SECT.11 最強ノ守護
マルクトとの戦闘経験はない。
サンダルフォンがいったいどのような能力を持つのか、いったいどれほどの戦闘力を持つのか。何もかもが不明だ。
先手必勝。
ねえさんが最も嫌い、俺が最も好む言葉が脳裏をよぎる。
いつだったかハルファスも口にしたその言葉を体現する事にした。
「ハルファスっ」
名を呼ぶだけで勘のいい戦の悪魔は先手を切ってサンダルフォンへと向かっていく。
「ひゃはは! 覚悟しろ! 覚悟しろ!」
周囲の風が渦巻いた。
それに触発されるように狼の姿をしたマルコシアスは地を蹴り、肥大した牙を閃かせてそれに続く。
「サブノック」
武器の悪魔の名を呼ぶと、壮年の剣士は漆黒の霧に姿を変え、俺が左手に構えた長剣にまとわりつくようにして姿を消した。
かわりに、長剣からは禍々しい気が漏れだした。
ハルファスが空から、マルコシアスが側面から、そして俺は二人から一歩遅れる形で真正面から、サンダルフォンを召喚したマルクトにかかっていった。
「愚かだな」
マルクトはまるで作り物のように美しい深紅の瞳でちらりと三方を見やった。
ハルファスの刃が、マルコシアスの牙が、マルクトに届く瞬間。
「サンダルフォン」
ハスキーな、少年とも少女ともつかないマルクトの声が響いた。
途端、その場に眩い光があふれだす。
「?!」
飛び込むのを一瞬ためらった。
「ぎゃっ」
ハルファスの短い悲鳴が響く。
同時に、目の前に黒々とした『何か』が出現し、すんでのところで回避した。
「痛ぇっ! 何だあれ?! 何だあれ!」
ハルファスがぎゃんぎゃん叫びながら距離を置く。
「……檻?」
マルクトを取り囲むようにして、鉄格子が幾重にも折り重なっている。
縦に横に、縦横無尽に走るそれは、この一瞬でその場に現れたとしか思えなかった。
「くっそー いてーな しょーがねー 一個ずつ破壊してやるよ!」
ハルファスの手に長剣が現れた。
「待て ハルファス」
少年の声がハルファスを諌めた。
「その必要はない」
漆黒の毛並みの狼が、ぶるりと全身を震わせた。
炎妖玉の瞳に光が灯る。
「創造には 滅びを 滅びから 創造を」
ぞわり、と背筋の凍る感覚が這った。
この感覚には覚えがある。
「世の理に 消えるがいい」
マルコシアスの言葉と共に、マルクトを取り巻く防御鉄格子が一瞬にして灰燼と帰した。
メタトロンやグラシャ・ラボラスが持つのと同じ、滅びの力。
「……あぁ」
思わず喉の奥から声が漏れた。
マルコシアスの加護を受けている自分の中でも、同じ滅びの力が膨れ上がったのを感じたからだ。それは、何もない暗黒と同じだった。光はなく、音もなく、感覚のすべてが消失する無の力――滅び。
本当に、マルコシアスがグラシャ・ラボラスの片割れなのだと実感した。
「マルコシアス……この裏切り者が」
マルクトが忌々しげに呟いた。
それに答えるよう、漆黒の毛並みの狼が唸りをあげる。
マルクトを警戒したまま、自分もマルコシアスの隣に並んだ。ハルファスもその上空に待機する。
テントの中の荷物を散乱させ、抉れた地面の上に佇んでいるマルクト。このままではテントを破壊するしかない。
もちろん、それを気にしながら戦える相手でないのは重々承知している。
「……モーリには後で謝るか」
はぁ、と一つ溜息。
「ハルファス!」
「ひひ! いいのか? いいのか? おれ知らないぞ!」
「いい。俺が赦す」
「ひゃははは!」
嬉しそうに飛びまわったハルファスが手にしていた剣を振りかざす。
「吹き飛べ!」
凄まじい速度でテントを切り裂いたハルファスの剣が収められる間もなく、凄まじい豪風がその場を吹き荒れた。
その風の向こう、マルクトが佇んでいるのが見えた。
マルクトはまだまだ本気を出していない。メタトロンと並び称されるサンダルフォンの力が、こんなものであるはずもない。
ならば、このまま一気に畳みかけるまで。
「……マルコシアス」
小さな声で呼ぶと、マルコシアスは視線をマルクトから離さず、耳の方向だけを変えた。
「このまま空から国境を越えます。セフィロト国の目をすべて俺に向けて、強行突破したい。無理にでもリュケイオンに入ってしまえば、そこはオリュンポスの治める土地です。いかにセフィラといえど、手は出せないはずですから」
リュケイオンはほとんど他の国と交流を持たない民主主義国。セフィロト国とは不可侵条約を締結しているはずだ。自分はともかく、隣国セフィロトから神官が飛び込んでくれば、オリュンポスが黙っているはずはない。
しかし、もしオリュンポスが自分の敵方に回ったとしたら、自分はセフィロトとリュケイオンの間で身動きが取れなくなってしまう。
また自分は、考えなしに行動してしまうんだな。
ねえさんに、やめなさい、と口を酸っぱくして言われ続けた事を繰り返そうとしているのに気づいて、思わず苦笑した。
「ならば 我はサンダルフォンを 留めればよいな」
マルコシアスが鋭い牙を閃かせる。
が、俺は反射的に首を横に振った。
「いいえ、俺とハルファスでマルクトの相手をします。だからマルコシアス、貴方は街の人々を守ってください」
「滅びの力を持つ我に 人を護れというか」
どこか自嘲を含んだその言葉に、なぜか心のどこかがちくりと痛んだ。
もしかすると、マルコシアスは――
「はい。きっとたくさんの人を天使や悪魔の攻撃から守るのには、きっと剣でもなく、風でもなく、滅びの力が必要です」
滅びと守護は、もしかしたら相容れない関係に見えるかもしれない。
しかし、それは違う。
いかなる攻撃をも無効化する『滅び』は、最強の攻撃であると同時に、最高の防御でもあった。
「俺が頼む事じゃないのかもしれない。でも、マルコシアスの力なら出来ると思います。だから、滅びの力でこの街を守ってください」
何もかもを無効化する滅びの力ならば、いかなる攻撃からも人々を守る事が出来る。
それを聞いたマルコシアスは、驚いた様子だったが、狼の口は笑いの形になった。
「だから 我はお主を選んだのだよ アレイ」
「マルコシアス?」
首を傾げると、大きな純白の翼を一振りして、マルコシアスは飛び立った。
俺も漆黒の毛並みの狼となった師匠を追うようにして、翼を広げた。
「マルクトは俺とハルファスに任せてください。きっと、国境を越えて見せますから」
それを聞いたマルコシアスは嬉しそうに笑った。
「よかろう どれほど 成長したか 見せて貰おうか」
その言葉にどきりとする。
師匠に成果を見せてみろ、と宣言されたのだ。
下手な戦いは出来ない。
「気を抜くな アレイ 我も出来る限りで 援護する」
「よろしくお願いします」
跳び上がれば、すでに細切れにされたテントの破片が強い風の中で舞っている。
大きくちぎれた部分からは空が覗き、ハルファスはすでにマルクトに二撃目を仕掛けていた。
左手に剣を構え、ハルファスの援護に入った。