12 婚約指輪は突然に
別荘に来て、数週間経ったころのことだった。
「ちょっと出かけてくるよ」
「じゃあ私も……」
「ごめん、今回は一人で行きたいんだ。ここで待っていてくれるかな?」
「う、うん……」
ジークベルトは、同行したいという私の申し出を断って、一人で外出した。
これまでも別行動することはあったけど、それぞれの体調や目的に合わせてのこと。
この日のように、なんの説明もなく置いていかれるのは初めてだった。
一人でどこに行くんだろう。
ご飯なら、私も連れて行ってもらえるはず。買い物だって同じだ。
……婚約者の私には、言えないような場所。それも考えにくい。
私はジークベルトを信じているし、彼が他の女性に興味を持っているようにも見えない。そのあたりのことは、この別荘で心身に叩きこまれてしまった。
私を置いて行くべき場所や用事は思いつかなかった。
少しだけ悩んだあと、一人になりたいときもあるとか、おうちの事情かもしれないとか、それくらいで片づけた。
どうしても気になるなら、帰ってきた彼に聞けばいい。
別荘に残された私は、本を読んで過ごすことにした。
ジークベルトのお姉さんたちの趣味なのか、それなりの数の恋愛小説が置かれているのだ。
未読のものを手に取り、椅子に腰かける。
好きな人と一緒も嬉しいけど、こうして一人で静かに過ごすのもいい。
この小説は、普通の男の子とお嬢様の恋の話のようだ。
二人は徐々に惹かれ合っていくものの、身分の違いを気にした少年は、彼女に自分の想いを告げずにいた。
けれど、ある日。机に突っ伏して眠る彼女の肩に毛布をかけ、「好きだ」と一言だけ告げて――。
ここまで読んだ私は、「好きだって気持ちはとめられないよね……」とわかったような顔で頷いた。
しかもこの場面、眠っていると思われていたお嬢様には、うっすらと意識があったのだ。
そのため、動揺して彼を避けるお嬢様と、急に距離を取られ困惑する少年のすれ違いが発生している。
状況は異なるものの、まだ小さかったジークベルトに頬へキスをされ、びっくりして逃げ回った私みたいだなあ、なんて感じてしまった。
そんな私も、今ではほぼ毎日ジークベルトと同じベッドで寝ているし、一人の夜に戻りたくないとも感じ始めている。
彼が根気よく私に向き合ってくれたからだろう。
小説の中の君も頑張ってね……嫌われたわけじゃないんだよ……。そう思いながらページをめくった、そのとき。
「ひゃうっ!?」
「ただいま、アイナ」
「ジーク……? びっくりした……。おどかさないで」
突然なにかに抱き着かれて、変な声を出してしまった。
触り方や声で正体はすぐにわかったけれど、心臓に悪い。
怒る姿勢を見せたものの、彼は「声はかけたよ」としれっとしている。
「ちょっといいかな。君に渡したいものがあるんだ」
「? うん」
素直に彼に従い、しおりを挟んで本を閉じた。心臓はまだばくばくいっている。
ジークベルトに続いて階段をおり、リビングへ。
先にソファに座った彼が、自身の隣をぽんぽんと叩く。拒否する理由もなかったから、何も言わずに隣へ腰かけた。
「アイナ。ようやく完成したんだ」
ジークベルトが声を弾ませる。瞳は幼い子供のように輝いていた。
完成したって、なにがだろう。いまいち話が見えないけれど、うきうきする姿が可愛いから口を挟まず見守った。
「どんなものにするかは先に決めてあったんだけど、サイズがわからなくてね……。こっちに来てから確認と依頼をしたから、今日の受け取りになったんだ」
「えっと……。さっきはそのために一人で外出を?」
「うん。自分の手で受け取って、君に渡したかった」
なにを? とこちらが聞く前に、彼は自分の懐に手を突っ込んだ。
その手がもう一度姿を見せたときには、小さな黒いケースを握っていた。
