SECT.12 絶対ノ王
すでにハルファスの風でテントは吹き飛んでしまった。
「……もはや隠れる意味はない、か」
歌劇団のテントを散り散りに吹き飛ばし、突如として中央広場の上空に現れたサンダルフォンに、周囲は騒然となっている。
ざわざわとこちらを指さし、見上げる人々が徐々に増え始めていた。
あのくそガキが飛び出してこない事を祈るのみだが、そろそろモーリやルゥナーと合流している頃だ。彼らにもロノウェのメッセージを送ったから、よっぽどの事がない限り留めてくれると期待していた。
マルクトは背に金冠を背負い、絶対的な存在感でもって宙に浮いていた。
その周囲を取り巻くのは、まるで周囲から外敵の侵入を阻む、鳥籠のような鉄檻だった。幾重にも折り重なった鉄格子が行く手を阻む。
さらにそれは増殖し、いまも凄まじい速度で膨張を続けていた。
まるで俺やハルファスを捉えようとするかのように蠢き、方々に伸びていった。
「どうする、ハルファス?」
マルコシアスに次いで長い付き合い、そして戦闘に関しては絶対的な信頼を置いている少年悪魔にそう問うと、ハルファスは手にした長剣を振りかざし、にぃっと笑った。
「ひひ! サンダルフォンが創るっていうなら それより速く 破壊すればいいだけだ!」
目の前に迫った鉄檻を何の予備動作もなく分断しながら。
「本体を壊すなら 全部じゃなくて いいだろう?」
本体、つまりサンダルフォンを召喚したマルクトのみを狙っていく。
一点突破。
ハルファスの提案は、いつも分かりやすくていい。
視界の隅で人家にサンダルフォンの檻が突っ込んでいったのが見えた。
が、その鉄檻が人家を破壊する直前で消失する。
マルコシアスの滅びの力だった。
視界の隅に純白の翼が翻るのを確認してから、再びハルファスと肩を並べる。
「行くか」
「行くぞ!」
かぁん、と剣の柄を互いに打ち鳴らして。
背の翼を一振り、まっすぐにマルクトへと突っ込んでいった。
突如として目の前に数え切れぬほどの刃が出現した。
「どいてろ!」
しかし、一瞬でハルファスが飛び出して行って、凄まじい豪風で吹き飛ばしてしまう。
その刃の行く先が気になったが、大丈夫。
周囲への被害はマルコシアスがすべて無効化してくれる。
無数の刃を相手にするハルファスより先に出て、行く手を阻む檻を次々に分断していった。サブノックの加護を受けた長剣で、サンダルフォンの鉄檻を難なく切り捨てていく。
天使との戦闘は半年ぶりだが、何の問題もなかった。
全身の感覚が最大限に開ききっている。
ハルファスと二人、交互に前へと進みながらマルクトへの一点突破を目指した。
うねる様に形状を変える鉄檻を分断し、時に蹴り飛ばしながら少しずつ道を開いていった。
それもこれも、マルコシアスの援護があってこそのものだが。
いまも眼下の街からは悲鳴が上がっている。
こんな場所で悪魔を召喚し、サンダルフォンと戦闘するなどもってのほかだった。何を持っても避ける事態だったはずだ。
しかし、いまは違う。
マルコシアスの滅びが――彼がその能力を嫌っているのはすぐに分かったが――あればこそ、全力で戦える。
「ハルファス!」
死角に回れ、という言葉の裏の意味を読んで、ハルファスが進路を変える。
最後の鉄檻を分断し、俺はマルクトの頭上から降下する。
振り下ろした剣は、突如空中に出現した刃が受け止めた。
下からの斬撃で跳ね飛ばし、次に現れた数本の剣も多人数戦闘を応用して捌き切った。
遠距離はともかく、近距離戦闘に持ちこんでしまえばこっちのものだ。
ハルファスならすでに待機済みのはずだ。
「うおおおっ」
気合と共に怒涛の攻撃を仕掛けていった。
その陰から、ハルファスが迫る。
完璧な死角からの攻撃。もはやマルクトに逃れる術はないはずだった。
しかし、死角から飛び込んできたハルファスを振り向いたマルクトの深紅の瞳は、まるで避けるのさえ面倒だとでも言いたげな感情を隠そうともしていなかった。
「――っ」
胸騒ぎがした。
サンダルフォンはまだ力を温存している。いま、俺たちの相手をしているのは、本当に片手間にすぎないのだ、と――
ぞわりと背筋を恐怖が通り抜けた。
しかし、止める暇はない。
「死ねっ!」
ハルファスが剣を横に薙いでいた。
鋭い刃を受けたマルクトの華奢な肢体が空を舞った。
「ひひひ! そのまま地に堕ちろ!」
さらにハルファスの風が追い打ちをかける。
完全に崩壊した広場に向かって急降下していくマルクト。
やったか?
しかし、その体がふわり、と空中で停止した。
「まだだ」
剣を構え直す。
マルクトに接近したことで、俺とハルファスはいま、完全に鉄檻の中に取り込まれた形になっているのだ。
これがすべて押しつぶさんと迫ってきたらさしものハルファスも対応しきれないだろう。
背中あわせに、俺がマルクト方向、ハルファスは周囲の鉄檻を警戒した。
ところが。
ざぁ、と周囲を取り巻いていた鉄檻が灰燼と帰した。
「マルコシアス? ……いや、違う」
これは、創造した者の意思だ。
完全に無に帰す滅びとは違う、創造を中断する力。
つまりは、マルクトの力だ。
仰向けになったマルクトはぐるりと体を反転させ、まるで空に立つように、俺たちを見下ろした。
纏っていたマントが捲れ上がって、いや捲れ下がって少年と呼ぶには華奢すぎる肢体が露わになる。髪が逆立って覗いた首筋も、病的なほどに細かった。
「全く、だから中途半端に強いヤツとは闘いたくないんだ。手加減が難しい」
「なんだと! じゃあ本気出してみろよ!」
手加減と言われて、ハルファスが応戦する。
マルクトはふぅ、と軽く息を吐いた。
「仕方がないな」
マルクトが呟いた瞬間。
ずきり、と剣を握った左腕に違和感を覚えた。
「ぎゃっ」
隣で、ハルファスがうめき声をあげて体をくの字に折った。
「……え?」
喉から間抜けな声が出た。
何の前兆もなく、俺の左腕には鋭い刃が突き刺さっていた。
「オレの能力が何もない空間にモノを出すだけだと思ったら大間違いだ」
次の瞬間、ハルファスの背から幾本もの剣先が飛び出した。
「ぎゃあああっ」
「ハルファス!」
思わずハルファスを魔界へ帰す。
悪魔の生命力は底なしだから、大丈夫だとは思うのだが……しばらくは召喚できないだろう。
左腕に刺さった刃を引き抜いた。
「やはり手加減していたんだな、マルクト」
「……オレの能力ならいつでも貴様らを葬る事が出来ることを忘れるな」
引き抜いた傷口から血があふれだす。
左手の剣を落としそうになるが、なんとかこらえた。
しかし、このままではまずい。
「なぜその力で俺を殺さない? 一瞬だろう、心臓を貫くのは」
剣を右手に持ち替え、冷たい視線をくれるマルクトを睨み返した。
痛みがじわじわと広がってくる。
「王が貴様の死を望まぬからだ。生きたまま、裁く事が重要であるとお考えだ」
「王……ネブカドネツァル王か?!」
「違う」
マルクトは生気を失った白髪を振った。
そして、病的なほどに美しい深紅の瞳で俺を貫いた。
「オレの王はただ一人――メタトロン様だけだ」