはもしかすると近いうち、貴方達の間に溝を作るかもしれません」
と、そこまで一気に告げたモーリは、また気の抜ける表情に戻っていた。
「なんて、それっぽい事を言いましたが、忘れていただいて構いません」
「……」
返答できなかった。
モーリの言葉が胸中で渦を巻いていた。
魂を、別々のモノに握られている。性質を異にするモノ。
なぜか一瞬、脳裏を魔界最強の剣士の後姿が過った。
「ですから、私たちの事を利用してくださっても構いません。たとえどんな過去を持ち、どんな理由であろうと私は、貴方とグレイシャーさんに『フレイ』と『フレイア』になってほしいと思ったのですから」
つい今しがた、神官のように宣託を告げた男と同一人物とは思えない。
しかし、その言葉は完全に自分たちの状況と思惑を示していた。歌劇団の団長だというこの男は、気の抜けるような仮面の下にいったい何を隠しているのか。
「……変わった男だな、お前は」
「普通の神経で戦争が終わったばかりの国を行幸したり出来ませんよ。私たちは、2年かけて旧グリモワール王都のユダ=イスジュデッカから此処まで、セフィロト国領を横断してきたんです」
「そんな事をしてどうする。こんな戦争後の荒野を往くより、広大なケルトの大地に行くべき場所は多くあるだろう」
「ルゥナーが望んだんです」
ルゥナー、というと、先程の歌姫だ。
「彼女は、戦争で疲弊した人たちを少しでも元気にしてあげたいから、と今回の巡業を提案しました。私はそんな彼女の意志に賛同したんです」
「そこにお前の意思はないのか?」
「ルゥナーの意志を遂行するのがわたしの意思です」
本当に、変わったヤツだ。
だが、その気持ちは分からなくもない。
少しだけ、この男に興味が湧いた。
「さて、少々まじめな話をしてしまいましたね。テントから随分遠ざかってしまいました……ルゥナーが心配する前に、私は戻ります」
「ああ、それがいい」
「ウォルジェンガさん」
最後にモーリは、やはり気の抜けるような笑顔で言った。
「明日、テントで待っています。通し稽古をする予定なんです。ぜひ奥さんと二人でいらしてください」
「……考えておく」
ひらひらと手を振るモーリに背を向け、広場を後にした。
身の毛がよだつようなモーリの託宣を受けてもそれほど深刻にならなかったのは、きっとあの男の持つ不思議な空気のせいだろう。
しかし、本当はもっとよく噛み砕いておくべきだったのだ。
モーリはひどく重要なことを言っていたのだ。それに気づくのはずっと後のことになるのだが。
俺はいつもそうだった。
大切なものを失くすまで、大切な少女を泣かすまで、俺は気づくことが出来ないのだから――