9 ジーク視点 そんなところも可愛いけど、戻ってきて欲しい
「しっかり休んでね!」
元気にそう言って、アイナは素早く姿を消した。
「あっ……」
ベッドに寝たまま手を伸ばしても、彼女に届きはしない。
先ほどまでアイナにいじられていた、僕のこの手。
行き場を失ったそれは、空気を掴み、ゆっくりと下がっていった。
アイナは、僕が寝るまで一緒にいると言ってくれた。
そんな彼女に、早く部屋を出た方がいいと伝えたのは僕だ。
弱った夫の近くにいたいというアイナの気持ちも、離れた方がいいという僕の判断も、それを聞いてこの部屋を出たアイナも間違っていない。
そう、間違ってない。家族を大切に思うからこうなったんだ。これでよかったんだ。
そうなんだけど――
「……寂しい」
静かに息を吐き、天井を見上げた。
家族のための選択だとわかってるけど、それはそれ、これはこれだ。寂しいものは寂しい。
僕らは、18歳の頃から一緒に暮らしている。
家族に捨てられたのかもしれない、と苦しんでいたとき。
跡取りとして父にしごかれていたとき。
外で嫌なことがあったとき。
体調を崩して弱ったとき。
いつだって、アイナは僕のそばにいた。
アイナがいてくれたから、頑張れた。
アイナを抱きしめれば、嫌な気持ちも吹き飛んだ。
身体の調子が悪くたって、アイナがいれば安心できた。
失いたくない。絶対に彼女の手を離したりしないと、ずっと思っていた。
それなのに、こんなところでアイナと離れることになるなんて……。
「旦那様」
「うん……?」
悲しみに暮れる僕に、メイドが声をかけてくる。
仕事中だから澄ましているけれど、多分、心の中はそれなりに盛り上がっている。
うちの使用人たちが、僕らを見て楽しんでいることぐらい、わかっているのだ。
しばらくのあいだ、メイドたちの話題は「奥様と離れ離れだなんて、お可哀想に ……」になるのだろう。
「出来る限り早く奥様を取り戻せるよう、使用人一同、旦那様に尽くします」
「えっ、いや、ただの風邪だし、そこまでは……。薬を飲んで寝ていれば大丈夫だろうから、君も下がってくれてかまわないよ」
気持ちはありがたいけど、風邪と妻不在の合わせ技で弱る姿なんて、進んで見せたいものでもない。
それに、使用人なら風邪をうつしてもいいわけでもない。
できれば、そっとしておいて欲しい。
けれど、アイナから「主人をお願いします」と言われていることもあり、下がりにくい部分もあるだろう。
そう思い、言葉を続ける。
「……一応、たまに様子を見に来て、呼び出しがあれば早めに応じて欲しい。あとは……食事は身体に優しいものを」
こう伝えれば、とりあえず一人にしてもらえた。
もぞもぞと動いて、横向きになる。
いつも二人で使っているベッドに横たわるのは、僕一人。
半分余った空間を見ると、これが孤独か……みたいな気持ちになってくる。
真ん中に移動すれば、寂しさも紛れるかもしれない。
そう考えて動いてみたけれど、虚しさが増すだけだった。
僕には愛する妻がいて、家庭を築くことを互いに望んでいる。
今こうして寂しく過ごしているのだって、家族のためだ。
そんな人間が孤独ぶるのは変だって、自分でも思う。
……でも。
熱が出ていてだるい。
これから咳が出るようになるのか、喉に違和感がある。鼻もむずむずする。
珍しくこんな状態だから、気持ちが身体の不調に引っ張られてしまう。
妻と離れただけで孤独感に襲われるなんて、ずいぶん弱い人間だなと思う。
けれど、アイナがいるから頑張れたこともたくさんある。彼女がくれた強さなんだろう。
アイナは、強さと弱さの両方を僕にくれた。
ああそういえば、彼女は「あなたにはしばらく近づきません」みたいなことを言っていたな……。
しばらくってどのくらいなんだろう。近づかないって、僕を避けるつもりなんだろうか……。
「……早く治そう」
めそめそしてしまったけど、自分がやるべきことはわかっている。
しっかり栄養を摂って薬を飲んで寝て、さっさと風邪を治せばいい。
嫌われたわけじゃないんだから、体調さえよくなれば、アイナを取り戻すことができるのだ。
よくよく考えれば、このままだと仕事にも影響が出る。早く治すにこしたことはない。
そう結論して目を閉じれば、すっと眠りに落ちた。
翌日は仕事の量を調整して、なるべく安静に。その後も、無理はしないようにした。
その甲斐あって、数日後の朝にはすっかりよくなっていた。
体調を崩している期間はほとんど会えず、同じ家にいるのに、手紙でやりとりをしていた妻。
やっと、アイナに会えるんだ。
そんなとき、屋敷の中でアイナを見つけた。
感動の再会のような気持ちになって、彼女に笑顔を向ける。
すると、アイナはどこか得意気にこくりと頷き、足早に去っていった。
わかってるよ、ジーク。
という声が聞こえた気がした。
えっと……。多分、もう大丈夫なんだけど……。
そんな僕らの姿を目撃した使用人は、笑わないよう必死に耐えていた。




