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【本編完結】私の居場所はあなたのそばでした 〜悩める転生令嬢は、一途な婚約者にもう一度恋をする〜  作者: はづも
18歳

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19 半人前以下の私たち

 ジークベルトが当主代理となって、1年ほどが経過した。

 1年ぐらいで戻るという話が本当なら、彼の両親は、そろそろ帰ってくるはずだ。

 届くのは絵葉書だけで、危険を知らせるようなものは送られてこない。

 なにかあれば、流石にこちらにも知らされるはず。

 だからきっと、二人は無事に帰ってくる。私は、そう信じたい。


「アイナ」

「んむ」


 隣に座るジークベルトに頬をつつかれる。今は、休憩中の彼と並んでソファに座っているところだった。

 彼が子供のころから使っているこの部屋には、私との思い出の品が散りばめられており、なんだかくすぐったい気持ちになる。

 感触が気に入ったようで、ジークベルトは本格的に私の頬をいじり始める。


「ジーク?」

「気持ちよさそうだったから、つい」

「実際に触ってみて、どうでしたか?」

「ぷにぷにしてたよ」

「もう……」


 ジークベルトは冗談めかして笑う。きっと、不安が顏に出ていた私を気遣ってくれたんだろう。

 相変わらずよく気が付く優しい人だ。


「えい」


 こちらからも、ほっぺたを触り返す。私は彼と違って遠慮がないから、ぐに、と掴んでいけるところまで伸ばしてみた。

 男の人のわりに、意外と伸びるのだ。

 いつもかっこいい人の、ちょっと間抜けな顔。こんな顔を見ることができるのは、私だけ。


「ふふっ……」

「いひゃいよ……」

「こうすると、顔のよさも台無しだね」


 くすくす笑っていると、されるがままだった彼が、急にむすっとした顔になる。

 ……もしかして、やりすぎた? 怒らせてしまったのだろうか。

 そろそろ手を離そうかと考え始めたとき、彼の手が、私の腰にまわされた。

 そのまま私をクッションに沈め――


「休憩時間は残ってるんだよ、アイナ?」

「……!」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 これはまずいと直感する。ジークベルトのスイッチを入れてしまったようだ。


「ま、待ってジーク。今、昼間……」

「待たないよ」


 ジークベルトはにこにこといい笑顔をするだけで、どいてくれそうにない。

 こうなった彼から逃げることはできないって、私はよく知っている。

 私も嫌ではないし、覚悟を決めてしまおう。彼を受け入れるつもりで背に手を伸ばそうとした、そのとき――


「ジークベルト様!」


 勢いよく扉が開かれる音と、男性の声が耳に届いた。

 シュナイフォード家の使用人が、ノックもなく私室のドアを開けたのだ。

 許可を得る余裕すらないことが起きたのだと、すぐに理解できた。


「どうした」


 ジークベルトの声は、いつもより低い。

 彼はいつの間にか身だしなみを整えて立ち上がっており、きりっとした顔つきになっていた。

 さっきまで私を押し倒していたくせに、この切り替えの早さは流石だ。

 私も衣服を整えて、身体を起こす。

 息を切らせた使用人は、乱れた呼吸を整えながら、絞り出した。


「旦那様と、奥様が……」


 続く言葉は、いい知らせか、悪い知らせか。一瞬の静寂が、永遠のように感じられた。


「お二人が、無事に戻られました……!」


 無事に、戻ってきた。今、確かにそう聞こえた。


「ジーク……!」


 喜びのままに、大好きな人の名前を呼んだ。

 名前を呼ばれたその人は、深く息を吐き、どかっとソファに腰掛けた。

 

「ジーク、よかっ……」


 よかったね。言い切る前に肩を引き寄せられ、言葉が途切れた。

 私からも彼に寄り添うと、向き合う形になって抱きしめられる。


「よかった……。本当に、よかった……」


 彼の手も、声も、小さく震えていた。

 この人は、いつだって優しく微笑んで、冗談を言って、私に触れて……。

 そうやって過ごしていたって、本当は不安で仕方なかったはずだ。いっぱい甘えてくる夜だってあった。

 家族の無事を祈りながら過ごす日々は、彼の心にたくさんの負荷をかけていたはずだ。

 ジークベルトは、ようやくその苦しみや痛みから解放されたんだ。

 私を抱く腕には、少し痛いぐらいに力が込められている。

 優しい彼にしては珍しいことだった。それだけ、今はなにも考えられないんだろう。


「ジーク……。もう大丈夫。大丈夫だからね」


 私も、いつもより強く彼を抱きしめた。

 彼の力には及ばないけれど、少しの痛みは与えているかもしれない。今はきっと、痛いぐらいでちょうどいい。

 その方が、私がここにいるって、確かに伝わるだろうから。


 どのくらいの間、そうしてくっついていたんだろう。

 知らせを聞いただけで胸がいっぱいになってしまった私たちは、二人の世界に突入しかけていた。

 彼のご両親が帰ってきた、ということは……つまり、二人ともこの家にいるわけで。

 息子の出迎えがなかったら、向こうから様子を見に来るのは当然のことだ。


「ジークベルト」


 咳払いとともに、落ち着いた男性の声が耳に届く。

 この家で、当主代理を呼び捨てにできるのは当主ぐらいのものだ。

 

