5 ジーク視点 親に感謝しているという話
「はあ……」
今日は、外出先で嫌なことがあった。気持ちを切り替えることができず、ため息をつきながら帰宅。
屋敷に入ると同時に、待ってましたとばかりにアイナが僕の胸に飛び込んできた。
「おかえりなさい、ジーク」
玄関先で、彼女は僕の胸に頰を寄せる。
「……ただいま、アイナ」
アイナを抱きしめると、今度は安堵から息が漏れた。
小さくて、柔らかくて、あったかくて、いい匂いがして……とても安心する。
僕らが猫だったら、互いにごろごろと喉を鳴らしていそうだ。
僕も彼女も人間だから、喉は鳴らない。
代わりに、
「ジークぅ……」
と甘えた声で僕の名前を口にしていた。
1人で寂しかったのか、彼女は僕の腕の中でふにゃふにゃになっている。
今日のアイナはずいぶん甘えん坊だ。
じーく、じーく、ととろけた声で繰り返され、耳が溶けそうだ。
人間、生きていれば嫌な思いはたくさんする。
今日のように、溜息をつきながら帰ってくることだってある。
けれど、こうしてアイナに迎えられたら全て吹き飛んでしまう。
他人とあった嫌なことより、妻が可愛いことの方が重要だ。
どうでもいいことに気持ちを割くだけ無駄だ。愛しい妻に甘えられているこの瞬間を、全力で味わうべきなのだ。
僕の中にあったもやもやが、愛おしさに押し流されてどこかへ消えていく。
「あ……」
へにゃへにゃになっていたアイナから、なにか気が付いたかのような声。
「うん?」
「ジーク、ご飯まだだよね? お腹空いてるだろうしご飯にしよっか」
「僕としては、食事より君を先に……」
「ご飯が先」
「……わかったよ」
いつだったか、ご飯が先だと言うアイナを無視し、自分の欲求に従ったことがある。
結果、かなり怒られたうえにしばらく口を聞いてもらえなかった。
あれはかなり効いたため、こういうときは彼女に従うことにしている。
「ジーク」
ダイニングへ向かう途中、先を歩いていたアイナが振り返る。
彼女の動きに合わせ、金の髪がふわふわと揺れた。
「今日もお疲れ様。ご飯を食べたらゆっくり休もうね」
「……休めるかな」
「え?」
「二人になったらわかるよ」
「……!」
僕の意図を理解した彼女が頰を染め、口をぱくぱくさせる。
18の頃から一緒に暮らしていたというのに、初心だ。
頭がよくてしっかりしていると思ったら、抜けているところもあり。
とても可愛くて優しいのに、自分の魅力をわかっていなさそうで。
甘えてきたかと思えば、ご飯が先だと妙に冷静だったりする。
僕の家には、こんなにも愛しい人がいる。妻として、僕を待っていてくれる。
「帰ってこようって気持ちになるなあ……」
「いきなりどうしたの?」
「さて、夕食が先だったね。早く済ませよう」
「う、うん」
彼女の手を取り、少しだけ歩くスピードを上げる。
歩幅の違いも考えた速度だから、僕からすればそれでもゆっくりだけれども。
こんなちょっとした違いですら愛おしく思えてくる。
昔からアイナのことが好きだったけれど、こんなにも重症になるとは思っていなかった。
年月が経ち、彼女のことを知れば知るほど、一緒にいればいるほど愛おしくなってくる。
僕たちの婚約を決めた両家には、感謝してもしきれない。
「親に感謝、だな……」
僕の小さな呟きは、アイナの耳には届いていないようだった。




