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SECT.18 悪魔ノ感情


 レティシア=クロウリーの話をするマルコシアスは、剣を振る戦悪魔の姿からは想像も出来ないほどに柔らかな表情を見せる。

「少しだけ 昔話をしようか」

 少年の声に似合わぬ台詞は、マルコシアスによく似合っていた。

「気づいておろう 我が目は もともと何れも 炎妖玉であった」

 片割れであるグラシャ・ラボラスの瞳が炎妖玉ガーネットなのだから、マルコシアスももともと深紅の両眼だったと考えるのが自然だ。

 それがなぜ、今はオッド・アイなのか。

 マルコシアスは、碧光玉サファイアの瞳を瞼の上から撫でた。

「この碧光玉は 遥か昔 レティから受け継いだものだ」

「レティシア=クロウリーから……?」

 確かに書物に残るレティシアの姿は、黒髪に碧光玉サファイアの瞳を持つ勇壮な女性であったと描かれている。

「ユダは グリモワール王国を建国し 数年 国は未だ荒れていた」

 初代国王ユダ=ダビデ=グリモワール、グリモワール王国設立。その7年後にはすぐに王位を息子のソロモン王に譲っているのだが、その理由は国をある程度安定させるまでに7年の歳月を要したからだと言われている。

 そして、レティシア=クロウリーはその中でも多大な活躍を見せている。王国最強の炎妖玉ガーネット騎士団を率い、セフィロト国との国境争いに競り勝ち、北の国境を線を引いた。その功績は今も語り継がれている。

