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SECT.1 悪魔ノ導キ

 リンボに侵入するため、闇に紛れる事の出来る夕刻まで待った。徐々に辺りは薄暗くなり、隠れるには格好の闇の帳が下りてきた。

 十分に夜があたりを包み込んだころ。

「ルシファ」

 眼を閉じた少女は、静かに悪魔の名を呼んだ。

 少女の額に黒々とした紋章が浮かび上がる。

 同時に背に大きく広がった翼は、魔界を統べる悪魔のものだった。

 華奢な肢体に見合わぬ強大な力を内に秘めた少女は、翼を広げて飛び立った。

「全く……」

 持っていた荷物を、すべて足元へ置き去りにして。

 俺にこれをすべて抱えて飛べというのだろうか。

 とりあえず、追いかけて拳骨の一つも喰らわせてやらねばなるまい。

「マルコシアス」

 同じように悪魔の名を呼ぶと、左胸のあたりが熱くなった。

 そして、先程の少女と同じように、背に純白の翼が広がった。

 全身を高揚感が覆い、感覚が研ぎ澄まされる。

 自分の中に流れる悪魔の血は、この悪魔を源にしている。そして、この悪魔は今も末裔である自分に力を貸すのだった――魔界屈指の剣士とも呼ばれ、グリモワール王国時代には民衆から絶大な人気を誇った『戦の悪魔』と呼ばれるマルコシアスだ。

 魔界の王リュシフェルに絶対の忠誠を誓い、天界から魔界へ下った堕天使の一人。

 それが、自分の中に巣くう悪魔。

 剣の師匠であり、血を分けた先祖であり、また、導く師でもある彼がいったい自分たちに何を求めるのか。

 その問いに答えを出すのはまだ先の話になるのだが。



 いつも通り、朝早く目が覚めた。

 隣のベッドを見れば安らかな寝息を立てるくそガキの姿があった。

 叩き起こしても構わないのだが、寝起きは何かとうるさいので起こさぬように身支度をして外に出る。毎朝の日課になっている剣の稽古をするためだ。

 朝日が昇ったばかりの時間帯、昨晩遅くに侵入した国境都市リンボの街はすでに朝市の準備でざわめき始めていた。

 セフィロト国では、どの街でも規模の大きさに差はあれ、大通りや広場で市が開かれている。国がその市を推奨しており、出展にかかる費用を補助している事が多い。

 隣国リュケイオンとの国境都市に当たるこのリンボでは、双方の交易品が飛び交い、さぞ活気のある市が開かれている事だろう。

 宿の前で無心に剣を振っていると、背後に気配を感じて切っ先を向けた。

「うわっ、びっくりした! あんた、剣士だったのか」

 その場に転げたのは、宿の主人だった。

「すまない」

 正直に頭を下げ、剣を収める。

「いや、いいんだが、そこじゃ目立つだろう。裏に回った方がいい。おっと、庭の木は傷つけるなよ? 娘が怒るんだ」

 目立つ?