サイズ……。自分で受け取りたかった……。小さな箱……。改めてのプロポーズもされている……。ここまで揃えば、私にも箱の中身は理解できた。
「アイナ。受け取ってくれるかな」
ジークベルトが丁寧にケースを開く。
「……!!」
そこには、予想した通りのものが入っていた。
「指輪……」
そう、予想通りだった。それでも、実物を見ると色んな感情が湧き上がってくる。
「婚約指輪だよ。遅くなってごめん」
「ううん……。ありがとう、ジーク。すごく嬉しい」
婚約、指輪。
さっき昔のことを思い出したせいもあってか、なんだかとても感慨深くて、涙がにじんでしまう。
前世の記憶を取り戻してからの私は、自分が何者なのか、なにをしたいのかもわからず、一人で苦しんでいた。
でも、今は違う。私には、大好きな人も、家族も、友達もいる。私は「アイナ」としてここにいたいんだって、わかってる。
それが、婚約指輪という目に見える形になって、目の前に現れたのだ。
ジークベルトの指が頬を滑り、涙を拭う。ケースをテーブルにおき、くい、と優しく抱き寄せてくれた。
君が泣いていたら、受け止める。
ここに来た日、この人が私にくれた言葉だ。
疑っていたわけじゃないけれど、ああ、本当だったんだなあと思えて、安心して身体を預けた。
しばらくそうしていると、
「ねえ、ジーク。私の指にはめてくれる?」
なんてことを、ぴっとりくっついたまま言えるぐらい元気になった。
そんな私を見て、ジークベルトも笑う。
彼の答えは、当然、
「もちろん」
だった。
彼の大きな手が、ケースを優しく包み込む。
恭しい動作でケースを開き、指輪を取り出し、私の手をとって、左手の薬指にはめた。
自分の手を顔に近付けて、ジークベルトがくれたものを、じっと見つめる。
「綺麗……」
「気に入ってくれたみたいでよかった」
銀色のリングには、複数の宝石があしらわれていた。
透き通った水色の宝石を中心に、小さなダイヤがちりばめられているそれは、とても綺麗で、可愛くて。
私の瞳の色や好みに合わせつつ、互いの家柄にもふさわしいものを選んでくれた彼の気持ちが、本当に、嬉しくてたまらない。
「ジーク」
「ん?」
「大好き……」
指輪のつけた左手を右手で包み込む。彼への想いが自然と口からこぼれた。
よっぽど感情がこもっていたのか、ジークベルトも感極まった様子で私を抱き寄せて、額や頬に何度も何度も唇を落としたのだった。
***
この指輪は、別荘付近の宝石店に相談して作ったものだそうだ。
シュナイフォード家は、以前から海辺のこの町を贔屓にしており、色々と繋がりがあるんだとか。
デザインの打ち合わせを事前に済ませておけば、あとは私の指のサイズがわかればいい。
サイズの確認が済んだら連絡し、作成がスタート。
完成したという知らせを聞いて、ジークベルト自ら取りに行ったのが今日。
ここまで聞いて、1つ気になることがあった。
「私の指のサイズなんて、いつ確認したの?」
「……寝てるあいだに」
「え?」
「君が寝てるあいだに、自分ではかったんだ」
「……ラティウス家に聞くとかでなく?」
「あっ……その手が……」
「……」
ジークベルト・シュナイフォードは、賢い人である。私は、そう思っていた。
でも、彼との距離が近くなればなるほど、うっかりしている部分もあるとか、雰囲気作りが下手だとか、甘えん坊だとか、いろいろなことがわかってくる。
もしかしたら、彼も私の新しい面を発見しているのかもしれない。
「私も、あなたになにか贈りたいな」
「それは嬉しいな。君にもらったものなら、なんだって素敵に見えるだろうね」
「んー……。よく考えてから贈るから……少し先のお楽しみってことで」
「わかったよ。わくわくしながら待ってる」




