6 まだ半日だけどキャパオーバー
前世は18歳で終わってしまったけれど、今は23歳。
前世の年齢を超え、大好きな人と結婚した今、未練という未練はない。
でも、大好きな人と自分が知っている世界は違う。
それを実感して、どうしようもなく寂しくなることがある。
私は一人なんじゃないかって、怖くて、寂しくて、悲しくなる。
でも、そのたび、私の悲しみを感じ取ったジークベルトが包み込んでくれて、更に彼を好きになるところに落ち着く。
どこまで惚れさせたら気が済むんだろう。
彼と手を繋いだままショーウインドウを眺め、この人とずっと一緒にいよう……と決意を新たにしたとき。
隣を歩くジークベルトに、大きななにかが飛びかかってくるのがわかった。
危ない。そう叫ぼうとしても、既に遅く。ジークベルトはそのなにかに突進され、鈍い声を出した。
「うぐっ……」
「ジーク!」
立場上、私たちは誰かに襲われる可能性がある。最悪の事態を考え、彼に手を伸ばした。
そんな私の目に映ったのは、ちょっとよろけただけで、絶体絶命の痛みなんてものは感じていなさそうな夫と――
「犬……?」
「犬……だね……。それも、わりと大きい……」
ちぎれそうなぐらいに尻尾を振り、彼に飛びつくシベリアンハスキーのような犬の姿だった。
「首輪はしてる……。けど、名前のプレートとかはないね」
「そう……」
「珍しい犬種みたいだから、すぐに飼い主が見つかると思うけど」
「そうだね……」
「アイナ?」
歯切れの悪い私が気になったのか、しゃがみこむ彼がこちらを見上げる。
前世の記憶がある私からすればハスキーはそこまで珍しくもないけれど、この国ではあまり見かけない犬種で、彼は初めて見るようだった。
それはともかく。今、私が気になっているのは犬種ではない。
「すごく……舐められてるなって……」
「はは……」
気持ちや態度の話ではなく、物理的に。
言葉通り、彼は手や顔を犬に舐められていた。それはもう、べろんべろんと。
この人が動物に好かれやすいのは知っていた。それでも、初対面でここまでは珍しい。
突然現れて人の夫にタックルを決めたハスキーは、転がってお腹を出し、撫でて欲しいと訴え始めていた。
飛びかかってきたのが人懐っこい犬でよかった。これがもし、悪意のある人間や凶暴な生き物だったら――
「心臓に悪い……」
「同感だよ」
こんな立場だから、当然、私たちには護衛がついている。
彼らがジークベルトの前に出なかったということは、危険はないと判断されたわけで……。
少し考えてみればわかることでも、その瞬間にそこまで理解することはできない。まだ心臓が変な音を立てている。
少しでも安心したくて、ハスキーのお腹を触るジークベルトの頭を撫でた。
「無事でよかったあ……」
「心配かけたね。この通り、僕は大丈夫だよ。それよりこの子だ。飼い主のところに帰してあげよう」
「うん」
まずは交番へ向かう。迷い犬の届けが出ているかもしれないからだ。
夕方までに手がかりが見つからなければ、こちらで預かることも考えていたけれど、あっさりと飼い主が見つかった。
私たちと入れ替わる形で交番から出てきた女性。その人が、このハスキーの飼い主だった。
なんでも、一緒に休暇を楽しもうとこの街に連れてきたところ、突然走り出し、そのまま迷子になってしまったとか。
ちなみに、ハスキーの名前はレオだそうだ。
女性は何度も何度も私たちにありがとうと言い、お礼をしたいから名前や宿泊先を教えて欲しい、と言ってくれた。
気持ちはありがたいけど、王族とその妻のお忍び旅行だから、それはちょっと難しい。
どうしようかと思っていると、ジークベルトが前に出て、
「あなたとレオくんが無事再会できた。僕たちはそれで十分です。それに、お礼も既にもらっています。あなたたちの嬉しそうな表情こそが、なににも勝るお礼ですよ。これ以上いただくなんて、とんでもない」
なんて風にかわした。
おまけにサングラスを上にずらして微笑んだものだから、女性はもう「はい……!」としか言えなくなっている。
……この人は、自分の武器をよくわかっている。
再会できたからそれでいいとか、嬉しそうな表情がお礼になるとか。どちらもジークベルトの本音だと思う。
でも、なんとなく……。なんとなあく、「この男……」と思ってしまった。
徐々に小さくなる一人と一匹に手を振りながら、ちょっと冷たい声を出してみる。
「……流石ジークベルトさん。犬に人気。女性にも大人気」
「なんか棘があるなあ……」
「……でも」
「ん?」
「そういうところも……好き」
「……!」
動物に好かれやすいところも、人に任せず自分で動いたところも、相手を傷つけずに上手く断るところも。……更に言えば、今の私の一言で喜んでいるところも。
どれも、この人のことを好きだと思わせる要素でしかない。
今日だけで、どれだけ彼への想いが積みあがったんだろう。
「今日はこれぐらいで勘弁して……!」
「君の中でなにがあったの……?」