 ああ、そうだな。そろそろ市が始まる時間に宿の前で長剣など振っていたら、物騒極まりない。営業妨害もいいところだ。

「俺としてはこの宿の宣伝になるからありがたいが、見物客が増えると隣の花屋がうるさいんでね。裏に回ってくれると嬉しいんだが」

「そうさせてもらう」

 そう言って立ち去ろうとすると、宿の主人は首を傾げた。

「あんた、見た目はいいが愛想がないねえ。あんたの奥さんとは大違いだ」

 奥さん。

 そう称されたのはあのくそガキだ。

 確かに何年か前に結婚しているし、もう2歳になる子どももいるのだが……理由あって、どうしてもそんな気分にはなれないのだった。

 もっとも、望んでいなかったはずもないが、わざわざ説明したい事でもない。

 複雑な気分を抱えたまま裏庭に移動して剣の稽古を再会した時。

「アレイさん! 朝ご飯にしようよ!」

 二階の窓から乗り出したくそガキのバカでかい声によって、すべては中断された。



 少し遅めの朝食を終え、軽装で宿を出た。

「とりあえずさ、市場に行こうよ!」

 能天気なくそガキの言葉に、ため息をつきそうになる。

「お前は本当に今の状況が分かっているのか? これから……」

「分かってるよ。でも、国境を越える手立てを考える時は、まず情報収集じゃない?」

「……鳥頭のくせに、何故そう核心だけは外さないんだ」

 早朝とは打って変わって、歩くのも一苦労なほどの買い物客でにぎわうメインストリートを通り抜け、街の中心にある広場へと向かって歩き出した。

 どうやらくそガキは手をつないで歩きたいようだったが、とんでもない。

「さっさと行くぞ」

 捕まる前に歩きだし、後ろからガキが追いかけてくるのを待った。


 この国境都市リンボは、国境の城壁に張り付くようにして半円形に作られた都市だ。外側の半円形の城壁にそってメインストリートが横たわっている。また、都市を形作る半円の中心に位置する関所とパリエース家本宅から放射状に道が延びている。さらに、関所と都市の玄関口を直線で結んだちょうど中央に、大きな広場。

 まるで半円の網目のような構造をしているのがこの国教都市リンボの特徴だった。

 くそガキと並んで歩き、都市中央の大きな広場に到着した。広場には灰色の石畳が整然と敷き詰められ、中央にはセフィロト国の崇拝する天使像が佇んでいる。

 まるで何かに惹かれるように、くそガキはふらふらとその天使像へと寄って行った。

 その複雑な心境を映した横顔を見ていると、なぜか不安を掻き立てられた。

「ミカエルさんだけじゃないけどさ、天使さんは綺麗だね」

「……お前は面食いだからな」

「うん、まあ、そうなんだけど」

 否定する気はないのか。

 こいつは根っからの面食いで、男女構わず整った容姿をした人間に弱い。分かりやすいと言えば分かりやすいが、その相手が悪魔や天使にまで及ぶあたり、少し注意しておいたほうがいいだろうと思いもする。

 そんな俺の胸中にはお構いなしに、くそガキは複雑な表情で微笑んだ。

「セフィロト国は天使さんたちに守られているんだね」

 その言葉に含まれた純粋な賞賛と悲哀、そして自嘲の響きを感じ、俺は一瞬口を噤んでしまった。

「……そうだな」

 何とも答えられずあたりさわりのない返事をしてしまった自分が情けない。

 無垢に見上げてくる漆黒の瞳に耐え切れず、ぽん、と頭に手を置いた。

 隣のくそガキもつられたように黙り込む。

 天使ミカエルの像の前で、旅人が二人、沈鬱な表情で黙りこんでいる――はたから見れば、まるで天使に向かって祈りでも捧げているように見えたかもしれない。

 しかし、俺とこいつの胸中を占めるのは、償っても償いきれぬ罪状だった。

 そして、祈る相手は天使ではなかった。



 4年前までディアブル大陸には、対立する二つの国家があった――天使を祀るセフィロト国と、悪魔崇拝の王国グリモワール。

 1000年の歴史を持つセフィロト国の隣にグリモワール王国が誕生したのは、今から約450年前だ。その時から2国の歴史は互いに争いあう凄惨な関係に埋め尽くされていった。

 当時セフィロト国から独立する際、初代グリモワール国王ユダ=ダビデ=グリモワールは魔界から悪魔を召喚し、加護を受ける術を手に入れた。

 魔界の王リュシフェル、刻の悪魔メフィストフェレス、空間の悪魔ベルフェゴール、戦の悪魔マルコシアス、灼熱の獣フラウロス……数を挙げればキリがない悪魔達の中で、初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールは72人の悪魔を選んで召喚した。未来を知り、水や炎を操り、凄まじい身体能力を持つ悪魔達の力を借りる契約を交わすと同時に、その証として72枚のコインを創ったのだ。

 それを助けたのが稀代の天文学者ゲーティア=グリフィス。彼は悪魔と並はずれた親和性を示し、悪魔の召喚方法や悪魔学の基礎を確立したのだった。

 グリモワール王国独立後、初代ダビデ王は『レメゲトン』と呼ばれる72人の天文学者を任命し、コインを与えた。

 そして、グリモワール王国は繁栄のときを迎えた。

 しかし、悪魔の力を借りて繁栄を極めたグリモワール王国にも衰退の時は訪れた。

 時を経るにつれてコインが失われていき、そのコインで悪魔を使役する天文学者も減っていった。

 そして、4年前の戦争へと繋がったのだ。

 相容れぬ二つの国は衝突し合い、2年に満たない短く凄惨な戦争の果てにグリモワール王国が倒れた。

 だが、グリモワール王国は4年前に倒れた。悪魔は表舞台から姿を消してしまったのだ。



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シリーズまとめページはコチラ
登場人物紹介ページ・悪魔図鑑もあります。
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