SECT.2 中央広場ノ邂逅
グリモワール王国はすべてをセフィロト国に奪われ、歴史からその名を消してしまったが、俺とこのくそガキは、戦場で瀕死の重傷を負ったところを強大な悪魔によって助けられた。
そしてほんのひと時、刹那を平穏に過ごした。戦争のことも己の過去も、すべてを忘れて俺は少女と再び出会い、惹かれ、結ばれ、子供を儲けた。
しかし、その生活にはあっけなく終止符がうたれた。
俺たちは、とうとうセフィロト国に見つかったのだ。そして、二人ともセフィロト国から追われる身となってしまった。
国から逃げ回るというのに、生まれたばかりの子を連れていくわけにはいかない。子供たちを手元から放して誰より信頼できる知人に預け、俺とあの少女はセフィロト国の追手を逃れ逃亡を続けることとなった。
子供たちと別れ放浪の旅に出た俺たちにも、2年の間に様々なことがあった。
まずは、元漆黒星騎士団長だった義兄上の手配で、グリモワール王国の王子であったサン=ミュレク=グリモワール殿下と邂逅した。そして、俺とくそガキはグリモワール再建に尽力すると誓った。
さらに、戦争時にセフィロト国に捕えられ、幽閉されていた最後のレメゲトンであるライディーン=シンの救出を行い、元漆黒星騎士団長であるクラウド=フォーチュンを中心に、革命軍を編成を行ったのだ。
しかし、グリモワール王国を再建するのは並大抵のことではない。
長い長い話し合いの末、俺とくそガキは、必ず力を蓄えて戻る、という確約の元に、革命軍と別行動をする事になったのだった。
そうやっていくらか回想していると、ふいに背後に気配を感じた。
「あの、すみません。旅の方ですか?」
はっと振り向くと、温和そうな男がこちらに向かって微笑みかけていた。
眼鏡の奥の目に、敵意はない。どうやら追手ではなさそうだ。
この辺りでは非常に珍しい、ケルト地方の民族衣装を纏っているところをみると、地元の人間ではないのだろう。顔立ちも、ケルトらしい、彫りの深いくっきりとしたものだった。
「……何か?」
しかし、わざわざ話しかけてきた事は警戒に値する。
その警戒が伝わらなかったはずはないのだが、その男はにこにこと話を続けた。
「初めまして、突然申し訳ありません。私、歌劇団ガリゾーントの座長を務めております、モーリと申します。以後、お見知りおきを」
「歌劇団?」
くそガキが首を傾げると、その男は相好を崩した。
「ええ、街から街へと渡り歩き、娯楽を提供する歌劇団です。旅の方とお見受けしますが、少しお時間よろしいでしょうか?」
広場の一角を占めるテント、どうやらあれが本拠地らしい。
寄り道している暇はないのだが……ちらりとくそガキを見下ろすと、ひどく嬉しそうな顔でテントを見つめている。まあ、コイツの場合、止めても無駄だろう。
「ねえ、アレイさん」
「どうせ止めても行くと言うんだろう?」
みなまで言うな。
知らず、ため息をついていた。
テントの中では、この歌劇団の歌姫と称される少女が歌っていた。舞台の中央から流れてくる透き通った歌声、美しい旋律と、澄んだ青い瞳と白い肌―――ケルトの女性独特の美しい容姿。
なるほど、歌姫の名にふさわしい。
美しい声が美しい旋律を紡ぎだした。
「 フレスヴェルクの丘に 朝露が輝く
あの丘でフィヨールが 真実の愛を教えてくれた
愛を忘るる事など出来はしない
愛しきフィヨールのためならば
死など怖れず 命を捧げよう 」
これはケルト地方の民謡だ。
身分の違いで引き裂かれた唄うたいが、フィヨールという愛しい女性を想い唄った曲だ。
隣に立っていたくそガキが、袖のあたりをギュッとつかむ。震えるその手は恐怖ではなく、歌に共感し、震えた悲しみを訴えかけていた。
歌が終わり、踊り子はゆっくりと優雅に一礼した。
しかし、その美しい歌姫は、俺とくそガキの姿を見て眉を顰めた。
「誰なの? まさか、またその辺で拾って来たんじゃないでしょうね」
まさにその通りだ。
この歌姫、美しい見た目によらずはっきりとものをいう性格らしい。
「そうなんだ、新しい演目にぴったりだと思わないか、ルゥナー」
「まったく、貴方って人は……」
ルゥナーと呼ばれた踊り子は、大きくため息をついた。
「彼女はルゥナー。この歌劇団『ガリゾーント』の歌姫です」
「ルゥナー=ミタールよ。初めまして」
微笑んだ歌姫は、くそガキと同じくらいの年頃だろうか。愛らしさの中に落ち着いた雰囲気もある大人の女性だ。
そう、言うまでもなくくそガキが好みそうな「きれいなヒト」だった。
「はじめまして、ルゥナーさん。おれ、グレイシャー=ロータスといいます。よろしくお願いします!」
相好を崩したくそガキが、はきはきと挨拶をする。そうすると、言葉づかいは間違っていないというのに、余計に幼く見えるから不思議だ。
「グレイシャーね。貴方、私と同じくらいの年かしら? 私のことはルゥナーでいいわよ」
「んじゃ、おれのこともグレイスって呼んで!」
「グレイスって、自分のこと『おれ』って言うのね……こんなにきれいなのに、変なの」
「そう?」
「それに、さっきは同じくらいの年に見えたのに、話してみるとなんだかすごく年下に見えるわ」
「んー、そう?」
そうだな、先程、同じ年くらいと言った言葉は撤回すべきだろう。
「お前は阿呆の鳥頭だからな」
しまった、思わず口から出てしまった。
一瞬目を丸くした歌姫は、くすくすと笑う。
「わ、笑わないでよ、ルゥナー」
本当に楽しそうなくそガキを見ていると、こちらも思わず微笑んでしまいそうだ。
「ごめんなさい、グレイス。ええと、その方は? 兄妹……には見えないわね。貴方の恋人かしら?」
「ん、恋人って言うか……えと」
もごもごを言いづらそうにしているくそガキを見て、何を言わんとするか理解した。
兄妹でも恋人でも、適当にごまかしておけばいいものを。
そもそも、グレイシャー=ロータス、という名すら本当の名ではないというのに、いまさら何を躊躇する?
「名乗り遅れた。ウォルジェンガ=ロータスだ」
「ロータス? もしかして、結婚してるの?」
「ええと、ん……はい」
くそガキは、顔を赤くしながら頷いた。
俺まで恥ずかしくなるからやめてくれ。頼むから。
すっかり癖になってしまった溜息をついて、額を抑えた。