アイナ・ラティウス・シュナイフォード
前世の記憶を取り戻してから、13年。私は23歳になっていた。
自分が誰なのか。なにをしたいのか。ここにいていいのかどうか。色々なことが分からなくなっていた私は――
「アイナ」
「ジーク!」
今日、この人と、将来を誓い合う。
支度を終えた私の元にやってきたのは、今日から私の夫になる人。
大好きな人の声に応えて振り向けば、彼は、ほう、とため息交じりにこう口にした。
「……とても、とてもきれいだよ」
「ジークも、すごくかっこいい」
純白のドレスに身を包んだ私に、愛おしげな瞳が向けられる。
この結婚式のあと、ジークベルトはシュナイフォード家の当主として認められることになっている。
いつだって入籍できたけど、彼が独り立ちを許されてからにしようと決めていたのだ。
待たせてごめんと言われもした。でも、私の方には待ったつもりはない。
二人一緒に歩み、成長した、大切な時間だった。
ドレスのデザインには、ジークベルトが深く関わっている。
アイナの優しさをもっと表現したいとか、もっと清楚に、とか。
注文やこだわりが多すぎて、私の方が疲れてしまったぐらいだ。
そうして出来上がった愛情たっぷりのドレスは、私の宝物になるんだろう。
対して、ジークベルトは比較的シンプルな格好をしている。
この世界・立場では、男性の婚礼衣装も華やかなことが多い。
けれど、ジークベルトは可能なだけ装飾をそぎ落とした、白いタキシードスタイルだった。
日本の教会に現れてもおかしくはない。
ジークベルトが言うには、自分よりもドレスを着た妻をよく見て欲しかった……とか。
けれど、シンプルだからこそ、顔やスタイルの良さが引き立てられていて……。こんなの、みんな彼に釘付けになるに決まっている。
この人を見慣れているはずの私ですら、あまりのかっこよさにくらくらしそうだ。
純白のドレスに、白いタキシードなんていう、いかにもな衣装。
そんな姿で顔を合わせると、いよいよ式本番なんだと思えた。
立場が立場だから、式には、高貴な人がこれでもかというぐらいにやってくる。
パレードとまではいかないけれど、国民の前で結婚を報告する場も用意されている。
ジークベルトは王族の中でも人気が高いため、多くの人が駆けつけるとわかり切っていた。
正直なところ、
「「緊張する……」」
同じ言葉が、同じタイミングでこぼれた。
あれ、と顔を見合わせ、ほぼ同時に笑いが漏れた。
「どうしても、緊張はするよね」
「うん」
「……時間はまだあるし、ちょっと出てみようか」
「え、でも、ドレスが……」
ウエディングドレスだから、動き回ることは想定されていない。
補助がないと動きにくいし、行き先によっては、本番の前に衣装を汚してしまう。
「……お姫様抱っこでもしようか?」
「……バカ」
お姫様抱っこは却下し、専属スタッフの手を借りて移動。
頼ってもらえなかった彼は、哀愁を漂わせていた。
そうして移動した先は、中庭を見下ろすことができる場所。
この辺りは、私たちとスタッフしか入れないようになっている。
気を利かせてくれたようで、すぐに二人きりにしてもらえた。
「……きれい」
「そうだね」
ガラス越しに見下ろした風景は、それはもう、見事なものだった。
季節の花々に、よく剪定された木々。小鳥も軽やかに飛んでいる。
聞いた話によると、ここはシュナイフォード家御用達の式場だそうで。
リッカ様やフロレンティーナ様も、ここに立っていたのかもしれない。
そんなことを考えつつ小鳥を目で追っているうちに、昔のことを思い出した。
「ねえ、ジーク」
「ん?」
「昔……。小さい頃の私が、鳥の巣をもっと近くで見たい、って言ったことがあったよね」
「……そんなこともあったね」
前世の記憶を取り戻す前の、淡い思い出。
10歳にも満たないあの頃、私はジークベルトのことが好きだったんだろう。
「そうしたら、ジークは『やめておこう』って言ったの。小鳥たちの邪魔になるから、って。残念だったけど、あなたの言う通りだなって思った。ジークは……昔から優しくて、しっかりしてたんだね」
「……君は昔から可愛かった」
「もう……」
こんなにも素敵な人への気持ちや、隣にいられる立場を、放棄したいと考えたこともあった。
……でも、今は。
今までより、ずっと。この人のことが好きだ。
私は彼のことが好き。ずっと隣にいたいって、胸を張って言うことができる。
自分が誰なのかわからなくなって、あったはずの恋心にも、自らふたをした。
それはいつしか、しっかり閉じたはずの場所から溢れるほどの大きさになっていて。
大好きだって気持ちを認めたほうが、ずっと楽だった。
自分の中に2つの人生があるのは、つらいことだった。
前世のことなんて思い出さなければ、疑問なく今を受け入れて幸せになれたのに、と何度思ったことか。
けれど、今ならこう思える。
迷い悩んだからこそ、自分が大事にしたいもの、手放したくないものが、はっきり見えるんだって。
隣に立つ人を見上げる。
盗み見るつもりだったのに、彼がこちらを見ていたせいで、ばっちり視線が絡んでしまった。
頭一個分高い位置から、愛おしげに、優しく目を細めて。
いつから見られていたんだろう。恥ずかしくなって、思わず目をそらした。
「アイナ? どうしたのかな?」
「……わかってるくせに」
「なかなか慣れてくれないところも、可愛いと思ってるよ」
幼馴染で婚約者の彼、ジークベルト・シュナイフォードは、昔からずっと、私を大切にしてくれた。
もしも「君はアイナじゃない」と彼に拒絶されていたら……きっと、私はアイナ・ラティウスではいられなかった。
ジークベルトが私の手を掴んでいてくれたから、アイナとして暮らす場所や人を、大事にしたいと思えたんだ。
「ジーク」
「なんだい?」
「ありがとう」
私は、前世のことを誰にも話していない。
打ち明ける前に、自分の中で落ち着いてしまったのだ。
だから、この「ありがとう」の意味の全てが伝わることはないのだろう。
それでも、私は何度だって、彼にこう言うんだ。
「ありがとう、ジーク。あなたがずっと近くにいてくれて……。これからも一緒にいられること、ほんとうに、ほんとうに嬉しいの」
彼は驚いたように数度瞬きをしてから、柔らかく表情を変えた。
「……うん。僕も、とても嬉しいよ」
大きな手が、そっと私の肩におかれた。
ジークベルトがまとう雰囲気はいつになく真剣で。
彼もまた、この瞬間を噛み締めているのかもしれない。
「アイナ。愛してるよ」
私たちの影が、重なった。
アイナ・ラティウス。すっかり馴染んだこの名前も、今日からは少し違ったものになる。
アイナ・ラティウス・シュナイフォード。それが、私の新しい名前。
自分で選んだ、失いたくないと思える、大事なものだ。
ここにいると決めた私のことも、私を離さないでいてくれた彼のことも、きっと、後悔なんてさせはしない。
「大好きだよ、ジーク。……私も、あなたを愛してる」
二人の結婚まで見守っていただき誠にありがとうございました。
ご祝儀代わりの☆などいただけますと……嬉しいです……!
ここからは結婚後のお話が始まります。