「レティはその戦の中で 片目を失った」

 その瞬間、きん、と脳裏に刹那の記憶がフラッシュした。

「?!」

 グリモワールが滅びた戦争と同じように、黒旗と白旗の両軍が衝突している。その戦場を背景に、長い黒髪が目の前に靡いた。

 美しい黒髪の女性が、自分の方を見る――いや、マルコシアスを見ている。

 これはマルコシアスの記憶の断片。

 黒髪の間には鋭い水晶が見えた。

 水晶を使った攻撃をするのは、セフィラ第七番目、勝利の天使ハニエル。

 ハニエルの攻撃を受けたのだろうか、彼女の右目があるはずの位置には血に染まった水晶が突き刺さっていた。

 残ったもう一つの碧光玉サファイアが、驚きに見開かれたままマルコシアスを映していた。

「油断していた つもりはない だが 一瞬だった」

「……あ」

 いつだったか、マルコシアスは言った。

――大切な者の傍を 離れるな 決して

 あの時の痛切な表情は、今でも心のどこかにわだかまっている。

 その理由がようやく分かった。

 いまの記憶と共に流れ込んできたマルコシアスの『感情』。その大部分を占めているのは、後悔、だった。

 それは、目の前であのくそガキの左腕を喰われた俺が抱いているのと同一の感情だ。

 全身が震えるようだった。

 遥か彼方に霞み見えなかった師匠の姿が、心が酷く近い場所にあるように思えた。

「……グリモワールの歴史書に、レティシア=クロウリーが隻眼であったという事実は残されていません」

「失くした目は 我が与えた」

 悪魔には、人間が失った体の一部を与える能力がある。あのくそガキの左腕も、グラシャ・ラボラスが与えたものだ。自ら喰った左腕を、殺戮と滅びの悪魔は再び創りだした。

 マルコシアスも同じようにしてレティシアに新たな目を与えたのだろう。

 これまでの事を考えると、マルコシアスはレティシアにかなり特別な感情を抱いていたように思える。

「マルコシアスは……レティシア=クロウリーの事をとても大切にしていたのですね」

 素直にそう聞くと、マルコシアスは珍しく声をあげて笑った。

「ふふふ 随分と 素直に質問をするようになったな  幼き娘の影響か」

「……違います」

 逆に問われて、思わず目をそらした。

 それを見てマルコシアスはもう一度笑った。

「当時の我は 理解しておらぬよ  感情の存在を」

 マルコシアスは何故か少しだけ悲しそうに笑った。

「何故 レティが傷つくことを厭うのかも 何故 レティを欲したのかも」

 まるで自らの碧光玉サファイアの瞳に問いかけるように、ゆっくりと瞼の上を掌で何度もなぞった。

「レティの魂が消える瞬間に 何故 涙を流したのかも」

 ああ、そうだ。この人は、悪魔だから。

 いくら大切な相手を守っても、必ずいつかは別れがやってくるのだ。

「だから 魂のない 人間の躰は朽ち 消える  レティが存在した証を 遺したいと」

「だからその瞳を……?」

「そうだ」

 マルコシアスは瞼を撫でていた手を止めた。

「レティと共に在った証として この瞳を」

 マルコシアスの指の間から、碧光玉サファイアの瞳が覗いた。

「では、もとのマルコシアスの炎妖玉ガーネットの瞳は……?」

「我の 炎妖玉は レティの血筋に渡した」

 悪魔の血を色濃く継いだクロウリー家の者は、紫の瞳を持つ。

 それは、いつからかマルコシアスの瞳、炎妖玉ガーネット碧光玉サファイアの色を混ぜた紫水晶アメジストだといわれるようになっていた。

 出どころも分からないその噂は、どうやら本当だったらしい。

「アレイ お前の瞳は 本来青い レティと同じ 碧光玉サファイアの瞳だ」

「それではこの瞳が紫なのは、本来青い瞳に、マルコシアスの力が紛れ込んでいるからだ、と――?」

 マルコシアスは答える代わりに笑った。

 俺はようやく、あの時戦場で聞いたグラシャ・ラボラスの言葉を理解した。


――悪魔デモ天使デも人間でもなイ 半端モノ


 グラシャ・ラボラスは、マルコシアスの事をそう称した。

 もともと天界に住まう天使であったにもかかわらず魔界へと堕ち、悪魔になった。そして、人間と瞳を交換した。

 天使であり、悪魔であり、人間である存在。

「……マルコシアス」

 人間でありながら、悪魔の血を継いだ自分は、本当にマルコシアスの息子と呼ばれてもおかしくないのかもしれない。

「きっといつか、グラシャ・ラボラスと戦う日が来ると思います。その時、もしかすると……グラシャ・ラボラスはあのくそガキの体を使うのかもしれない」

 それは、マルコシアスが滅びの力を持つと知った瞬間からずっと懸念していた。

 始祖ゲーティア=グリフィス以外、誰とも契約しなかったグラシャ・ラボラスが何故この時代に契約したのか、ずっと不思議で仕方なかった。

 もしマルコシアスと戦い、吸収するためだとすればすべて納得がいく。

「その時、俺は迷うかもしれません。もしかしたら、武器をとる事を躊躇ってしまうかもしれません」

 剣をとるあいつを目の前にして、立ち向かう事が出来るか、と聞かれると即答はできない。

 あいつになら殺されてもいいと自ら剣を捨ててしまうかもしれない。

 もし万一、あいつがその戦いで命を落とせば、俺も後を追ってしまわないとは言い切れない。

 再契約によって手に入れた体は不老でこそあれ、不死ではない。深刻な怪我を負えば体は動かなくなるし、致命傷を負えば生命活動は停止し、魂は体から離れてしまう。

 あいつのいない世界で俺が生に執着できるとはとても思えなかった。

 まるで戦場でねえさんを失ったあいつが、世界を滅ぼそうとしたように――

「でも、それでも」

 魔界の為にマルコシアスが消えるなど、そんな事は絶対に認めない。

 それだけはどうしても嫌だった。

「あいつを殺すという選択肢でない限りにおいて、必ず、俺はマルコシアスの為に戦います」

 もしそれが魔界の存続から遠ざかる道であったとしても。

 マルコシアスはその言葉を聞いて、驚いたように目を丸くした。

 もしかすると、師匠のこんな表情を見られるのはこれが最初で最後かもしれない。きっと永劫の時の中で自分が強くなって、本気でマルコシアスから一本とれた時だってこんなに驚かないだろう。

「無理だけは するな アレイ」

 そう言ったマルコシアスは、本当に嬉しそうだった。

「その先に 救いがあると 確信がない限り 大切な者に 刃を向けるな」

「はい」

 師匠の言葉を受け止め、心に刻み込んだ。

「アレイ お前の魂は 実直で 素直」

 ずっとバルコニーの手すりに腰かけていたマルコシアスは、とん、と床に降りた。

 オッド・アイはほんの少し見下ろす位置にある。

「だから 我は お前を選んだのだよ アレイ」

 真っ直ぐに見つめられて、居づらくなって目をそらした。

「目を逸らす癖は 最初から変わらぬな」

 ぽん、と俺の肩をたたき、マルコシアスはばさりと純白の翼を振った。

「時間だ 芥子の影響が 薄れてきている」

「……」

 芥子が切れかかっている、ということは、現世界に戻れば禁断症状が待っているという事だ。

 これから自分が戦うモノを考え、ため息をついた。

「大丈夫だ 幼き娘も こちらに向かっている」

 そうだ。

 必ず生きてリュケイオンで会う事を約束したのだから。

「……来ていたとしても、まだ会えません。芥子の禁断症状で苦しむ姿など見せられないですから」

「そうか」

「マルコシアス、一つだけ頼みがあります」

「何を 望む」

「きっと俺はこれから苦しみます。ですから、その時は――傍に、いてください」

 答えはなかったが、マルコシアスは笑っていた。

 何故だろう、ほんの少しの間に、とても遠くの存在だったマルコシアスとの距離が急激に縮まった気がした。

 もしかすると、天真爛漫に誰にでも平等に相対するあのくそガキは、最初からマルコシアスとこの距離にいたのかもしれない。

 そう思うと、心のどこかに灯りがともったように暖かかった。


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登場人物紹介ページ・悪魔図鑑もあります。
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