「父上……」


 抱き合ったまま、二人揃って顔を上げた。

 そこには、なんとも難しい顔をしたエーレンフリート様と、嬉しそうに口元を抑えるフロレンティーナ様の姿があった。


「いつまで経っても出迎えに来ないから、こちらから来てしまったぞ」

「も、申し訳ありません……」


 バツの悪そうな顔をして、ジークベルトが立ち上がる。


「おかえりなさい。父上、母上」

「ああ。ただいま、ジークベルト。お前を待つあいだ、少し話を聞かせてもらった。よく頑張ったな。だが、まだまだ半人前以下だ」

「帰ってきて早々手厳しいなあ……。そもそも、父上が急にいなくなるからではありませんか」


 後半は、明らかに拗ねた声色だった。そのまま父と息子の言い合いが始まる。

 私がそこに混ざれるはずもなく。ジークベルトの後ろに控えて、成り行きを見守った。

 互いに言い尽くした頃、エーレンフリート様が少し胸を張り、ジークベルトにまっすぐに向き合う。


「私が帰ってきたからには、今までのようにはいかないぞ。この家を背負える男になるまで、厳しく指導してやる。覚悟しておくように」

「……はい!」


 ジークベルトの声には、喜びの色が滲んでいた。

 ――よかったね、ジーク。

 姿勢を正す彼の背中に向けて、心の中でそう言った。

 場が落ち着いた頃を見計らって、フロレンティーナ様が私に近づいてきた。


「アイナさん」

「は、はい」

「あなたがジークベルトを支えてくれたのね。ありがとう。二人で一緒に住んでいることも聞いたわ」


 フロレンティーナ様の言葉にはっとする。

 すっかりシュナイフォード邸の住人になっていたけれど、ご両親の許可は得ていないのだ。

 彼の家族が帰ってきた今、私はラティウス家に戻るべきなのかもしれない。


「あの、フロレンティーナ様。私、実家にもど……」


 戻る、とは言っていない。戻ったほうがいいでしょうか、と聞くつもりだった。一応、これでも婚前なのだ。


「アイナ!?」


 言葉の途中で、ジークベルトがぐるんとこちらに顔を向ける。即座に距離を縮め、私の前でぷるぷる震え始めた。


「ア、アイナ、今なんて……。も、もど……」

「えっと……」

「アイナ……」


 黒い瞳を潤ませ、眉を下げ。

 彼の顔が上にあるはずなのに、上目遣いで見上げられている気分になってくる。

 今、私の目の前にいるのは、当主代理? 王位継承権を持つ人? 理想の王子様みたいだと評判の男性?

 ……どれも違う。甘えん坊で寂しがり屋な、ただのジークベルトだ。

 今も昔も、私はこの子犬のような顔に弱い。


「アイナさんがいなくなったら、ジークベルトがダメになりそうねえ」

「ダメになります」

「あら、即答」

「アイナ……。ずっと一緒にいるって……。そばにいるって言ってたじゃないか……」

「あらあら」


 ジークベルトは、すがり着くように私に抱きついた。自分の両親に見られていることなんて、おかまいなしだ。

 大丈夫だよ、一緒にいるよ。そう言ってあげたいけれど、私に決定権はない。

 頷くことはせず、彼の背を撫でるにとどめた。

 エーレンフリート様たちが、小声で話しているのがわかる。

 話がまとまったのか、お二人はこんな風に言ってくれた。


「……アイナさん。君さえよければ、これからも息子と一緒にいてやって欲しい」

「一緒に暮らすなら、本邸より離れの方が落ち着くんじゃないかしら?」

「父上、母上……。アイナ、どうかな?」


 そう聞いてくる彼は、どこか不安そうで。

 私は、バカね、と思いながら、いつだかと同じ言葉を繰り返した。


「……嫌だって言われても、一緒にいるよ」



***



 こうして、私とジークベルトは離れへ移動し、引き続き一緒に暮らすことになった。

 エーレンフリート様に厳しく指導されているようで、彼は疲れた顔で戻ってくる。

 けれど、なんだか嬉しそうにも見えた。

 私は私で、フロレンティーナ様による奥様教育を受けている。

 

 二人揃ってくたくたのこともあるけれど、一緒に溜息をつけば、くすくすと笑い合えた。

 自分たちの力のなさにしょんぼりする日もあった。たまには喧嘩もした。

 そうして、少しずつだけど、確実に成長していた。

 一人前と認められるまで、あと何年かかるかわからない。

 けれど、そう遠くないうちに、認めてもらえるって信じてる。

 それまで……。ううん、それからも。

 ずっとずっと、二人で歩み続けるんだ。

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