7 ジーク視点 上書きしよう、何度でも
在学中から決めていた。学園を卒業したら、アイナに自分の気持ちを伝えて、改めて結婚を申し込むと。
既に婚約しているから、何も言わなくてもアイナと籍を入れることになる。
けれど、君が好きの一言も、結婚してくださいとも言わず、流れに任せて……なんて、僕は嫌だった。
幼い頃は美少女扱いされていた僕だって、男なのだ。このままじゃいられない。
16歳のとき、学園を卒業したらちゃんと話すとアイナと約束した。
同時にプロポーズもしようと考えたはいいものの、いつ、どこで、どんな風に伝えるべきか、相当悩んだ。
いつ……卒業後。ここは確定。
どこで……なるべく雰囲気のいい場所で。
どんな風に……二人きりのときに、素直な自分の思いを伝えたい。
いつ・どんな風に、はなんとかなりそうだけど、場所を決めるのはなかなか難しい。
個室のレストラン、シュナイフォード邸、ラティウス邸……。どこもしっくりこない。
考えているうちに、海辺の別荘の存在を思い出した。
あそこはアイナの好みに合いそうだし、朝や夕方の雰囲気もいい。
二人で過ごすなら、広さも十分だ。
別荘を第一候補にし、卒業前に一人で下見もした。
久々に訪れたその場所は、清潔に保たれていた。定期的に清掃が入っているそうだ。
内装や雰囲気も記憶通り。窓から見える風景もよく、寝室や浴室からも海が見える作りだ。
――ここなら、アイナも喜んでくれる。
そう確信した僕は、ここでプロポーズしようと決めた。
学園を卒業してすぐに、別荘へ行こうとアイナを誘った。
断られるとは思っていなかったけれど、予想以上に喜んでもらえて嬉しかった。
さくさく話が進み、あっという間に出発前夜を迎えてしまう。
「……」
普段の僕は、寝付きが良く、寝起きもすっきりしているタイプだ。けれど、その晩は上手く眠れなかった。
当たり前だ。明日、10年以上前から好きだった子に、結婚を申し込むのだから。
なにを言うか、どこで伝えるか、時間帯はどうするのか、これまでだって、何度も何度も考えた。
考えるたび、夕方の砂浜に連れ出して、彼女の前に跪いて手を取り、愛の言葉を……といった形に落ち着くのだ。
アイナはきっと、僕を受け入れてくれる。
そう思えるのに落ち着かなくて、結局、数時間しか眠れないまま、出発のときを迎えてしまった。
行きの馬車では、「寝ていても大丈夫だよ」などと言っておいて、僕の方が先に寝ていた。
何かあったらすぐに気がついて、彼女を守りたいと思っていたのに情けない。
大事な日に寝不足だなんて、本当に情けない気持ちでいっぱいだ。
けれど、「緊張して眠れなかったのか」というアイナの問いに頷きを返せば、どうしてか、彼女は喜んだ。
女心というものは、僕が思っているより複雑なのかもしれない。
目的地に到着し、二人一緒に別荘に入る。
アイナは「すてき」と、とても喜んでくれた。
「シュナイフォード家の人なら、この別荘を好きに使えるんだよ」
調子に乗った僕は、こんなことを口にした。
12歳ぐらいの頃、二人で書庫に入り浸っていたときも、似たことを言った記憶がある。
当時はこちらの意図が全く伝わらず、話が違う方に転がってしまったけれど、今は……。
「じゃあ、私がアイナ・ラティウス・シュナイフォードになったら、好きなときに使っていいんだ?」
アイナは、水色の瞳を細めてくすくす笑っていた。
僕、ジークベルト・シュナイフォードとの結婚を前提にした話を、笑顔で肯定してくれたのだ。
自分の発言の意味に気がついたのか、アイナはほんのりと頬を染めて俯いた。
もっと色々な表情が見たい。たくさんの時間や景色を共有したい。驚かせたり、笑わせたりしたい。
そんな思いが強くなり、アイナの手を取って、大きな窓の前にやってきた。
別荘で1番大きいこの窓は、あえてカーテンをしめたままにしておいた。
