8 朝
「んー……」
ゆっくりと意識が浮上する。
もぞもぞと身体を動かしたら、あたたかなものに触れた。
なんだろう。正体を確かめようと瞼を持ち上げる。
「おはよう、アイナ」
私の目の前……隣という方が正しい場所に、柔らかく微笑むジークベルトがいた。
「おはよう……」
状況もわからないまま、ぼーっとしながら朝の挨拶を返す。
彼の手が私の頬に触れる。すり、すり、と優しく指を動かされると、くすぐったいけれど、気持ちよくて。また眠ってしまいそうになる。
「まだ寝ていても大丈夫だよ」
「うん……」
目を閉じれば、頬に触れていた手が、私の背中に移動する。
彼の腕の中はとても心地よい。引き寄せられるように、こちらからも身体をくっつけた。
胸板に顔を埋めれば、昨日もたくさん感じた香りが広がって…………。
そう。昨夜、私はこの香りをもっと近くで感じたのだ。
香りだけじゃなくて、もっと色々……色々……!?
「……!」
昨夜のことを一気に思い出してしまい、眠気が吹き飛んだ。
驚きにかっと目を開くと、彼の素肌が至近距離に。
慌てて顔を上に向ければ、今度は、ジークベルトと視線が絡んでしまう。
愛おし気に細められた黒い瞳からは、幸福、喜び、愛情、私を労わる気持ち……そういった感情があふれ出していた。
「あの、ジーク……」
「なんだい?」
「な、なんでもない……です……」
視線から逃れたくて、彼の胸に顔を突っ込んだ。
香りや体温が近くなってしまったけれど、あの瞳を直視するよりは落ち着けた。
こちらの気持ちを汲んでくれたようで、彼はよしよしと頭を撫でてくる。
「朝食は食べられそうかな?」
その質問に「はい……」と答えれば、彼は「そっか」と言って笑った。
今のこの状況も、昨夜のことも、嫌だとは思わない。とにかく恥ずかしい。
「なら僕が用意するから、君はもう少し休んでいるといい」
「お願い、します……」
「じゃあ、できたら持ってくるよ」
そんなやりとりの後、ジークベルトは寝室から出て行った。
一人ベッドに残された私の心臓は、どっどっど、と激しく動いている。
昨日の昼間に到着して、好きだと伝え合って、プロポーズもされて。
お昼ご飯と夕食は、用意してあった食材を使って作った。
主に私が調理を担当し、彼にも手伝ってもらった形だ。共同作業って感じで、楽しかった。
それから、夕方の砂浜を散歩して……日が沈んで夜になって……。それから、それから…………。
「っ……!」
そこで考えるのをやめた。
このへんでやめないと、ベッドから出られなくなりそうだ。とにかく、今は朝食が出来上がるのを待とう。
そう切り替えると、今度は、ジークベルトを一人で台所に立たせていいのかと不安になってきた。
学園では自分たちで夜食を作っていたらしいし、昨日だって、危ないと感じる場面はなかった。
それでも、彼が王族男子であることを考えると、なんとなく心配だった。一応、見に行ったほうがいいかもしれない。
ベッドからおり、軽く身支度を整えてから1階に向かった。
階段をおりてリビングへ。なにかを炒めるような音と、美味しそうな香りが届いてくる。この分なら、特に危険はなさそうだ。
キッチンに顔を出すと、彼は調理を続けながら、「起きてきたんだね」とこちらに笑いかけた。
……新婚の朝みたいでちょっとドキドキしたことは、この人には内緒だ。
目玉焼きとウインナー、パンを焼いていることが確認できた。ミニトマトやレタスといった野菜も用意してある。
「……本当に料理できたんだ」
「君ほどじゃないけどね。簡単なものなら、一人でも作れるよ」
「そっかあ……。ジークって、素敵な旦那さんになりそう」
「はは、ありがとう。将来は君の夫だよ。ここは僕に任せて大丈夫だから、君は座ってて」
手伝いを申し出れば、「少しでも君を労わりたいんだ。僕にやらせて欲しい」と含みのある言い方をされてしまい、大人しく待つしかなかった。
調理、盛り付け、配膳、飲み物の用意……どれもジークベルトがやってくれて、なんだかくすぐったい。
「ありがとう、ジーク。いただきます」
二人で向き合って席につき、食事を始める。
目玉焼きはちょっとかたくて、パンに塗るバターも出し忘れていた。何度か席を立つことになった彼が、申し訳なさそうに息を吐く。
「……ごめん、任せてと言ったのは僕なのに」
「ううん。嬉しいし……すっごく美味しい。ありがとう、ジーク」
「アイナ……」
そういえば私も、初めて彼に手料理を出したときは、不安で仕方なかった。
立場が逆になった今、「嬉しい」「美味しい」って彼の言葉に嘘はなかったと思える。
「好きな人が作ってくれたご飯って、こんなに美味しいんだね。あなたが私の手料理を食べたがった理由、今ならわかるかも」
「……僕も、君が料理の腕を上げた理由がわかった気がするよ。明日の朝食も、僕が用意したいな」
「じゃあ、お願いしようかな」
「硬すぎない目玉焼きを目指して頑張るよ」
「しばらくは毎日目玉焼き?」
「大丈夫。スクランブルエッグの日もあるよ」
そうやって笑い合っているうちに、恥ずかしさはどこかへ消えていた。