彼女の手で開けてもらって、その先に広がる風景を見て欲しかったのだ。
「アイナ、カーテンを開けてごらん」
そう言ってみると、アイナは素直に僕に従ってくれた。
窓から光が差し込み、ウッドデッキや海が僕らの視界に飛び込んだ。
僕は、彼女が「きれい」「すごい」とはしゃいで、そのまま外に行ってしまうかもなと思っていた。
ウッドデッキから砂浜にも出られる作りなのだ。
でも、アイナはなにも言わず、身体を動かすこともなく、ただそこに立っていた。
「アイナ?」
心配になり、彼女の顔を覗き込んだ。アイナは、静かに、はらはらと涙をこぼしていた。
僕には、彼女の涙の理由はわからない。
喜びや驚きといった感情に、悲しみや寂しさも混ざっているように見えて、どう声をかけたらいいのか、わからなかった。
「ねえ、ジーク」
なにもできない僕に向かって、アイナが笑顔を向ける。
「わたし、あなたのことが大好き。あなたごと、たくさんのものを好きになりたい。今みたいな気持ちを、もっとたくさん、一緒に知りたい」
泣きながら微笑んで、彼女は僕がずっと欲しかった言葉をくれた。
儚げで、痛ましくて。でも、この上なく幸せそうな姿が愛おしくて。
こんなときに思うことじゃないけれど、「大好き」と先に言われてしまったことが、嬉しくもあり、ちょっと情けなかったりもした。
なるべく優しくアイナを抱き寄せてみると、彼女はすっぽりと僕の腕に収まった。
幼い頃はアイナの方が大きかったはずなのに、いつの間にこんなに小さくなったんだろう。
少しだけ身体を離し、彼女の手に触れる。
小さい頃からずっと好きだった。今も昔も、君はすてきだ。
僕も自分の思いを言葉にしたら、アイナの瞳からぶわっと涙が溢れた。
しばらくのあいだ、アイナは僕の胸で泣き、僕は彼女を受け止め続けた。
服も肌も濡れていくけれど、そんなことより、そうしてもいいと思ってもらえたこと、頼ってもらえたことが、嬉しかった。
***
少し落ち着いてきた頃、アイナに「なんでそんなに優しいの」と言われて、少しドキッとしてしまった。
アイナから見れば、僕は優しい男なのかもしれない。
でも、それは相手が好きな子だからであって、誰にでも平等に接しているわけじゃない。
彼女を前にすると自然とそうなる部分もあるけれど、僕の優しさの大部分は、この子に好かれたいという下心で作られている。
ある意味では、僕はずっと、アイナの前でいい男を演じていたのだ。
ソファに腰掛けて、カップ片手にそんな告白をすると、彼女は大きな瞳をぱちぱちさせた。
気持ちを通じ合わせて安心していたのか、いつから好きだったとか、振り向いて欲しくて頑張っていたとか、いろいろなことを一方的に話してしまった。
話しすぎたと若干後悔し始めたころ、アイナが「アイナ・ラティウスとして、あなたの隣にいられてよかった」と呟いた。
嬉しいことを言ってもらえたはずなのに、どこか引っかかる。違和感の正体はすぐにわかった。
僕は彼女に、アイナ・ラティウス・シュナイフォードとしてそばにて欲しいんだ。
気持ちが高まって、つい、その場で結婚を申し込んでしまった。
沈む夕日を背景に……なんて、もう考えられなかった。夕方まで待てない。
僕の求婚は受け入れられた。最高に幸せなときが訪れたはずなのに、アイナは変なものでも見たかのように、おかしそうに笑う。
なんだかよくわからないけど、笑顔が可愛いし、大好きだと言ってくれたから、それでいいいやと思えた。
ずっと好きだった子に大好きと言われて、腕に収まって泣くほどに信頼してもらえて、プロポーズも受け入れてもらえた。
ああ、本当に……どうしようもないぐらい、幸せだ。
僕が感じた「最高に幸せなとき」は、その日のうちに、より大きな幸福感によって塗り替えられるのだった。




